2015年12月29日火曜日

感謝を表す

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。そこでイエスは言われた。「十人いやされたのではないか。九人はどこにいるのか。神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」」(ルカ17:15-18)

◆どういうこと?◆
誰かに何かをしてもらった時、ちゃんと「ありがとう」と感謝を表して、伝えてますか?みんなを見ている限り、感謝を伝えているかと思います。でもその行動は本当に感謝を表しているでしょうか?バスのゴミを拾う。やっている人はいるけど、何度言われても未だにできていない人は結構います。これは口だけ感謝しており、行動が伴っていない。つまり本当の意味で感謝していないのと同じです。

イエスのもとには、多くの病人がやってきました。イエスは来た人々をいやしてあげましたが、彼のもとに戻って感謝し、ほめたたえた人は外国人たった一人。しかも神の民と言われた者たちは誰一人戻って来ませんでした。

この二つの行動は同じです。どちらも相手がどのような想いでいるかを考えていません。そればかりか、自分の性格や態度がそういう所に現れてきます。自分のやってきたことを振り返ってみて、どうだったかを考えてみよう。そしてこれからの行動を改めていこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、口先だけではなく、心と体全てで感謝を表していけるようにさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年12月28日月曜日

誤判定を正す

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「手がきよく、心がきよらかな者、そのたましいをむなしいことに向けず、欺き誓わなかった人。その人は主から祝福を受け、その救いの神から義を受ける。」(詩篇24:4-5)

◆どういうこと?◆
ウソ偽りなく、正しく生きることは簡単そうに見えて、実はとても難しいものです。でも神様はそのように誠実さをつらいて歩む人を喜び、祝福を与えてくれます。

僕たちにとって、誠実でいることが一番しにくい場所は試合と思います。審判の判定が明らかに間違っていて、それが自分に有利であるなら、僕たちはその判定を正さないでいるのではないでしょうか?ずる賢いと言える部分かもしれません。でも覚えて欲しいのは、そんな場面であっても、神様は誠実さを求める方だということ。

神様の前にグレーは存在せず、常に白か黒しかありません。だから僕たちが普段どれだけ正しく生きようとしても、試合が別物となるのであれば、それは違うということになります。今年はプロの試合で、誤判定をその選手が指摘し、判定が変わるシーンがいくつかありました。それらのニュースは世界中に流れ、彼らの態度が賞賛されました。僕たちはプロの人間になることを目標としています。そのためにこういうグレーゾーンな歩みを無くしていこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、どんなに勝ちたいと思っても、誠実さを無くすことがないように守り下さい。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年12月27日日曜日

教えをしっかり聞く

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「わが子よ。訓戒を聞くのをやめてみよ。そうすれば、知識のことばから迷い出る。」(箴言19:27)

◆どういうこと?◆
今日の聖書は、どれだけ頭が良く、才能があっても、注意深くせず、教えを聞かず、学ばないのであれば、僕たちは多くのものを見逃してしまい道を外してしまうことを指しています。

これはもちろんサッカーでも同じですね。コーチの話をしっかり聞かず、部分だけ聞いてあとは自分のやりたいことをするなら、それは本当に伝えたいことを受け止めているとは言えないでしょう。また普段教えられていることやれば結果は十分出るのに、実際に出さなければならない場面になると言われたことを忘れて自分自身のプレーになり、結果を残せなくなることはあるでしょう。

神様は繰り返し、神様のことばを求めなさい。読みなさいと教えています。それは僕たちを豊かな者とするためであり、人生のプロフェッショナルになっていくためであり、聖書は神様がそのための教科書として与えたものです。だから、もしみんながこの話を中途半端に受け止めていくなら、練習でやったことを試合で発揮できなくなるように、人生の中でも同じことが起こるでしょう。成功をつかんでいくためには、その方法を学んでいく必要があるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、どこでもで全部を出し切れるように。成長できるように、聖書を毎日読めるよう助けてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年12月26日土曜日

堅く立つ

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。」(エペソ6:13)

◆どういうこと?◆
大事な試合で勝てない時、思うようにプレーが出来ない時、ノックアウトされたかのように落ち込んでしまうことはありませんか?そして、それを何日も引きずってしまうことはないでしょうか?

でも重要なのは、今経験をしているものはプロセスであって、これからやってくる本当の戦いに向けた準備ということです。目標にたどりつくことは、単に自分の目指しているものにたどりつくだけではなく、同時に僕たちを祝福している神様の素晴らしさを表すことでもあります。この世界にはその神様の素晴らしさを表して欲しくないと思う者たちがおり、彼らの邪魔と立ち向かわなくてはなりません。この戦いは僕たちが成長すればする程、過酷になるでしょう。

この戦いを勝ち抜くには、今の段階から立ち上がる方法を体に覚えこませるしか方法はありません。その方法は神様を信じきる信仰、立ち向かうために神様のことばと実践が鍵となります。どんなことでもすぐに立ち上がっていけるように、そして成長できるようにこれらのことをやってみよう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、どんな状況でも立ち上がり、目標に進めるように、今必要なものを与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年12月25日金曜日

目を離さない

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」(ヘブル12:1b-2)

◆どういうこと?◆
シュートをする時、ボールを見るのは基本です。これはどんなに上手い選手になったとしても、この基本動作は変わりません。なぜでしょうか?それはボールの位置が毎回違うからです。サッカーの場合、ボールを常に体へくっつけた状態でプレーすることは出来ません。使っているグラウンドは同じで、蹴り方は同じかもしれません。でもボールは体から離れており、完全に合わせるために、毎回蹴る瞬間を見てズレを修正する必要があるのです。

この基本動作は普段の生活も同じで、神様のことばはシュートする時のボールに似ています。家、学校、グラウンドなど生活する環境は毎日同じですが、神様のことばは毎回受け取るタイミングや状況が違うでしょう。またゴールは僕たちの目標であり、シュートは僕たちの日々の歩み方と同じです。

僕たちは目標だけを見ていて、足元にある神様のことばを確認せず、日々を歩んでいるなら、その歩みは毎回ズレが出てしまい、目標には届かないでしょう。神様のことばを毎日読み、普段の生活に活かすことが大切なのです。これから冬休み、まずは今日の聖書見て、思いだすことから始めよう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、生活がぶれて目標から外れることがないように、いつも神様のことばを確認させてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年12月24日木曜日

心をリフレッシュする

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(2コリント4:16)

◆どういうこと?◆
激しい試合や練習などを終えた後、身も心も燃え尽きてしまうことはありますよね?全てをやり尽くしたと達成感に包まれる時、僕たちは燃え尽きたように空っぽになってしまう瞬間が生まれます。そのような時、みんなはどのようにして身と心を次のステップに向けて切り替えるでしょうか?

今日の聖書は、パウロがコリントの教会にいる仲間に向けて書いた励ましです。ちょうどコリントの教会にいた仲間も、苦しい状況にあり、燃え尽きかけている状態でした。それを察知して、パウロは手紙を送ったのです。体の疲労は心に大きく影響します。でも休息を取れば体は素早く回復できるもの。問題は心の部分。心は一度疲れ、空っぽになると回復は簡単ではないのです。多くのプロ選手はこの問題に直面し、引退した後、中々次に進めない理由はこの点にあります。

でも思い出して欲しいのは、僕たちの皮膚や肉は細胞により毎日新しくされるのと同じように、心も新しくされることが可能だということ。どうやって?神様のことばです。みことばを吸収し、生活に当てはめていくなら、その時心は神様によって新たにされていきます。それが続くと、どこまでもつき進んでいくことができるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、心をいつもリフレッシュできるように、神様のことばをもっと与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年12月23日水曜日

心のトレーニング

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「知恵のある人は力強い。知識のある人は力を増す。」(箴言24:5)

◆どういうこと?◆
誰よりも正確に力強くシュートができ、誰よりも速く走り、縦横無尽にドリブルができるなら、その選手は無敵に近い状態と言えるかもしれません。そこまで完璧に全てを兼ね備えることは出来なくても、僕たちは少しでもそれに近づけるように練習を重ねているでしょう。

イエス・キリストは神様によって心を強くするよう僕たちに教えています。なぜなら心の強さが増せば増すほど、僕たちは神様に似た者となっていくからです。でもこれは単に神の力を手にするという意味ではありません。むしろ神様をもっと近づくことで、自分の力ではなく、神様の力によって偉大なことを成していくという意味です。

それではどんなトレーニングをすれば良いでしょうか?毎日聖書を読み、学ぶ。そして自分の生活に神様のことばを適応していくことです。これらを続けていくことで、僕たちはもっと神様を知るようになり、成長できるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、心を強くしていくために、毎日聖書を読み、学び、自分の生活に適応できるようにさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年12月22日火曜日

武具を身につける

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。」(エペソ6:11)

◆どういうこと?◆
僕たちが歩む道は遊び場のように楽しいものではなく、戦場のような生死をかけた厳しい道といえます。周りには多くの誘惑があり、僕たちを道からそらすものは沢山あるからです。そればかりではなく、神様を信じて歩んでいると言えば、目に見えないものに頼っていると言われたり、弱い者と仲間の輪から外されてしまうこともあるかもしれません。それらは決して楽しいものではなく、その道を進み続けるには大きな忍耐が必要でしょう。

みんなはこのような目に見えない戦いにどう対抗していますか?聖書では、これらに対抗し、勝利を得ていくために、神様が与えてくれた武具を身につけなさいと教えています。その武具とは真理、正義、平和、信仰、神様のことばです。真理(本当のこと)をしっかり身につけ、正義を行い、平和を追い求め、攻撃には信仰によって守り、相手には神様のみことばを持って接しなさいという意味です。

これらを持たないまま進もうとするなら、僕たちはあっという間に道からそれてしまうでしょう。僕たちの心は思っているよりはるかに弱く、神様と共に歩むことを望まない悪は、僕たちの心の弱い部分を集中的に狙ってきます。そして、道を外させようと企んでいるのです。だから、いつも武具を身につけ、信仰によって神様の助けをもらいながら、道を外れていかないようにしましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、攻撃によって倒れてしまうことがないように、しっかり武具を身につけさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年12月21日月曜日

賢さを身につける

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行ないを、良い生き方によって示しなさい。」(ヤコブ3:13)

◆どういうこと?◆
サッカー選手にとって賢くあることは重要です。戦術を理解し、その場の状況を把握して自分の役割を瞬時に見いだす。これらは基本とも言えるものです。逆に自分のやるべきことが分からないままでプレーをしたり、いつも思いつきだけでプレーをするような選手は、コーチにとって選びにくい選手と言えるでしょう。でも意外と多くの選手は、この重要性を分からず、なぜコーチは自分を選んでくれないのだろうと思っていたりするのです。

聖書では賢い人をただ頭が良い人や勉強の出来る人とは言っていません。賢い人とは、最善を知り、その道にまっすぐに歩める人、そのために必要なことを忠実に行える人を指しています。聖書には沢山の失敗例が出てきますが、そのほとんどは神様の声をしっかり聞かず、自分勝手にやりたいことを行ったことに原因がありました。

それではみんなはどうですか?自分勝手にやってませんか?もしそうなら、行動を変える必要があるのです。賢さを身につけたいなら、まず話をきちんと聞いて実行するようにしていきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、もっと賢くなるように、話を聞けるようにさせてください。そして賢さを身につけさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年12月20日日曜日

無駄なことはしない

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「すべての勤労には利益がある。おしゃべりは欠損を招くだけだ。」(箴言14:23)

◆どういうこと?◆
練習をすれば、その練習をしたものを体が記憶し、自分のものとなっていきます。でもその練習を見ていただけでは、頭で理解したとしても、体が記憶しない限り身につけたとは言えません。また練習中にずっと集中せず、話ばかりをするなら、体は話すことに集中し、その状態で体に記憶させることは難しいでしょう。このように同じ時間を過ごしていても、きちんと取り組めないのであれば、それは自分にとって何の益もないのです。

若いうちは時間がいくらでもあると思うかもしれません。少しの時間、やらなくてもいい、さぼってもいいと思うかもしれません。でもそれは自分の成長を止めるようなものであって、目標に進むことを遠回りにさせるようなものです。

成長を止めること、自分に利益がないのであれば、それは止めるべきです。いつも必要なものを追い、ひたすら前進できるように歩みましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、気を抜きたくなる時があっても、集中し、最後まで目標にむかっていけるようにさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年12月19日土曜日

栄光を現すために

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。」(ヨハネ17:1)

◆どういうこと?◆
サッカーは素晴らしいチームスポーツです。選手たちはチームが勝利をつかむため、互いに助け合います。その中でも素晴らしいのは、選手たちが自分に相手を引きつけて、他の選手がゴールするスペースを作る場面でしょう。また体をはってディフェンスをする場面もあります。これらはチームの勝利という目標を果たすためであり、そのために犠牲をはらうことでもあります。その結果として、ゴールを決め、勝利するならその犠牲はとても価値のあるものと言えるでしょう。

イエス・キリストも僕たちと同じように、勝利のために自身を犠牲とすることを気にしませんでした。しかもその犠牲は、僕たちの比ではなく、十字架という本当に命をかけたものです。ムチ打たれ、ボロボロになった体にクギを打たれ、呼吸困難になり死に至る。想像をはるかに超える苦しみを受けました。それ程の犠牲を通しても手にした勝利とは何だったのでしょうか?

その勝利とは、僕たち一人ひとりが神様を知り、罪から解放されること。悪いことはしてないかもしれません。でも聖書は神様を知らないで歩く、無視した歩みをすることを罪だと教えています。ちょっとでも神様を無視して歩むならその時点で僕たちは皆罪人なのです。イエスはこの罪から僕たちを救い、勝利を得るために犠牲を払ったのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、僕を罪から救うためにイエスを送ってくれてありがとう。その犠牲をいつも覚えて、感謝を忘れないようにさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年12月18日金曜日

賞賛を受ける

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。」(1コリント4:7)

◆どういうこと?◆
選手であれば、周囲から賞賛されたいと願っているでしょう。良い試合をしたり、自分のスキルを存分に発揮した際に、この選手、チームはすごいと知られるなら、それは自分の気持ちを高揚させ、さらにレベルアップしていこうというモチベーションにつながります。

しかし、覚えておきたいことがあります。聖書はこの賞賛は全て僕たちの力のみによって得られたものではないと教えていることです。僕たちは素晴らしい才能をもっているかもしれません。でもそれは自分が才能を持つにふさわしい存在だから手にしているわけではないのです。神様が計画をもって僕たちを造られたという点で、特別な存在と言えるかもしれませんが、そうであってもそれは神様によるのであって、自分自身のみが素晴らしいと言えるわけではありません。

今の時代は残念なことに、この神様の存在を認めず、自分の手柄であるように思っている人、受けた賞賛を自分のものと思っている人が多くいます。しかし、これは誤りなのです。聖書は2千年以上前からずっと、僕たちが賞賛を受けるられるのは、神様が与えてくれたからだと語っています。この事実を忘れずに、いつも賞賛を受けた時は神様に感謝していきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、栄光をつかませてくれてありがとう。僕を通して神様の素晴らしさがみんなに伝わりますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年12月17日木曜日

僕たちを守る方

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「ダニエルは穴から出されたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。」(ダニエル6:23b)

◆どういうこと?◆
神様に信頼を置き、毎日を神様と共に歩もうとするなら、神様は僕たちを守ってくれます。

ダニエルは神様を信頼し、祈ることが禁じられる中にあっても、神様に祈ることを止めませんでした。彼は他の人に祈る姿を見つけられ、ライオンのいるオリの中に1晩入れられてしまいます。しかし、1晩経って王がオリの前でダニエルの名を呼ぶと、声があったのです。彼は1傷も負わずライオンと共に過ごしたのです。神様は彼と共におり、ライオンがダニエルに襲うことを許さなかったのです。

この出来事は僕たちが神様を信じ、信頼していくなら起こりうることです。ダニエルは罰が待っていたとしても祈ることを止めませんでした。僕たちも彼のように神様の存在をはっきりと認め、祈っていく時、神様はダニエルを守ったように、僕たちも守り、導いてくれるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、どんな時も祈ることをやめないようにさせてください。そして、ダニエルを守ったように僕たちもお守りください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年12月15日火曜日

恐れを乗り越える

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」(2テモテ1:7)

◆どういうこと?◆
恐れはやる気を奪い、前進することを止めてしまい、そして次々と消極的な考えを生み出していく、非常にやっかいなものです。でもこの恐れというものは外側から来るものではなくて、自分の内側から生まれ本当は存在しないものということを知っていますか。

エジプトからイスラエルの民を導いたモーセという人物がいました。彼は賢く、力もあり、人々を導くことのできる優秀なリーダーでした。何でもやれる人物でしたが、恐れによって心が満たされ、全てを捨て遠くに逃げ去り、何年もの間身を隠してしまったのです。モーセはその後、神様と出会い、エジプトからイスラエルの民を助け出すという使命を伝えられますが、そこでも彼は質問を繰り返し、応答するのに時間がかかりました。

どれだけ偉大なリーダーであっても恐れはあり、乗り越えなくてはいけません。しかし、覚えておきたいことは、恐れは存在しないものであり、自分で作り出すイメージだということです。神様はそれを知っており、自分が共にいるから大丈夫だとモーセを励まし、モーセを通してイスラエルの民を助け出しました。神様は僕たちに勇気を与え、消極的なイメージを打ち壊してくれます。そして、道を開いてくれる方なのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、難しいものチャレンジが目の前に来ても、恐れずに前進できるように勇気を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年12月13日日曜日

大切なことは何か

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』」(マルコ12:28-30)

◆どういうこと?◆
サッカーをする上で大切なことは何か?と聞かれるとその答えは色々なものが返ってきます。その多くは勝利すること、ゴールすることなどです。でも考えてみると、すべての試合に勝利することは結果であって、サッカーをする上で大切かと言うとそうではありません。むしろその前段階である、「どんな試合も勝利するんだ」と強く信じていくことが大事なのです。

今日の聖書はある学者が、イエスに向かって人生において大切な神様の教えは何かという質問をした場面です。この当時、人々は神様に礼拝をささげる方法を教わり、それが大事であると思っていました。しかし、それらは形や結果であって、試合に勝利することと答えるのと同じでした。

イエスは、そのような考えを持つ人々に、形や結果ではなく、それらに向かっていく心、信仰がとても大事なんだということを教えたのです。どれだけ勝利したとしても、心がチームから遠くにあれば満足はできないでしょう。同じように神様が喜ばれるのは、形ではなく、僕たちが心から神様を望む姿なのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、形ではなく、心から神様を望み、信じていけるようにさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年12月12日土曜日

方向転換

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「すると、主はろばの口を開かれたので、ろばがバラムに言った。「私があなたに何をしたというのですか。私を三度も打つとは。」」(民数記22:28)

◆どういうこと?◆
今日の聖書は、神様がバラムを守るために、ろばを用いた際の話です。バラムは神様の望まない道を歩もうとしていました。それを見た神様は、彼が悪い方向へと進まないように、天使を送り、道をふさぎ進めないようにしたのです。
バラムはこの天使の存在に気がつきませんでしたが、彼が乗っていたろばは天使が剣を持って道をふさいでいる姿を見て立ち止まりました。何度もバラムは進ませようとろばにムチを打ちましたが、それでもろばは進まなかったので怒りはじめたのです。

するとろばはバラムに向かって、言葉を発したのです。そして、天使はバラムの前に姿を現し、なぜろばが前進しようとしなかったかを理解しました。そして、自分自身が悪いことを理解して神様の前に悔い改め、悪い道から離れ、再び神様の道へと歩み始めました。

神様は僕たちの目には今見えないかもしれませんが確かに存在し、バラムの出来事のようにあらゆるものを用いて、僕たちを守ろうとしてくれます。でも思うように進めない時、僕たちは感情的になるでしょう。そんな時は一度立ち止まり、進もうとしている道が自分にとって本当に良い道なのかを確認しましょう。そして、悪い時は進むのを止めて、良い道へと方向転換をしましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、悪い道に進もうとしていることをいつも気がつき、良い道へと方向転換できるように助けてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年12月11日金曜日

心を見守れ

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」(箴言4:23)

◆どういうこと?◆
サッカー選手であるなら、サッカーに良いと思うことはなんでも取り組み、一生懸命にやるでしょう。このように自分にとって良いと思うもの、成長させるものに対して、人は前向きに考え、取り組んでいくという性質が備わっています。
中には苦い薬であっても、それが体を治すことを知っていれば飲みますし、練習もどれだけつらくても上達につながるなら一生懸命やります。

それでは自分の心に関する部分はどうでしょうか?良いと思っても取り組まない人、一生懸命やらない人は多くいます。この部分は練習や薬と違って、成長度を確認することが難しく、また非常に長い時間がかかるもの。そして日々取り組むものだからかもしれません。

しかし、聖書は練習と同じように、自分の最善を尽くして、時に周りの外敵から守りなさいと教えています。これが心の源になり、僕たちが光輝いたものとなっていくからです。練習のように、外面をどれだけ良くしても、その内面がボロボロであれば、その表面はあっという間にボロボロになり見るのがつらい状況になります。内面も外面も良くすることで全体が輝けるのです。だから、どんな時も自分の行動や考えが、内面も輝かせるものかどうかをいつもチェックしながら生活しよう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、普段の生活も練習と同じように、良いもの、良い習慣を取り組んでいけるように見定めできる心を与えてください。。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」
Vamos Esperanza!

2015年12月10日木曜日

あきらめない心

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」(ヤコブ1:4)

◆どういうこと?◆
神様は優れた人を用いないで、普通の人を用いることによって、より偉大なことをされます。しかしそれは鉄がただの固まりの状態から何度も火を通し、打って、鍛えられてはじめて剣になるように、人はそのままの姿のままで偉大なことがなされる状態にはありません。人も様々な試練によって鍛えられ、忍耐して乗り越え、ふさわしい姿になっていくのです。

試練や苦労を好んで取り組む人は多くないと思います。なぜならそれは簡単なものではなく、つらいもの、痛みや苦しみのともなうものだからです。目標が大きければ大きい程、その試練や苦労は大きなものとなるでしょう。だからこそ僕たちは諦めないことを覚える必要があるのです。苦しくなると人は走ることを止め、立ち止まろうとします。それが楽だからです。でも、立ち止まってしまうとそこから先には進めなくなります。そうなると剣は中途半端なものとなり使い物にはならないように、人も成長を止めてしまうことになるのです。

聖書は、神様にあって忍耐を続け試練を乗り越えるとき、成長し、偉大なことをするにふさわしい者とされることが書かれています。だから最後まで諦めないようにしよう。もし、つらくなったときは神様に祈り、力をもらっていこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、どんなつらいときも、諦めない強い心を与えてください。そして成長をすることができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」
Vamos Esperanza!

2015年12月9日水曜日

行いと真実をもって

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。」(1ヨハネ3:18)

◆どういうこと?◆
人は自分を大切にしてくれる人や好意を持ってくれている人をより大切にしようとする所があります。逆にそうではない人に対して、ことばや口先だけ大切であることを伝えていることはないでしょうか。

ことばや口先だけで、それに行動がともなわないのであれば、僕たちの語っていることが真実であると証明するのは難しいでしょう。むしろ、大切にされていないことの方が伝わってしまう場合の方が多いと思います。なぜ僕たちはこのように人によって態度を変えてしまうのでしょうか?その原因は、自分中心の考えにあると言えます。

最初に語ったように、僕たちは好意を持ってくれてる人を好み、逆にそれを表さない人には近づこうともしないところがあります。しかし、神様からの祝福を受ける歩みをしていきたいと願うのであれば、イエス・キリストがされた歩みのように、自分中心の考えを捨て、行いと真実を持って、どんな人であっても同じように接することが重要となってくるのです。だから、これからどんな人も大切に接していけるようにしていこう。そのためにまず神様に祈っていこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、どんな人も同じように接することができるようにさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」
Vamos Esperanza!

2015年12月8日火曜日

本物の神

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「イエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい。』と書いてある。」(ルカ4:8)

◆どういうこと?◆
僕たちはいつも神様にお祈りをしています。でもみんなはその神様が誰だか分かっていますか?もし神社などの神と同じように思っていたり、その中の一人と思っていたら、それは違います。聖書にはこの神様を表す名前がいくつも登場しますが、これらは全て一つの存在を表しています。僕たちもよく使う「主(しゅ)」は僕たちの主人、リーダーであることを表して呼んでいます。また全てを造られた神は、全ての生みの親であり「父」とも呼ばれています。僕たちも友達は色々なあだ名で呼ぶように、聖書に出てくる神様は様々な呼び方はあっても一つの存在なのです。

しかし、勘違いしないで欲しいのは、この聖書に出てくる神様以外に神は存在せず、全ては偽物だということです。この点は聖書の中で繰り返し教えられています。日本には神社がいっぱいあり、多くの神と呼ばれる存在がいると言われています。でも聖書には他に神はいないとはっきり伝えているのです。だから、僕たちが祈る時、サッカーの神や勉強の神と呼ばれる偽物に祈っているのではなく、本物の神様に向かって祈っているのです。コーチたちがいつも信じていけば応えられると言っているのは、本物の神様を僕たちは知っていて、その神様に祈っているからなのです。

これから祈る時は、その神様に向かって祈っていることを覚えておきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、本物の神様を知ることができてありがとう。これからもっと知って、信頼して祈れるようにさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」
Vamos Esperanza!

2015年12月5日土曜日

タイミングを逃さないように

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「時宜にかなって語られることばは、銀の彫り物にはめられた金のりんごのようだ。」(箴言25:11)

◆どういうこと?◆
友達が何かわるいことをしようとして、注意しようとするけど、ちゅうちょして言うタイミングを逃してしまう。そして後になって言わなかったことを後悔する。このような経験はありませんか?

今日の聖書にあるように、最高のタイミングで語られる言葉は、宝石のようにとても価値のあるものと言えます。なぜならその聞く側の人にとって役に立つものだからです。タイミングを逃し、相手がより悪い方向へ歩んでしまわないように注意しよう。

またその時に発することばも重要です。どれだけタイミングが合っていても、発することばに相手を思いやる心が無ければ、それは相手に響かないからです。だから、最善のタイミングを見逃さず、最適なことばを伝え合い、お互いに信頼し高め合える良い関係づくりをしていこう。そのような関係は一生続く素晴らしいものとなるでしょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、注意したり、伝えないといけないことがある時、タイミングを逃してしまわないように、語れる勇気と最善のことばが見つかるよう知恵を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」
Vamos Esperanza!

2015年12月4日金曜日

舌の影響力

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「同様に、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きい森を燃やします。」(ヤコブ3:5)

◆どういうこと?◆
舌とは僕たちの言葉づかいを表しています。実際、舌は体でしめる割合も小さい器官ですが、そこから発する言葉はとても大きな力を持っています。今年は国内外で、この言葉による暴力、差別がサッカー界で問題となりました。おそらくこの言葉を発した人は、普段から意識せずに使っていて、その影響力を全く理解していなかったのでしょう。

先日、Jリーグの外国人選手に向けた、差別的な発言は10代の少年によるものでした。応援するチームが負ける原因を作った相手だったから、ストレスがたまってグチを発したのかもしれません。でもそれが本人に伝わり、大きなニュースとなってしまいました。このように何気ない発言は、時に大火事を発生させる危険があるのです。

これは僕たちにも同じことが言えます。試合を応援する時にクレームではなく、相手選手や審判を面白がっていじったり、見下した発言、ケガをした時に不快な発言を聞くことがあります。これらは相手をリスペクトしているとは言えません。先ほどの少年は、この発言がきっかけで全国に知られ、学校を通して謝罪するという大騒ぎになってしまいました。僕たちにもその可能性はあります。これは神様が喜ばれる行動とは言えません。だからこれから自分の発言に責任を持ち、互いに高めあうために舌を用いていこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、自分の発している言葉にもっと責任を持ち、僕の舌を周りを祝福する良いものへと変えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」
Vamos Esperanza!

2015年12月3日木曜日

もっとふさわしい生活をしていく

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「ただ、キリストの福音にふさわしく生活しなさい。」(ピリピ1:27a)

◆どういうこと?◆
聖書には「神様(キリスト)の良き知らせ(福音)にふさわしく生活しなさい。」とありますが、それはどんな生活で、僕たちにどう関係しているのでしょうか?僕たちはサッカーを通して、神様を知り、その素晴らしさにふれるようになりました。そして、神様はそれだけではなく、僕たちに神様の栄光を現す者となることを願っています。

それを達成するために、僕たちはプロ選手になるためにふさわしい生活をしていくのと同じように、神様にふさわしい生活をすることが大事となってきます。ではどうすれば良いでしょうか?

4つポイントがあります。1)誠実さ。チームにいる時や家にいる時など、どんな時でも偽りなく、正直に、常に本物であるようにしましょう。チームにいる時だけ良いようにふるまってはいけません。2)仕える。自分がやってもらいたいこと、喜ぶことを、まず他の人にやるようにしましょう。3)チームワーク。一人ではやれることに限界があります。何でも自分のことばかり考えるのはやめましょう。4)最善を尽くす。どんなことでも、神様のためにベストを尽くしましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、もっと神様にふさわしい生活をしていけるように、自分を成長させてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」
Vamos Esperanza!

2015年12月2日水曜日

目標は高く

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。」(詩篇121:1-2)

◆どういうこと?◆
僕たちにはそれぞれ目標がありますが、その目標をどこに設定していますか?リーグ昇格、優勝ですか?もしそうだとしたら、それはとても低い目標です。確かに一つひとつの小さな目標を達成していくことで大きな目標につながります。でもその小さな目標にたどり着いてから次を探すと道が大きくぶれてしまうので注意が必要です。では大きな目標はどうですか?海外でプロ、日本代表になる。かなり高い目標に見えます。自分一人でたどり着けるようなものではありません。目標が大きく、遠すぎてどう歩めば良いか分からず途方にくれることもあるでしょう。

それでは目標をどこに設定すれば良いでしょうか?まず高い目標です。先ほどのプロ選手などよりも高い目標です。実は高く見えるこれらの目標も、一つの通過点でしかなく、僕たちはもっと先にある目標を目指していく必要があるのです。それはどんなものかと言うと、祝福を受け神様の栄光を現す者となることです。この人はどこにあっても光輝く存在となりえます。次に自分のなりたい目標。そしてそのために必要な目標です。

このように僕たちは常に人生でぶれない目標を見ていくことがまず大事です。でも繰り返しますが、高い目標であればあるほど道を誤ってしまう可能性が強くなります。それを防ぐために重要なこと、それは絶えず神様を忘れないことです。どんな時でも道がぶれそうな時は神様を見上げましょう。そして、祈りの中で今日の聖書を思い巡らしながら、力をもらって目の前の目標を乗り越えていきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、どんな目標であって、神様から力を受けて乗り越え、神様のすばらしさを現す存在になれるようにしてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」
Vamos Esperanza!

2015年12月1日火曜日

違和感を感じる人たち

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。」(ヨハネ15:19)

◆どういうこと?◆
みんなはお祈りや神様のことを聞くことを友達や周りの人から変なやつとかチームと言われることはありませんか?僕たちのチームはどんどん成長しています。それは同時に名がより多くの人に知られ、その行動にも目がいくことを表しています。しかし、注目を浴びるがゆえにあまり目にしないものを見ると、引かれてしまう場合も出てきます。

こんな時に覚えて欲しいのは、周りの人たちはこの神様をまだ知らず、祝福を受けていないということ。そして僕たちは神様を知り、体験し、その祝福の中に生きていることです。知らない人や否定する人たちにとって、目に見えない存在である神様を語る姿は違和感でしかないでしょう。それは時に否定や排除につながります。僕たちはその状況を知ることが重要となります。

日本はイエス・キリストを信じ歩む人は日本の人口の約1%に満たないと言われています。その状態であるなら違和感を感じる人が周りに多くいてもあたり前です。でも恥ずかしがること、自分の道を否定する必要は全くありません。むしろ、僕たちが神様を知り、体験する中で、神様がいて祝福してくれている事実の中にいることを喜びましょう。そしてまだ知らない人たちにこの事実を伝えていきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、いつも共にいて、祝福してくれてありがとう。まだ知らない人にもこの事実を伝えていけるようにしてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」
Vamos Esperanza!