2009年10月14日水曜日

大切な人を守る

先日、ジュニアユースの市長旗杯の試合がありました。

ここ数年間、毎年栄区の代表の座が定着していたこの大会。
しかも今年は、今までのエスペランサのチームの中でも、一番強いと思われていたので、誰もが勝利を確信していました。

それが、まさかの初戦敗退・・・!
いろんな理由があるにせよ、とても残念な結果でした。

今日はその時の事を少し考えてみたいと思います。


1-2で負けていた後半のこと。
エスペランサのセットプレーからゴール前に上げられたボールを巡り、ゴール前で激しい混戦となりました。そして、微妙な位置でキーパーがボールを抑えた所で、レフリーは笛を吹きセンターサークルに向って手を上げました。

「ゴールだ!!やったー!!」

大喜びで、熱狂するエスペランサの選手とベンチ。

しかし、相手チームが審判の元に集まってきて熱烈に抗議を始めました。そこで、何と審判はもう一度笛を吹き、一変してノーゴールの判定・・・。

少なくとも、私たちの側からはそのように見えました。


もう、何がなんだか訳が分からない状況で、ベンチからも激しく抗議をせざるを得ませんでした。
オルテガさんも、ノエミさんも、大声で必死になって抗議しました。それは、判定そのものというよりも、子供たちがもう中学校で最後かもしれないという試合で、一度下した判定を、不利な形で覆されたことに対する怒りにも似た感情でした。

その結果、オルテガさんとノエミさんは退席処分となってしまいました。


何とも後味の悪い幕切れ。しかし、ここで審判の判断についてどうこう言うつもりはありません。



この試合の後、じっくりこの事について考えてみました。
なぜ、オルテガさんたちはそこまでして抗議しなければならなかったのか・・・。

一つの聖書のことばが心に浮かんできました。

「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。(聖書/ヨハネの福音書10:11)」


牧者とは、羊飼いのことです。
良い羊飼いは、羊のことを、わが子のように愛し、大切にし、命がけで守ります。

私は、オルテガさんの姿に、自分の子供のように大切にしているエスペランサの子供たちを、命を懸けて守ろうとしている「良い羊飼い」の姿を見たのです。


もちろん、ただ熱くなればいいというものではないとは思います。
しかし、今、自分のチームのメンバーのために、これだけ必死になって体を張ってくれる指導者が、どれほどいるでしょうか。たとえ、自分が悪者になったとしても、理解されなかったとしても、命懸けでチームを守ろうとするリーダーがどれだけいるでしょうか?それが、もしわが子だったとしても、そこまでの思いをもって守り抜くことが出来る親がどれだけいるでしょうか。


聖書を見ると、この「良い牧者」とは、イエス・キリストのことです。イエス・キリストは、何も罪を犯さなかったのに、罪人の身代わりとして十字架にかかって死んでくださいました。イエス・キリストが愛しているすべての人のために、自らが体を張って、いのちを懸けて、自分自身を差し出してくださったのです。そのいのち懸けの愛の象徴が十字架なのです。だから、クリスチャンは十字架を見て、神様の愛を思い起こすのです。


何も今回に限ったことではありませんが、願わくは子供たちが、オルテガさんの姿を心に刻み、「自分はこんなにも愛されていたんだ」ということを実感できる時がくるようになることです。

そして、その何倍、何十倍もの愛で愛し続けてくださっているイエス・キリストが、どんなときでも守ってくださっているという事を知って欲しいと思います。

2009年10月7日水曜日

エスペランサのちから

日本という国は、経済的に恵まれ、何一つ不自由なく暮らせる国です。

毎日おいしいご飯やおやつをたくさん食べれます。
蛇口をひねれば、おいしい飲み水が豊かに出てきます。
学校に通うのは当たり前すぎて、何とも思いません。
テレビやインターネットは当たり前です。
小学生でも多くの子供たちが携帯電話を持っています。
携帯ゲームなら、誰だって持っています。
やりたいことは、何だって出来ます。


それなのに多くの子供たちは、将来に対する「希望」を持てないでいるように思えます。

いじめや自殺がたくさん報道されています。
家庭の崩壊や学級崩壊も、もはや普通のことになりつつあります。
家庭も学校も、もはや自分が安心して過ごせる場所ではなくなりつつあります。


なぜ、豊かな国日本で、このような事が起こるのでしょうか?


オルテガさんが、日本に来たのはまさにその事を耳にしたからでした。


エスペランサとは、スペイン語で「希望」のことです。
子供たちに、サッカーを通して、本当の「希望」を伝えたい。それが、オルテガさんと、エスペランサのスタッフの共通の思いとなり、サッカースクール・エスペランサがスタートしました。


その土台となるのは、聖書(バイブル)です。
聖書とは、文字通り、人生のバイブルなのです。

ここでは、少しずつ、聖書のメッセージを、少しずつ皆さんと分かち合っていきたいと思います。それこそが、エスペランサのちからの源であり、希望の源だからです。エスペランサでは、サッカーだけでなく、一生続く宝物として、聖書のメッセージを心の中に蓄えていってもらいたいと心から願っています。

皆様の祝福を心から祈りつつ・・・。