2015年3月26日木曜日

悲しんだ

おはようございます!

◆今日の聖書◆
彼らがガリラヤに集まっていたとき、イエスは彼らに言われた。「人の子は、いまに人々の手に渡されます。そして彼らに殺されるが、三日目によみがえります。」すると、彼らは非常に悲しんだ。(マタイ17:22-23)

◆どういうこと?◆
イエス様は弟子たちに、十字架の死と復活を予告されました。

すると彼らはただ悲しみました。なぜでしょう。「彼らに殺される」ということばが強烈で、それに圧倒されてしまったのです。常識的に考えても、「三日目によみがえる」ということばがピンと来なかったのかもしれません。

ボクたちはどうでしょう。マイナスと思えることが目の前にあると、その向こう側に希望が約束されていても、目の前のことで頭と心がいっぱいになってしまうことはないでしょうか。人の言葉を聞くときに、たったひとつの言葉にひっかかって、本当に伝えたかったことを受け取れていないことはないでしょうか?

ボクたちの理解には限界があります。しかし、だからこそいつもへりくだって、表面上のことばだけでなく、神様の意図している本当の意味や意図を追求し続けていく必要があるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、どうかあなたの希望のメッセージに目を留めていくことができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年3月25日水曜日

自分を捨てて

おはようございます!

◆今日の聖書◆
それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。(マタイ16:24-25)

◆どういうこと?◆
「自分を捨ててわたしに従いなさい」とイエス様は言われます。
自分を捨ててしまったら、私はいったい何者になってしまうのでしょうか?

しかし、よくよく考えてみると、何かを達成しようとしたり、何かを追求しようとするとき、一番邪魔になっているのは自分自身だったりします。自分で自分の限界を決めてしまっていたり、自分の怠惰さや弱さが足をひっぱったり、自分の傲慢さが結果として人々との関係を遠ざけたり。

イエス様は、そんな私の身代わりとして死んでくださり、自分自身に縛られない道を用意してくださいました。私のために死んでくださった方のために自分を差し出し、新しい命に生きるという道です。

人は、だれでもやり直すことが出来ます。イエス様に従う道は、新しい希望にあふれています。もし、あなたが今イエス様を信じているのに、何も変わらないと感じているとしたら、まだ古い自分にとらわれているのかもしれません。そんな自分を捨てなさいとイエス様は言われるのです。さあ、一歩踏み出してみませんか?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、自分を捨ててあなたに従っていきます。新しいいのちと希望に歩ませてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年3月18日水曜日

御国が近づいた

おはようございます!

◆今日の聖書◆
行って、「天の御国が近づいた」と宣べ伝えなさい。(マタイ10:7)

◆どういうこと?◆
「近づいた」とは「手の届くところにある」ということです。イエス様が世にもたらされた救いと天の祝福は、誰でも受け取ることができる特別なプレゼントなのです。

でも、もしその素晴らしいプレゼントのことを知らなかったら、どうやってそれを受け取ればいいのでしょうか?そのことを伝える人がいなければ、どうやってそれを聞くことができるでしょう。

イエス様の十字架によって救いをいただいたボクたちは、その恵みを自分の中でとどめておくのではなく、まわりの人にも伝えていく必要があります。

なぜなら、イエス様と出会い、心の中に住んで頂くなら、どんな困難な状況にも解決が与えられ、新しい希望に満ちて歩み出すことができるからです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、私もあなたのうちにある救いを宣べ伝えることができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年3月17日火曜日

失われた羊

おはようございます!

◆今日の聖書◆
イエスはこの十二人を 遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。・・・イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい(マタイ10:5-6)

◆どういうこと?◆
イエス様は12人を「イスラエルの家の失われた羊」のところに派遣されました。

「イスラエルの家の失われた羊」とはどのような人たちのことでしょうか?もともと、イスラエルの民は神様に特別に選ばれた民です。しかし、それにもかかわらず、神様との恵みと交わりを見失って罪の闇の中に歩んでいた人たちのことを「イスラエルの家の失われた羊」とイエス様は呼びました。

人は、どんなに罪の中に歩んでいても、物事が思い通りにいっているうちは、自分が「失われた羊」だと自覚することはありません。しかし、そんな彼らでも、人間関係につまずいたり、行き詰まりを感じたり、健康を害したりして助けを求めることがあります。弟子たちは、まずそのような人のところに遣わされたのです。

この先、困難を覚えたときは思い起こしてください。イエス様は、ボクたちが行き詰まり、倒れそうになって、助けを求めるとき、必ず救いの道を示してくださいます。イエス様の救いは、あなたのためのものだからです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、私も失われた羊の一人です。どうかあなたの道に歩ませてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年3月16日月曜日

権威

おはようございます!

◆今日の聖書◆
イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。(マタイ10:1)

◆どういうこと?◆
イエス様は弟子たちに、働きに必要な権威を与えられました。

「権威」とは何でしょう?それは他の人を服従させることができる力です。

神様は、その力を、病気やわずらいで苦しんでいる人々に仕えるために用いるようにと言われました。
しかし、人はそのような力を持つと、何か自分が偉くなったかのように勘違いして振る舞い、傲慢になってしまいがちです。

力が与えられるということは、それを正しく用いるための訓練の始まりでもあります。あなたも、サッカー選手になったり、何か教える立場についたり、あるいはグループのリーダーになったり、なんらかの力を持つ瞬間があるでしょう。その時、あなたは正しく振る舞えるでしょうか?そこから自分の人格を磨くことができるでしょうか?いつでも、へりくだって学ぶ姿勢を持つものとならせていただきたいものです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、与えられた力を正しく用いられるように、いつでも謙遜に学ぶものとさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年3月14日土曜日

働き手

おはようございます!

◆今日の聖書◆
そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」(マタイ9:37-38)

◆どういうこと?◆
収穫とは、人々の救いのことです。世界中で多くの人が本当の救いを必要としています。しかし、イエス様は言われます。「働き手が少ない」

今から2000年も前に語られたこのことばを受けて、弟子たちはイエス様を通して与えられる救いを(福音)を命がけで伝える働き人となりました。それ以来、国を超え、時代を超え、今も多くの人がこの福音を伝えるためにその人生をささげています。ある人は宣教師として、ある人は牧師として、ある人はビジネスマンとして、ある人は学生として、またある人はサッカー選手として。

私たちも祈りましょう。「収穫のために働き手を送ってください。」
その働き手とは、あなたのことかもしれません。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、人々の救いのための働き手を送ってください。そして私も働き手として用いてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年3月13日金曜日

収穫は多い

おはようございます!

◆今日の聖書◆
(イエスは)群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。(マタイ9:36-37)

◆どういうこと?◆
18歳の少年が13歳の少年の命を奪うような、痛ましいニュースをボクたちは聞いています。皆さんの身近にも、いじめや暴力で毎日暗い思いを抱えながら何とか過ごしている人がいるでしょう。そうでなくても、人生の目的がわからなかったり、ちょっとしたことで気力がなくなったりして、引きこもってしまうケースが増えています。

人々がしいたげられています。誰も顧みる人がいなくて、弱り果てて、倒れています。イエス様は、そんな群衆を見て、彼らをかわいそうに思い、腸がねじれるほどの痛みを感じられました。

イエス様は、このような状況を見て「収穫は多い」と言われました。イエス様は、病人を癒すため、友なき人の友となるために来られました。イエス様は彼らを決して見捨てることはしません。イエス様はあなたを決して見捨てることはしません。そこに本当の救いがもたらされるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、心の痛み、苦しみの中であなたを見上げます。この状況の中であなたと出会い、本当の救いへと導いてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年3月12日木曜日

なぜこわがるのか

おはようございます!

◆今日の聖書◆
イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。(マタイ8:26)

◆どういうこと?◆
弟子たちはイエス様と一緒に舟に乗っていました。すると激しい大暴風が起こり舟が沈みそうになってしまったのです。ところが何ということでしょう、イエス様は眠っておられます!パニックになった弟子たちは、イエス様を起こして言いました。「主よ、助けてください!私たちはおぼれそうです!!」

今日のことばは、そんな弟子たちに向けて語られました。
「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ」

「恐れ」は信仰を妨げます。「恐れ」が心を支配すると、信仰が働きにくくなります。思い通りにならなかったり、今までの経験や常識から悪い結果を予想して勝手に不安になったり、失敗して怒られるのが怖かったり、恐れの原因はいろいろあるでしょう。

でも確実に言えるのは、イエス様はボクたちに、目の前の状況にまどわされずに、信じることを求めておられます。

イエス様は、この激しい嵐をも静められました。ボクたちのまわりの様々な状況も静めることができるお方です。今日もこの方を信頼して、恐れずに進みましょう!

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、恐れに心を支配させることなく、あなたを100%信じて歩めますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年3月11日水曜日

網を捨てて

おはようございます!

◆今日の聖書◆
彼らはすぐに網を捨てて従った(マタイ4:20)

◆どういうこと?◆
イエス様から声をかけられ、弟子となるようにと招かれた漁師ペテロとアンデレ。
彼らはすぐに、網を捨てて、従いました。

網(あみ)は、漁につかう道具です。当時の漁は網を水の中にいれ、ひっかかった魚を引き上げるというものだったので、網がないと仕事になりませんでした。しかし彼らは「網を捨てて」従ったというのです。これは何を意味するのでしょうか?

ここには象徴的な意味があります。網を用いて自分で自分を養う生き方から、イエス様に従うことを第一として歩む生き方への転換です。

あなたは、神様を信じる、神様に従うと言いながら、自分の力により頼んではいませんか?神様に従うことよりももっと大切にしているものはありませんか?今日、自分の優先順位がどうなっているか、吟味してみましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたを第一として歩みます。私も自分の網を捨てて、すぐに従っていけますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年3月10日火曜日

人間をとる

おはようございます!

◆今日の聖書◆
イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」(マタイ4:18-19)

◆どういうこと?◆
イエス様の弟子となるとは「人間をとる漁師」となることです。漁師の目的は、たくさんの魚をとることです。同じように、弟子の目的は、たくさんの人間をとることです。

「人間をとる」というのはどういうことでしょうか。

ボクたち人間はみな罪に汚れていて、どこに向かって歩めばいいのかもわからず、やがて滅びる存在です。しかし、ただ一人罪のないお方であるイエス様が、ボクたちの身代わりとなって十字架で死んでくださったことにより、イエス様を信じる人には永遠のいのちへの道が開かれました。

人間をとる漁師の仕事は、滅ぶべき人を永遠のいのちへと導くことです。つまり、イエス様の十字架のわざを人々に伝え、イエス様を信じる信仰へと導くことなのです。

あなたも人間をとる漁師となることができます。サッカー選手になっても、何をすることになっても、イエス様の弟子として歩んでいきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、私を人間をとる漁師としてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年3月9日月曜日

漁師たち

おはようございます!

◆今日の聖書◆
イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」(マタイ4:18-19)

◆どういうこと?◆
この時代、漁師はとても身分の低い職業でした。ペテロとアンデレは、ガリラヤ湖の辺境で仕事をしている、無学な普通の人でした。そして、多くの欠点もありました。

しかし、イエス様はこの二人に目を留め、声をかけ、イエス様の弟子として招かれたのです。

イエス様が弟子として人を選ぶとき、人の基準や資格ではなく、ただ神様の恵みによって選ばれます。ペテロは、後に使徒ペテロとして、初期のキリスト教のリーダーとなりました。

イエス様は、あなたをも弟子として招いておられます。神様は、あなたのうちにある可能性を、ちゃんと見極めて、知っていてくださるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、自分では何の資格もないと感じても、あなたは私を弟子として招いてくださっています。どうか、あなたに信頼して、弟子として歩むことができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年3月6日金曜日

そうです、主よ

おはようございます!


◆今日の聖書◆
家に入られると、その盲人たちはみもとにやって来た。イエスが「わたしにそんなことができると信じるのか」と言われると、彼らは「そうです。主よ」と言った。そこで、イエスは彼らの目にさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われた。(マタイ9:28-29)

◆どういうこと?◆
イエス様は、奇跡を行う前に盲人たちに聞きました。
「わたしにそんなことが出来ると信じるのか?」

今日、同じことをイエス様は僕たちにも聞いています。「わたしにそんなことご出来ると信じるのか?」

神様のわざを体験するカギは、素直な信仰です。盲人たちは答えました。
「そうです、主よ。」

僕たちもまっすぐな心で神様の前に告白しよう。「そうです、主よ。あなたにはお出来になります!」

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、もっと素直にあなたを信じて歩めますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年3月5日木曜日

死にました・・・でも

おはようございます!


◆今日の聖書◆ イエスがこれらのことを話しておられると、見よ、ひとりの会堂管理者が来て、ひれ伏して言った。「私の娘がいま死にました。でも、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。そうすれば娘は生き返ります。」(マタイ9:18)

◆どういうこと?◆
なんという信仰でしょう!?

死んでしまったらすべてが終わりです。少なくとも普通はそう考えるでしょう。でも、この人はその事実を受け入れず、自分の娘が死んでなお、イエス様の前にひれ伏しました。

ボクたちは、あまりにも簡単にあきらめてしまっていないでしょうか?あまりにも、聞き分けが良すぎるのではないでしょうか。自分を納得させる理由を考えて自分自身に言い聞かせることで、絶対そうなってほしくないという結果を、ジタバタせずに受け入れることに慣れていないでしょうか。もちろん、それも一つの素晴らしい態度です。しかし、その納得できないものを、真剣にイエス様の所に持っていくなら、事態は変わるのです。

イエス様は、この会堂管理者の信仰を見て、その娘をよみがえらせました。信仰が彼女をいやしたのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、もっと大胆にあなたを信頼して求めていけますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年3月4日水曜日

信仰を見て

おはようございます!


◆今日の聖書◆
すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と言われた。(マタイ9:2)

◆どういうこと?◆
中風とは、病からだが麻痺してしまい、時にはうまくしゃべれなくなってしまうような症状のことを言います。彼は自分から動き出すことはできず、しゃべることもできず、ただベッドの上でうなりながら寝ていることしかできませんでした。

でも、彼の友人たちに信仰が与えられました。「あのイエス様のところに連れて行けば、絶対この中風も癒される!」そう堅く信じた彼らは、協力してそのベッドごと運んでイエス様のところに連れてきたのです。

イエス様に不可能はない!と信じきる信仰。イエス様はその心の中の動機にしっかりと目を留めてくださいます。神様の力を体験する鍵は、ボクたちの信仰なのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたには不可能はありません。いつもそう単純にあなたに信頼する信仰を持つことが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年3月2日月曜日

お心一つで

おはようございます!


◆今日の聖書◆
すると、ツァラアトに冒された人がみもとに来て、ひれ伏して言った。「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」(マタイ8:2)

◆どういうこと?◆
ツァラアトというのは重い皮膚の病気です。ツァラアトにおかされると、他の人に伝染しないように隔離され、健康な人の前に出ることは固く禁じられていました。

しかし、彼はイエス様の話を物陰から聞いていました。そして聞くうちに信仰が与えられました。そして主の愛にとらえられ、イエス様は必ずいやしてくださると確信し、まわりの目も気にせずに、イエス様の前に信仰の告白をしました。

どうせ自分には受け入れられる資格はない、と心を閉ざしてしまう私たち。確かに、そんな私たちが、きよい神様の前に出る資格などないのです。でも、神様の前に信頼し、信仰をもって進みゆくなら、神様はその信仰を拒むことはありません。主の愛を体験し、信仰の通りに主は導いてくださるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、どうせダメだと思う私です。あなたの愛を知り、信仰をもって大胆にあなたの前に出たいです。助けてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!