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2010年11月15日月曜日

栄光は神に

おはよう!やったね!市長旗杯優勝おめでとう!!最高だったね!技術面はもちろん、フィジカルでも、メンタルでも、チームワークでも、みんなが一生懸命努力して来たことの成果だと思います。本当におめでとう!

◆今日の聖書◆
わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。(イザヤ書43:7)

◆どういうこと?◆
ボクたちは、何をするにも目的がなければやりがいを感じる事はできません。サッカーの試合であれば勝利する事であり、優勝する事。サッカー少年であれば、将来プロのサッカー選手になること。ボクたちは、その目標が明確であればあるほど、どんなことでも強い気持ちをもって頑張る事ができるのです。

では、ボクたちの人生の目的とは何でしょうか。

神様は、その答えの一つは「神様の栄光をあらわすため」だと言っています。つまり、ボクたちの人生を通して、神様の素晴らしさをあらわしていくということなのです。

「栄光」とは、周囲から高い評価を受けることです。サッカーに優勝すれば、ボクたちは人々から高い評価を受け、「栄光を手にした」と表現したりします。それは素晴らしいことですし、気持ちのいいことです。でも、それらすべてのことを通して「神様は素晴らしい!」と、ボクたち自身もまわりの人々も言えるようになっていくことこそが、より充実した人生を送るカギなのです。

なぜなら、人間は本当に高ぶりやすい者だからです。何度も見て来たように、高ぶった人はそれ以上成長しないばかりか、どんどん落ちて行きます。すべての栄光を独り占めにする人は、進歩のない人なのです。しかし、へりくだった人は、もっともっと成長して、さらに高いレベルへと進む事が出来るのです。

もしボクたちがへりくだるなら、サッカーを通して神様に栄光をあらわすことが出来ます。だから、ボクたちを造ってくださった神様にいつも感謝をささげ、栄光をささげていきましょう。そうすれば、ボクたちの人生はいつまで経っても進歩があり、最高にエキサイティングなものとなるのです。

◆考えてみよう◆
神様に感謝したほうがいいと思うことを、できるだけたくさん考えてみよう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、ボクの人生を通してあなたの栄光をあらわさせてください。ボクが栄光を受けた時は、あなたに感謝をささげて栄光をお返しすることができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」


栄光は主のもの!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月13日土曜日

心を一つにする

おはよう!さあ、大切な試合がたくさんつまった週末だね。落ち着いて今までの練習の成果を出し切れば必ず勝てます!信じて頑張ろう!!

◆今日の聖書◆
こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。(創世記11:8,9)

◆どういうこと?◆
人々は互いにことばが通じなくなって、いろんな地域に散らされてしまいました。人間たちの高ぶった悪い計画が実行出来ないようにするためでした。

でも神様は、ずーっと後の時代にすばらしい計画を用意されていたのです。

「この人たちは・・・みな心を合わせ、祈りに専念していた。・・・すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」(使徒の働き1:14,2:4)

この人々は、心をあわせて祈るために集まっていました。するとみんなは聖霊(=神様の霊)に満たされたのです。そして、何と聖霊に満たされた彼らは、互いにことばが通じなくなっていた一つ一つの国の言葉を話すことが出来るようになったのです!

もともと神様は、高ぶって悪いことで一致をする人々を嫌い、ことばを混乱させて散らしました。でも、正しいことで一致する人々のことは祝福し、神様からの特別な力を注いでくださるのです。それは、神様の素晴らしさが全ての人にのべ伝えられるためです。

神様は、ボクたちが良いことで再び一つになることを望んでいます。そのために神様は、ボクたちの心に聖霊を満たしてくれるのです。

◆考えてみよう◆
正しいことで一致出来る仲間、祈り合ったり真剣に話し合ったりできる仲間はいるかな?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、素晴らしい仲間を感謝します。一致してあなたを待ち望み、聖霊に満たされて力を得ることが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

心を一つにしよう!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月11日木曜日

高ぶりの危険

おはようございます!!今日からは、有名な「バベルの塔」の話になります。

◆今日の聖書◆
さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。・・・彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青(れきせい、アスファルトのこと)を用いた。そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔をを建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」(創世記11:1,3,4)

◆どういうこと?◆
仲間って素晴らしいです。みんなが思いを一つにして何かをするとき何とも言えない充実感があり、みんなで協力して力を合わせるなら、ひとりでは出来なかった大きなことが出来るようになります。

でも、時々みんなで一致することが良くない場合もあります。それは、悪いことをしようとするときです。悪いことの場合は、みんなで一致して行なうと最悪の結果になります。そういう場合には、あえてまわりの空気を読まないで、正しいことを選ぶことができる心の強さが必要です。そして、良いことで一致出来る仲間と過ごすことが大切です。

ノアの子孫から再び広がっていった人間たちは、自分たちの手にした能力や技術で「何でもできる」と勘違いしました。そして、自分たちがいかにスゴいかを見せつけるために、高い塔を作ろうとしました。これは人々の高慢です。神は高ぶった人を受け入れることは出来ません。

高ぶりは、諸悪の根源です。今、自分の心に高ぶった思いがないか点検してみよう。

◆考えてみよう◆
1. 最近、何か高ぶった思いになっていることはないかな?

2. 悪いことで心を一つにしてしまうような仲間はいないかな?その空気を変えていく勇気はある?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、高ぶることがないように守ってください。悪い仲間と一致するのではなく、良い仲間と良いことで一致していくことができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

良い仲間は財産だよ!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤