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2010年11月3日水曜日

うしろの扉

おはようございます!3年生は最後のリーグ戦、そして週末に向けて良い調整の時となると思います。悔いの残らないように、ベストを尽くして頑張ろう!!

◆今日の聖書◆
入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。(創世記7:16)

◆どういうこと?◆
「やばい、電車に遅れる!!」

君は、人々の流れに逆らって、ダッシュで駅の階段をかけ上がる。

「くそっ、何でよりによって、急いでる時にこんなに混んでるんだ??汗」

到着したばかりの電車に乗らなければ、確実に遅刻だ。君は、なりふり構わず人をかき分け、一目散に電車に飛び込んだ!

ぎりぎりセーフ!電車のドアは君のカバンをかすめながら、静かに閉まった。

「間に合った!」

君は、ホッと一息・・・。何とも言えない安心感。


ノアの後ろで神様が扉を閉めた時、ノアはきっとそんな風に感じたんじゃないかな。やるべきことはやった。あとは神様がすべてを完成させてくださる!

神様はボクたちのうしろの戸を閉じてくださる方です。

もちろん、ノアはボクたちみたいに遅刻しそうになって慌てて行動していた訳じゃありません。でもそれはそれとして、もしボクたちが神様を信頼して行動するなら、神様は必ず最後まで責任を取ってくれます。もしボクたちが神様を信頼してその人生を神様にゆだねるなら、神様は必ずボクたちのたましいに責任を持ってくれます。

神様は、救いを完成させてくださる方なのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたは救いを完成させてくださる方です。ですから、あなたに信頼して人生をゆだねていくことができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

神様がいるから安心だよ!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年10月30日土曜日

救いの方法

おはよう!今日は、結局試合中止になっちゃったね!!台風だから、みんな吹き飛ばされないように注意してね!(洪水にならないといいんだけど笑)

◆今日の聖書◆
「あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。・・・わたしは今、いのちの息のあるすべての肉なるものを、天の下から滅ぼすために、地上の大水、大洪水を起こそうとしている。地上のすべてのものは死に絶えなければならない。しかし、わたしは、あなたと契約を結ぼう。あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻といっしょに箱舟に入りなさい。」(創世記6:14,17,18)

◆どういうこと?◆
神様は、この世界を洪水で滅ぼすことを決意しました。でもノアにだけは一つの約束をしました。もしノアが神様に命じられた通りの箱舟をつくり、ノアとその家族(と動物たち)がその中に入るなら、彼らは生き延びる事ができるようになるということです。

実はこれ、神様がイエス・キリストの十字架を通してボクたちを救ってくださる方法と良く似ているんです。

イエス・キリストは、ボクたちの身代わりとなって十字架の上で死んでくださいました。それによってボクたちに愛が分かり、救いの道がひらかれたのです。イエス・キリストの十字架を信じる人は、誰でも救われます。「信じる」とは、ちょうどノアとその家族が箱舟に乗るようなものです。何も難しいことはありません。ただ信じてその通り行動するだけです。

もし、ノアやボクたちが、どんなに自分たちの力で頑張ってみても、滅びをのがれることはできません。ただ、神様が用意した道だけが唯一の救いの道なのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、イエス・キリストの十字架を通してでなければ、救いはありません。ノアが信じて箱舟に入ったように、ボクも信じて救いの道を歩めますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

十字架は救いの道です!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年10月26日火曜日

叱られる時

おはようございます!

◆今日の聖書◆
そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」(創世記6:7)

◆どういうこと?◆
ある小学生がこういう風に言っていました。「うちらの担任、チョーいい先生だぜ。やさしいし、全然怒んないし。」

確かに怒らない先生は人気があるでしょう。逆に、口うるさく注意する先生はきっと、「うざい」先生ということで、避けられてしまうのかもしれません。でも、そんな中で、誰かこの子たちのために、本気で叱ってくれる先生はいないのかな・・・?と疑問に思いました。

ボクたちは何をするのも自由です。でも、間違ったことをしたらその結果に対しての責任を負わなければいけません。そして、それは誰かに教えてもらわなければ(叱られなければ)分からないのです。

神様は、苦しんだ結果、一度地上のすべての人々を消し去ることを決意しました。でも、神様は単なる「罰」を与えたのではありません。これから先、神様の壮大な計画の中で、イエス・キリストの十字架による「救い」へと導くための、大切な一歩となったのです。

◆考えてみよう◆
1. 今自分にとって、悪いことをきちっと叱ってくれる存在は誰かな?

2. それをウザイと思う?それとも感謝してる?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、罪を犯してその結果として責任を負う時、そこからも学ぶことが出来るようにしてください。ボクが正しい道を選べるように、あえて叱ってくれる人を感謝し、尊敬出来るようにしてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

感謝して歩もう!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤