2010年11月30日火曜日

信仰の目

おはよう!U-13リーグの結果が更新されてます。どうやら、Bチームの昇格は間違いないようですね!!おめでとう!

◆今日の聖書◆
ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが目渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。」(創世記13:14-16)

◆どういうこと?◆
君は将来サッカー選手になりたい?って聞くと、エスペランサでは、ほぼ100%「なりたいです!」と答えると思います。でも、ちょっとした挫折や、失敗、劣等感が積み重なると、だんだん自信がなくなって、あんなに熱かった夢を、あきらめたくなった事もあるかも知れません。

ボクたちは、なりたい自分になろうとする時、絶対に失ってはいけないものがあります。それは「ビジョン」です。「ビジョン」とは、将来を見ることです。まだ、それが実現していないうちから、それを思い描いて見るのです。それこそが「信仰」と呼ばれるものの正体です。

神様は、がっかりして肩を落としていたアブラムに、もう一度約束を与えてくれました。「さあ、目を上げて見てごらん!わたしは、この場所を永久にあなたに与えよう。そして、あなたの子孫を数えられないほどに増やしてみせるよ!」

アブラムは、言われた通り目を上げてこの地を見渡しました。すると、何も変わらないはずのその土地が、今度は輝いて見えるのです!なぜでしょう?アブラムに「信仰の目」が与えられたからです。今まで見えなかった、将来の素晴らしい姿が見えるようになったのです。

疲れた時、落ち込んだ時、神様は励ましてくれます。「さあ、君も目を上げて見てごらんなさい!」目を閉じて、信仰の目で将来の自分をしっかりと見てください。そこにはきっと、君の輝かしい将来が映し出されているはずです!!

◆考えてみよう◆
1. 夢をあきらめたくなった事ってある?それはどんな時?

2. どうしたらもう一度その思いを熱く燃やすことが出来るだろう?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、信仰の目を与えてください。いつでも強い心をもって、神様の約束を待ち望むことが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

君の将来は輝いているよ!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月29日月曜日

悩みを乗り越える

おはようございます!

◆今日の聖書◆
ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、・・・その地は・・・、主の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。それで、ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、東のほうに移動した。こうして彼らは互いに別れた。アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住んで、ソドムの近くまで天幕を張った。(創世記13:10-12)

◆どういうこと?◆
目の前には、よく潤っていて多くの実りがありそうな良い土地。ロトは、真っ先にこの一番いい場所をゲットしました。

アブラムは、ひょっとしたら、ロトが「おじさんこそ、先に選んでください」と言ってくれることを少しは期待していたのかも知れません。でも、そんな期待はもろくも崩れてしまいました。アブラムは、がっかりしました。自分は神様に祈り、正しいと信じて決断したことだったのに、やっぱり結果はこれか・・・。なぜなんだ・・・!?

ボクたちも、正しく行なったのに、結果がついてこないことがあります。なんでこんな風になってしまったのか、自分でも訳が分からないような状況に追いつめられてしまうこともあります。祈ってもすぐに良い結果が出ないと、すべて意味がないんじゃないかと思ったりします。

でも、そこで落ち込んで終わりではいけません。聖書はこう言っているのです。

「正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。」(詩篇34:19)

すぐにうまくいかなくても、神様を信頼し続けましょう。神様は、君を必ず助け出すと約束してくださっているのです!

◆考えてみよう◆
正しく頑張ったのに、良い結果が出なくて悩んでいることってある?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、悩みの中でも、あなたを信頼し続けることが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

神様は必ず救い出してくれるよ!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月28日日曜日

祈って決断する

おはようございます!昨日の3年生の試合は完勝だったみたいだね。おめでとう!直前の時間変更とか、難しい状況にも動じないで戦えたのも良かったと思います。

◆今日の聖書◆
そのうえ、アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちとの間に、争いが起こった。・・・そこで、アブラムはロトに言った。「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」(創世記13:7-9)

◆どういうこと?◆
目の前にケーキが2種類置いてあります。1つは大きくて、しかも見るからにうまそうなケーキ。もう一つは、ちいさくでショボいケーキ。君は、友達とそのケーキをわけ合わなければなりません。さて、君ならどうやって分ける?

アブラムは、ロトとの間に争いが起こった時、ロトに驚くべき提案をしました。

「あなたが、まず先に好きな方を選びなさい。私は残った方で構わないから。」

これは、ボクたちの常識では考えられないことです!もしこれが、本当にどっちのケーキを食べるかという問題であれば、遠慮して相手に譲るという人もいるかも知れません。でも、アブラムにとっては、これからの一生を左右するような決定的な決断だったのです。家畜全部を養えるか、生活が出来るのか、約束どおり神様の祝福を受けられるかどうかという分かれ目だったからです。

アブラムは、おいのロトに対しては、絶対的な権威がありました。それなのに、なぜアブラムは、一見損に見える決断をしたのでしょうか。それは、神様から与えられた知恵だったのです。彼はこの決断の前に祈っていました。祈りは、ボクたちの決断に心の確信を与えてくれます。そして神様に祈る時、ボクたちは時々、常識を超えた知恵が与えられることがあるのです。

アブラムは、実際この先どうなるかは、分かりませんでした。でも祈りの中で、ただ神に信頼して決断したのです。

◆考えてみよう◆
何かを決断するとき、祈って決めたことってある?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、何かを決断するとき、祈って決めることができますように。祈って決めたなら、あとは神様に信頼して自信をもって出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

祈り、決断、信頼、Go!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月27日土曜日

モノに囲まれたとき

おはよう!チャプレンはとうとう熱を出して風邪を引いてしまいました(>_<;)みんなもこの季節気をつけてね!さあ、今日は3年生の試合だね。残された一試合一試合、大切に戦おう!

◆今日の聖書◆
アブラムは家畜と銀と金とに非常に富んでいた。・・・アブラムといっしょに行ったロトもまた、羊の群れや牛の群れ、天幕を所有していた。その地は彼らがいっしょに住むのに十分ではなかった。彼らの持ち物が多すぎたので、彼らがいっしょに住むことができなかったのである。(創世記13:2,5,6)

◆どういうこと?◆
ボクたちは、多くのモノに囲まれて生きています。人よりもいいモノを持ってると優越感を感じたり、たくさん持ってるとそれだけで安心という人もいるかもしれません。でも、覚えておいて欲しいのは、最終的には、財産やモノが人を幸せにするのではないということです。

アブラムはこの旅の道中、財産のすべてを持って歩いていました。そしてそれがあまりにも多すぎたので、家族が一緒に住むことが出来ないほどになってしまっていました。もちろん、多くの財産を得ることはすばらしい事です!でも、逆にその財産が自分の足を引っ張って、自由がなくなるということもあるのです。

イエス・キリストは、「受けるよりも与えるほうが幸いである」と言われました。(使徒の働き20:35)

多くのものを所有するのは恵みです。でも、それらを人々のために与えて行く生活の方が、もっと恵みなのです。そういう心を持った人こそ、財産のあるなしに関わらず、本当に豊かな人なのです。

◆考えてみよう◆
受けるよりも、与えるほうが幸いだと思える?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、受けるよりも与える幸いを知っていくことが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

自分から与えはじめてみよう!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月26日金曜日

心を通わせる

おはようございます。

◆今日の聖書◆
それで、アブラムは、エジプトを出て、ネゲブに上った。彼と、妻のサライと、すべての所有物と、ロトもいっしょであった。・・・彼はネゲブから旅を続けて、ベテルまで、すなわち、ベテルとアイの間で、初めに天幕を張った所まで来た。そこは彼が以前に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは、主の御名によって祈った。(創世記13:1,3,4)

◆どういうこと?◆
中学生ぐらいだと、最近家族との会話がだんだん少なくなってしまった、という人もいるかも知れないね。その理由が何であれ、会話が少なくなると、お互いの心が少しずつすれ違い、何となくギクシャクしてきます。でも、みんなには少し照れくさいかもしれないけど、やっぱり家族との心が通いあう会話って、いいものです。

「祈り」というのは、神様との会話です。「祈り」とは、神様と心を通わせることです。祈るとは、単なる願い事ではありません。感謝したり、嬉しかったことを話したり、悲しかったときにそれを打ち明けたり、どんな事でも神様に向って話しかけることが出来るのです。

アブラムは、しばらく「祈り」をおこたっていました。だから、何となく神様から遠く離れているような感じがしました。でも、以前に礼拝をささげた記念の場所に戻ってきた時、彼は我に帰ったのです。そして、自分が「祈り」を忘れていたことを思い起こし、もう一度神様に心を込めてお祈りをしました。

神様は、いつでもボクたちの話を聞く準備が出来ています。どんな時でも、語りかける事が出来ます。ほんの少しだけでも、そうやって神様に心を向けることで、ボクたちの心は、不思議と落ち着いて、力が湧いて来るのです。

◆考えてみよう◆
毎日少しずつでも祈るとしたら、一日の内のどこで時間をとる?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、いつでも祈ることが出来るように助けてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

祈りは力です!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月25日木曜日

正しい影響力

おはようございまーす!

◆今日の聖書◆
そこでパロはアブラムを呼び寄せて言った。「あなたはいったい何ということをしたのか。なぜ彼女があなたの妻であることを、告げなかったのか。なぜ彼女があなたの妹だと言ったのか。だから、私は彼女を私の妻として召し入れていた。しかし、さあ今、あなたの妻を連れて行きなさい。」(創世記12:18-19)

◆どういうこと?◆
アブラムは結局追い出されることになりました。

はじめ、アブラムは自分の身を守ることしか考えていませんでした。でもその結果、エジプトの王であるパロに罪を犯させ、国全体に災いをもたらす結果となってしまったのです。

イエス・キリストはこの様に言っています。
「あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。」(マタイ5:13)

塩は、味付けをしたり、腐るのを防いだりするのに使います。同じように、ボクたちは本来、この世が間違った方向に行かないように、正しい価値観で影響を与えていく存在なのです。ウソをついて誤摩化したり、自己中心になって周りのことを考えないのは、この世界の間違った価値観です。ボクたちが、そのようなものに染まってしまっては、本来の役割を果たすことが出来ません。

誰に対してでも、塩けをつけることが出来る生き方を目指しましょう。

◆考えてみよう◆
1. 自分が「地の塩」として人々に影響力を与えられていることはあるかな?

2. どうすれば、友達に良い影響を与えられるかな?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、正しい価値観で生きることが出来ますように。そして、世界に、友達に、良い影響を与えて行くことができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

君も「地の塩」なんだよ!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月24日水曜日

バレなきゃいいの?

おはようございます!

◆今日の聖書◆
アブラムがエジプトに入って行くと、エジプト人は、その女が非常に美しいのを見た。パロの高官たちが彼女を見て、パロに彼女を推賞したので、彼女はパロの宮廷に召し入れられた。パロは彼女のために、アブラムによくしてやり、それでアブラムは羊の群れ、ろば、それに男女の奴隷、雌ろば、らくだを所有するようになった。しかし、主はアブラムの妻サライのことで、パロと、その家をひどい災害で痛めつけた。(創世記12:14-17)

◆どういうこと?◆
サッカーで、中学3年生が2年生の試合に出れば有利だよね。みんなは、年齢をウソついて下の学年の試合に出ても、バレなければいいと思う?・・・そんなことはないよね?たとえ人の目を誤摩化すことができたとしても、神様の目を誤摩化すことは出来ないのです。

アブラムの予想どおり、エジプトに入るとサライの美しさのゆえに、アブラムはもてはやされました。一見、アブラムが自分の妻のことを妹だと偽ったのが成功したように見えます。でも、それは長続きしませんでした。アブラムはひどい災害で痛めつけられました。神様は、アブラムの不正直さや、人々に対する恐れ、そして何よりも神様を信頼しなかったことを、そのままにしておくわけにはいかなかったのです。

もちろん、ルールに基づいた「ずるがしこさ」は必要です。ゲームが成立するためには、頭を使った、かけひきも必要だからです。

でも世の中には、ルールを無視して、目先の利益だけを求めて、ずるをして得をしようと考える人もいます。ひょっとしたら、ほんの少しだけ楽しい気分を味わうことが出来るかもしれません。でも、結局最後には、正しく行なった人が勝利するのです。

◆考えてみよう◆
1. 目先の利益だけを求めて、ずるをして得をするって、例えばどんな事があるかな?

2. 正しいことをするのと、ずるいことをするの、どっちが得だと思う?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、ずるではなく、ただしく行なって勝利を得ることができるように守ってください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

正々堂々、戦おう!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月23日火曜日

ウソで誤摩化さない

おはようございます!!

◆今日の聖書◆
彼はエジプトに近づき、そこに入ろうとするとき、妻のサライに言った。「聞いておくれ。あなたが見目麗しい女だということを私は知っている。エジプト人は、あなたを見るようになると、この女は彼の妻だと言って、私を殺すが、あなたは生かしておくだろう。どうか、私の妹だと言ってくれ。そうすれば、あなたのおかげで私にも良くしてくれ、あなたのおかげで私は生きのびるだろう。」(創世記12:11-13)

◆どういうこと?◆
バレたらやばい!・・・そう考えて、とっさに思いついたウソ。一度ウソをつくと、ずーっとそのウソを続けなくちゃいけなくて、かえって苦しい目にあうものです。いつかはバレるんじゃないかってドキドキして、ちょっとしたことで逆ギレしてみたり、ウソにウソを塗り重ねて、どんどん自由じゃなくなってしまうことがります。

アブラムは、妻のサライがあまりにも美しかったので、エジプトに行ったら自分がボコボコにされて奥さんを奪われると思いました。それで、奥さんに「アブラムの妹」だと言わせたのです。自分の身を守ることだけを考えて、ウソをついて誤摩化そうとしたのです。

アブラムには、バカらしい考えしか生まれてきませんでした。ウソをついて誤摩化そうとしました。自己中心でした。

ボクたちも、もし祈りを軽んじるなら、アブラムと同じように人間的な決断しか出来なくなります。何かを決断する時には、必ず心を落ち着けて祈ってからするようにしましょう。神様は、必ず助けてくれます。

◆考えててみよう◆
1. ウソをついたことはある?その時は、なんでウソをついたの?

2. 今、何か決断しなくてはならないことはないかな?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、いつでも祈って行動することができますように。自己中心で自分しか考えないのではなく、神様や周りの人のことを考えて、ひとつひとつの計算をしていくことが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

祈って賢く選択しよう!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月22日月曜日

継続は力

おはようございます!1年Bチーム、リーグ優勝おめでとう!昇格出来るかどうかは、まだ他のチームの結果待ちだけど、とにかくやれることはやったね。お疲れさま。これからもがんばろう!

◆今日の聖書◆
それから、アブラムはなおも進んで、ネゲブのほうへと旅を続けた。さて、この地にはききんがあったので、アブラムはエジプトのほうにしばらく滞在するために、下って行った。この地のききんは激しかったからである。(創世記12:9-10)

◆どういうこと?◆
日記を毎日つけようと思って、すぐに挫折してしまったことってない?毎日勉強しようと決意したのに、いつのまにか勉強しなくなっていたことはない?毎日体力トレーニングをしようと思ったのに、やめちゃったことは?

ボクたちはどんなに強く決意しても、それを毎日続けて行くのは結構難しいことです。特に、すぐに何か目に見える形の成果がでないことを地味に続けて行くのには、相当な精神力が必要です。

アブラムは、いつも神様に礼拝をささげ、祈りをささげていました。でも、ネゲブの地に来た時は、何と神様に祈ることを忘れてしまったのです。ききんがあった時も、まったく神様に助けを求めることなしに、人間的な思いで行動してしまいました。その結果、彼は大きな失敗を犯してしまいます。

神様に祈ることを、忠実に毎日続けるのはなかなか難しいことです。でも、だからこそチャレンジしてみましょう。継続は力です。そうすれば、神様は突然の苦難の時でも、必ず助けてくれるのです。

◆考えてみよう◆
一度は決意したのに、三日坊主になってしまっていることはないかな?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、毎日祈ることが出来ますように。やるべきことを継続していくことが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」


続けていれば、必ず道は開けます!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月21日日曜日

いつでもどこでも

おはようございます!昨日は1年も2年も壮絶な試合、ふんばったね。おめでとう!さあ、今日は1年Bがリーグ優勝を賭けて戦います。みんながんばれ!!

◆今日の聖書◆
彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。(創世記12:8)

◆どういうこと?◆
神様からの約束を受けたアブラムはさらに旅を続け、行く先々ではいつも、神様に礼拝をささげました。こうして、神様に祈ることを身につけていったのです。

ボクたちの生きる目的の一つは「神様に礼拝をささげること」です。礼拝というのは、ボクたちを造ってくれた神様に自分自身をささげることです。もちろん、日曜日に教会で行なわれている「礼拝」はとても大事なことですが、もっと大事なのは、ボクたちの毎日の生活そのものが神様への礼拝になっていくことです。

後にイエス・キリストはこのように言っています。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。・・・しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」(ヨハネの福音書4:21,23)

エスペランサでは金曜日にチャプレンからメッセージがあり、いつもオルテガさんから大切な話がされています。でも、どんなに「はい、分かりました!」とその場で返事をしても、ボクたちの行動が変えられていかなければ意味がないのです。

まず、心や考え方が変わらなければ、ボクたちの行動は決して変わりません。ですから、分かったことを実行出来るように、神様に祈る習慣を身につけましょう。ボクたちが祈る時、神様は必ず助けてくれます。

そうやって毎日、誠実に取り組んでいくならば、ボクたちの生活そのものが礼拝になっていくのです。

◆考えてみよう◆
1. 話を聞いただけで、まだ実行していないことってないかな?

2. どうしたら実行出来るようになると思う?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、いつでもどこでも、あなたに祈る習慣を身につけさせてください。そして、あなたの喜ぶ生活をして、あなたを礼拝することができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

この瞬間も、大切にね!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月20日土曜日

何一つ忘れない

おはようございます!今日も大切な試合だね。100%の力を出し切って、勝利を目指して頑張ろう!

◆今日の聖書◆
アブラムはその地を通って行き、シェケムの場、モレの樫の木のところまで来た。当時、その地にはカナン人がいた。そのころ、主がアブラムに現れ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と仰せられた。アブラムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。(創世記12:6-7)

◆どういうこと?◆
みんな、何か欲しくてたまらない物ってある?それを、親がクリスマスに買ってくれるって約束してくれたら、もうそれだけで嬉しくて心がワクワクするよね。きっと親には「必ず守ってね!」と念を押しつつも、まだそれを手にしていないうちから、感謝して過ごすんじゃないかと思います。

神様は、アブラムに「この地を与える」と約束されました。それを聞いたアブラムは、きっと飛び上がるほど嬉しかったことでしょう。だって、それまで神様の声に従って歩んでは来たけれど、一体自分はどうなってしまうのか、具体的な事が全然見えていなかったのだから。

アブラムは、そこで祭壇を築きました。つまり、神様への感謝の礼拝をささげたのです。

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇103:2)

神様から与えられた祝福は、何一つ忘れてはなりません。たとえ、ひとことだけであっても感謝の祈りをささげるようにしましょう。そして、できればいつ何を祈ったのか、記録しておくことをおススメします。後になって、そのような祈りの記録を振り返ってみると、人生の節目において、神様がどのように自分を導いてくださっているのかを知る、大切な財産になるのです。

まず神に感謝することです。そこからすべてが変わります。

◆考えてみよう◆
神に感謝するって、実際どうしたらいいんだろう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、人生の一歩一歩を、いつも導いてくださってありがとうございます。これからも、あなたが良くして下さった事を何一つ忘れずに過ごせますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

忘れないでね!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月19日金曜日

いさぎよく決心する

おはよう!

◆今日の聖書◆
アブラムは妻のサライと、おいのロトと、彼らが得たすべての財産と、ハランで加えられた人々を伴い、カナンの地に行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地に入った。(創世記12:5)

◆どういうこと?◆
ボクたちが何か新しい事をしようとする時、時にはいさぎよく古いものを捨て去る必要があります。

イエス・キリストはこのように言っています。「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(マタイの福音書6:24)

アブラムは、神のことばを聞いて、すぐに新しい地へと歩み出しました。それは、神様を主人として信頼している素晴らしい証拠です。しかし、彼は同時に財産を手放す事が出来ず、すべての財産を旅に持って行きました。それは、彼が最終的に主人としているのが「富」であるということです。そして、後にこの財産がトラブルの原因となってしまうのです。

神様に従うという時、ボクたちは姿勢をはっきりさせる必要があります。ボクたちの主人は誰なのか。ボクたちは神様に従うのか、富に仕えるのか。

もし、神様に従う道を選択し、心に固く決心するなら、神様はその決心を祝福してくださいます。そして神様は、最終的には必要なものは、すべて欠けることなく与えてくださるのです。

◆考えてみよう◆
神に従う人生は、お金のために生きる人生とどんな違いがあるだろう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたを信頼しあなたに従います。あなたに従う上で、ふさわしくないものは手放す事が出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」


いさぎよく決心しよう
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月18日木曜日

すぐに従う

おはようございます!

◆今日の聖書◆
アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがハランを出たときは、七十五歳であった。(創世記12:4)

◆どういうこと?◆
何となく、いつかはやらなきゃな〜と思っていることとか、心にひっかかってはいるけど、いつも後回しになっていることとかってない?やるべきことを面倒くさがって放っておくと、結局は何もやらないまま手遅れになってしまいます。だから、やるべきことは、すぐにやるのがいいのです。出来れば、今すぐにやるべきでしょう。

アブラムは神様のことばに従いました。しかも彼は、すぐに従いました。その時、彼はすでに75歳。自分はもう年寄りで手遅れだなどとは考えず、神の声を聞いた時、すぐに従ったのです。

ですから、人生決して手遅れという事はありません。大切なのは、示されたことにすぐ従う事。「今、神様の前にどう生きるか」なのです。

「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」(第2コリント6:2)

あなたは今、神様に示されていることがありますか?何かやり忘れていることはありませんか?それを、いつでもすぐに行なうことが出来れば、ボクたちの人生は変わります。

◆考えてみよう◆
最近、神様が自分に示してくださっている事ってある?(ちゃんと勉強するとか、誰かの力になるとか、謝るとか、筋トレをするとか・・・)

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、やるべきだと示されていることを、今日行なう事が出来ますように。今日が無理でも、なるべく早く出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。」

すぐに実行しよう!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月17日水曜日

祝福の源

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:2-3)

◆どういうこと?◆
みんな、誕生日にお祝いしてもらったことってあるかな?周りのみんなが自分の存在を喜んでくれて、おめでとうって声をかけてくれると、とても嬉しいよね。自分のために用意されたプレゼントを受け取りながら、今まで生きてきて良かったなってしみじみと思ったりします。

神様はアブラムに約束しました。「わたしはあなたを祝福する。あなたを通して周りの人々も祝福される。」

自分が祝福されるだけでなく、自分が他の誰かの祝福となる!実は、それこそが最大の祝福なのかもしれません。

ボクたちの人生は、神様によって祝福されています。そしてボクたちは、まわりの人々に祝福を流して行くことができます。そういう人生を送りたいと思いませんか?

もしボクたちが神様に信頼し、そのことばに従うなら、必ずそのようになるのです。

◆考えてみよう◆
ボクのまわりに、神様からの祝福を必要としている人はいないかな。自分はその人のために何が出来るかな?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、ボクを祝福し、まわりを祝福するために用いてくださる事を感謝します。毎日それを実感し、この世界の祝福となっていくことが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

君は祝福の源だよ!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月16日火曜日

新しい地への招き

おはようございます!今日からは、アブラハムのストーリーになります。ちなみに有名なアブラハムは、初めはアブラムって名前だったんだよ。

◆今日の聖書◆
主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」(創世記12:1)

◆どういうこと?◆
みんなは、引っ越しをして転校したことってある?仲の良い友達や、想い出の場所、慣れ親しんだ環境を手放すのはとっても辛いよね。また、新しい環境でうまくやっていくことが出来るのか、友達が出来るのかとか、考え始めると、期待と不安で押しつぶされそうになることもあると思います。人間というのは、本当に変化に弱い存在です。

でも、神様は時々、あえてボクたちにそういうチャレンジを与えるのです。

例えば、エスペランサを卒業して別の場所に行くことも、一つの新しい挑戦でしょう。学校の卒業もそうです。今まで自分では出来ないと思っていた責任を任せられることも一つのチャレンジです。海外へのチャレンジもそうです。

実は、そういった環境の変化は、ボクたち自身が変わる最高のチャンスなのです。

もしボクたちが、変化をかたくなに拒むのなら、ボクたちの一生は所詮そんなものでしょう。しかし、新しい道が開かれた時には、それに対して心を閉ざしてはいけません。自分自身の成長のチャンスを奪う事になるからです。

ボクたちは「さあ、あなたは今の状況を抜け出して、わたしが示すところへと進みなさい」と神様に命じられたとき、果たして、いつでもその準備が出来ているでしょうか。君は、いつでも自分自身を変える心づもりがありますか?

◆考えてみよう◆
1. 自分にとって、もっとも居心地の良い場所(仲間たち)はどこにいるだろう。

2. もし「その一番の居場所から抜け出して、新しい所に移るように」と神様に言われたらどうするだろう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、いつでも自分自身を変える勇気を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

変化は力です!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月15日月曜日

栄光は神に

おはよう!やったね!市長旗杯優勝おめでとう!!最高だったね!技術面はもちろん、フィジカルでも、メンタルでも、チームワークでも、みんなが一生懸命努力して来たことの成果だと思います。本当におめでとう!

◆今日の聖書◆
わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。(イザヤ書43:7)

◆どういうこと?◆
ボクたちは、何をするにも目的がなければやりがいを感じる事はできません。サッカーの試合であれば勝利する事であり、優勝する事。サッカー少年であれば、将来プロのサッカー選手になること。ボクたちは、その目標が明確であればあるほど、どんなことでも強い気持ちをもって頑張る事ができるのです。

では、ボクたちの人生の目的とは何でしょうか。

神様は、その答えの一つは「神様の栄光をあらわすため」だと言っています。つまり、ボクたちの人生を通して、神様の素晴らしさをあらわしていくということなのです。

「栄光」とは、周囲から高い評価を受けることです。サッカーに優勝すれば、ボクたちは人々から高い評価を受け、「栄光を手にした」と表現したりします。それは素晴らしいことですし、気持ちのいいことです。でも、それらすべてのことを通して「神様は素晴らしい!」と、ボクたち自身もまわりの人々も言えるようになっていくことこそが、より充実した人生を送るカギなのです。

なぜなら、人間は本当に高ぶりやすい者だからです。何度も見て来たように、高ぶった人はそれ以上成長しないばかりか、どんどん落ちて行きます。すべての栄光を独り占めにする人は、進歩のない人なのです。しかし、へりくだった人は、もっともっと成長して、さらに高いレベルへと進む事が出来るのです。

もしボクたちがへりくだるなら、サッカーを通して神様に栄光をあらわすことが出来ます。だから、ボクたちを造ってくださった神様にいつも感謝をささげ、栄光をささげていきましょう。そうすれば、ボクたちの人生はいつまで経っても進歩があり、最高にエキサイティングなものとなるのです。

◆考えてみよう◆
神様に感謝したほうがいいと思うことを、できるだけたくさん考えてみよう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、ボクの人生を通してあなたの栄光をあらわさせてください。ボクが栄光を受けた時は、あなたに感謝をささげて栄光をお返しすることができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」


栄光は主のもの!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月14日日曜日

力を受ける

おはようございます!いよいよここまで来たね!信じて自分たちのサッカーさえすれば、必ず勝てます!今日は、最高の舞台で、悔いの残らないようにのびのびと戦おう!

◆今日の聖書◆
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。(使徒の働き1:8)

◆どういうこと?◆
サッカーの試合には「流れ」があるよね。一人一人のちょっとした微妙な心理状態が、試合全体を大きく変えてしまうような結果に結びつく事はよくあります。そういう意味で、サッカーにはメンタルの強さが欠かせません。自分自身のやってきた事を信じ、最後まであきらめずに、必ず勝つという気持ちを強く持ち続けて、今やるべきことに全力で集中出来るかどうかにすべてがかかっています。

神様は、ボクたちに「力を与える」と約束してくださっています。神様の霊が注がれると、ボクたちの心もからだも強くされるのです。では、どうしたらそれを受けることが出来るのでしょうか。

そのための第一のカギは「へりくだること」です。つまり高ぶらないことです。神様の霊は、ちょうど水が低い所へと注がれるように、へりくだった人の心に注がれるのです。

感謝なしに力は与えられません。尊敬なしに力は与えられません。上を目指す気持ちなしに力は与えられません。努力なしに力は与えられません。・・・これらはすべて、まず自分自身がへりくだっているかどうかに大きく左右されているのです。

もしボクたちがへりくだって求めるなら、神様は必ずボクたちに聖霊を注ぎ、圧倒的な力で満たしてくださるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、今ボクはへりくだります。どうぞ、ボクの心に聖霊を注いでください。そして圧倒的な力で満たし、強い気持ちで過ごす事ができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日は3年生最後の大会となる、横浜市長旗杯の決勝戦です。ここまで来れた事を感謝します。どうか、一人一人が100%の力を出し切って、必ず勝利することが出来ますように。恐れたり、集中力を途切れさせたりする事なく、最後まで圧倒的な力で戦う事が出来るようにさせてください。みんなが心を一つにして戦えますように。信じます。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」


さあ、信じて戦おう!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月13日土曜日

心を一つにする

おはよう!さあ、大切な試合がたくさんつまった週末だね。落ち着いて今までの練習の成果を出し切れば必ず勝てます!信じて頑張ろう!!

◆今日の聖書◆
こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。(創世記11:8,9)

◆どういうこと?◆
人々は互いにことばが通じなくなって、いろんな地域に散らされてしまいました。人間たちの高ぶった悪い計画が実行出来ないようにするためでした。

でも神様は、ずーっと後の時代にすばらしい計画を用意されていたのです。

「この人たちは・・・みな心を合わせ、祈りに専念していた。・・・すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」(使徒の働き1:14,2:4)

この人々は、心をあわせて祈るために集まっていました。するとみんなは聖霊(=神様の霊)に満たされたのです。そして、何と聖霊に満たされた彼らは、互いにことばが通じなくなっていた一つ一つの国の言葉を話すことが出来るようになったのです!

もともと神様は、高ぶって悪いことで一致をする人々を嫌い、ことばを混乱させて散らしました。でも、正しいことで一致する人々のことは祝福し、神様からの特別な力を注いでくださるのです。それは、神様の素晴らしさが全ての人にのべ伝えられるためです。

神様は、ボクたちが良いことで再び一つになることを望んでいます。そのために神様は、ボクたちの心に聖霊を満たしてくれるのです。

◆考えてみよう◆
正しいことで一致出来る仲間、祈り合ったり真剣に話し合ったりできる仲間はいるかな?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、素晴らしい仲間を感謝します。一致してあなたを待ち望み、聖霊に満たされて力を得ることが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

心を一つにしよう!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月12日金曜日

ことばの混乱

おはようございます!!

◆今日の聖書◆
そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。(創世記11:5-8)

◆どういうこと?◆
全世界に一つの言葉しかなければ、苦労しないで世界中の人と話しができたのに!(英語勉強しなくていいのに!)って思ったことない?そもそも、なんで世界にはこんなにいろいろな言語があるんだろう。

聖書によれば、それは「神様が人間のことばを混乱させたから」なのだそうです。もともとは全世界には一つのことばしかなかったのです。

人類は、知恵と力を身につけて文明を築くようになると、次第に高ぶるようになりました。神様に頼る必要などないと感じるようになりました。そして、だんだんとあたかも自分が神であるかのような勘違いをするようになりました。

神様は、このままでは人間のためにならないと考えました。そこで、ことばを混乱させて、彼らが悪いことで協力することがないようにしたのです。だから、神様がことばを混乱させたのは、人間のためでした。

君は人生で何を築き上げようとしていますか?どんな気持ちでそれを行なおうとしていますか?

「人はうわべを見るが、主は心を見る。」(サムエル第一16:7)

神様は、ボクたちの心を見ます。もし、そこに高ぶった思いがあれば、建て上げようとしているものは崩されます。でも逆に、ボクたちの心がへりくだっているなら、神様はボクたちの働きを祝福し、完成させてくださるのです。

◆考えてみよう◆
神様は自分の人生を成功させてくださると思う?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、ボクの人生を祝福し、最高のものを建て上げることができますように。そのために、高ぶった思いを取り除かせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」


神様は心を見てるよ!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月11日木曜日

高ぶりの危険

おはようございます!!今日からは、有名な「バベルの塔」の話になります。

◆今日の聖書◆
さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。・・・彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青(れきせい、アスファルトのこと)を用いた。そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔をを建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」(創世記11:1,3,4)

◆どういうこと?◆
仲間って素晴らしいです。みんなが思いを一つにして何かをするとき何とも言えない充実感があり、みんなで協力して力を合わせるなら、ひとりでは出来なかった大きなことが出来るようになります。

でも、時々みんなで一致することが良くない場合もあります。それは、悪いことをしようとするときです。悪いことの場合は、みんなで一致して行なうと最悪の結果になります。そういう場合には、あえてまわりの空気を読まないで、正しいことを選ぶことができる心の強さが必要です。そして、良いことで一致出来る仲間と過ごすことが大切です。

ノアの子孫から再び広がっていった人間たちは、自分たちの手にした能力や技術で「何でもできる」と勘違いしました。そして、自分たちがいかにスゴいかを見せつけるために、高い塔を作ろうとしました。これは人々の高慢です。神は高ぶった人を受け入れることは出来ません。

高ぶりは、諸悪の根源です。今、自分の心に高ぶった思いがないか点検してみよう。

◆考えてみよう◆
1. 最近、何か高ぶった思いになっていることはないかな?

2. 悪いことで心を一つにしてしまうような仲間はいないかな?その空気を変えていく勇気はある?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、高ぶることがないように守ってください。悪い仲間と一致するのではなく、良い仲間と良いことで一致していくことができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

良い仲間は財産だよ!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月10日水曜日

信じて準備する

おはよう!

◆今日の聖書◆
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づくものは、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。(ヘブル人への手紙11:6-7)

◆どういうこと?◆
ある所に、雨を待ち望むふたりの農夫がいました。一人は神に祈るだけで、あとは何もしませんでした。もう一人は神が願いを聞き届けてくれると信じ、せっせと畑で雨降り後の準備をしました。さて、どちらの農夫の畑に雨が降ったと思いますか?

「信仰」とは信じることです。でも、本当に信じているなら、信じた通りに行動するはずです。それが本物の「信仰」です。

ノアは「信仰の人」として後の時代にまで語り継がれる人物となりました。ノアが信じて行動したからです。「信仰」がなくては、神に喜ばれることはできません。

もし、偉大なサッカー選手になりたいと願っているなら「信仰」が必要です。ただ、祈るだけではだめです。必ずそうなると信じて、今から準備をするのです。神様は、そういう人の取り組みを、絶対に祝福してくださいます。

「信仰」があれば、あなたの畑にも必ず雨が降るのです。

◆考えてみよう◆
1. 将来何になりたい?正直、なれると思う?

2. 10年後の目標、5年後の目標、3年後の目標、1年後の目標、3ヶ月以内の目標・・・というふうに、なりたい自分への道筋となる目標を考えてみよう。そして、それを達成するために全力で取り組む決意をしよう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、本気で信じる事が出来るように、そして信じて全力で取り組むことが出来るように力を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

さあ準備を始めよう!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月9日火曜日

契約の虹

おはようございます!!

◆今日の聖書◆
「わたしはあなたがたと契約を立てる。すべて肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない。・・・わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。・・・虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。」(創世記9:11,13,16)

◆どういうこと?◆
みんな虹って見たことあるよね。雨上がりの日差しに輝いている虹を見ると、なんだか嬉しくて、ちょっとほっとしたような気分になります。

実は聖書によると「虹」っていうのは、神様が人間と結んだ「契約のしるし」なんだって。

契約っていうのは、簡単に言えば約束のことです。たとえば「時給800円でアルバイトをする」という時には「私が1時間働く」ことと「バイト先が800円与える」という約束をお互いの間でするということです。これが普通の契約です。

でも、神様が人間に対してする契約は、一方的なものでした。人間がどうであるかに関係なく、「もう二度と大洪水で地を滅ぼさない」と約束してくださったのです。そして神様は、虹を見る度に、その約束を思い起こしてくださいます。

ボクたちに出来ることは、ただ神様がそれほどの愛を示してくださっていることを感謝して受け入れること。だからボクたちも、今度虹を見た時には、神様の愛の約束を思い起こしてみよう!

◆考えてみよう◆
身の回りで、一方的に与えられている恵みって何があるかな?(生活になくてはならないけど、自分の努力で得たものではないもの。)

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたの一方的な愛に感謝します。毎日、あなたの恵みに目を留めることが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」


今日も恵みが取り囲んでるよ!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月8日月曜日

神様の愛

おはよう!市長旗杯、エスペランサ初のベスト4進出おめでとう!!本当に素晴らしい内容だったね。まだまだ上を目指して今回こそは絶対優勝しよう!!

◆今日の聖書◆
主は、そのなだめのかおりをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。・・・わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。」(創世記8:21)

◆どういうこと?◆
ノアの礼拝を受けて、神様は心の中で誓いました。「もう2度とこんな方法で人間を滅ぼすことはしまい・・・。」

ということは、神様は自分がしたことを後悔したのでしょうか?答えは、Yes.でありNo.です。

神様はやるべきことはやるお方です。罪をそのまま見て見ぬ振りは出来ません。うやむやにはできないのです。だから、洪水で人間を滅ぼしたこと自体は決して間違いであはありませんでした。神様は、そういう意味では後悔していません。

でも神様は、人間を心から愛しておられます。その愛する人間たちが滅びていくのを見て、平気でいられるはずがありません。神様は、心がかきむしられるほど苦しかったのです。そして、出来るならば滅びる人間の身代わりになりたいと思ったほどでした。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

そして神様は、実際にそのひとり子イエス・キリストを十字架につけ、私たちの身代わりとされました。それがどれほど神様にとって苦しいことか分かりますか?でも、神様はボクたちを愛する愛のゆえに、ボクたちを滅ぼすのではなく、身代わりとして大切な息子であるイエス・キリストをささげました。それほどに、神様の愛は大きいのです。

あとはボクたちが、イエス・キリストが自分の罪の身代わりとして十字架で死んでくださったという事実を、信仰によって信じるだけです。あなたは、このイエス・キリストを信じていますか??

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、イエス・キリストがボクの罪の身代わりとして十字架で死んでくださったことを感謝します。あなたを信じます。どうかボクの人生を造りかえてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

神様は愛です!!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月7日日曜日

感謝のささげもの

おはよう!昨日はひとまず1勝おめでとう!今日は最大の山場だね。信じて、やるべきことをやれば、絶対勝てます!!がんばってね!

◆今日の聖書◆
そこで、ノアは、息子たちや彼の妻や、息子たちの妻といっしょに外に出た。・・・ノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。(創世記8:18,20)

◆どういうこと?◆
やっとノアとその家族は、箱舟の外に出ることが出来ました。実に約一年ぶりです!!ノアはその間ずっと神様を信じ続けました。つらい時も、厳しい時も。

そんなノアが外に出て一番初めにしたことは「祭壇を築く」ことでした。つまり、神様を礼拝したのです。礼拝とは、自分自身を神様にささげるということです。ノアは、神様に心からの感謝をささげ、自分自身をささげたのです。

ボクたちは、何か一生懸命取り組んできたことが、ついに報われた時、感謝すべき人に感謝しているでしょうか。先生や両親、コーチや指導者や先輩・・・、そして仲間たち。何かを達成した時、ボクたちがまず初めにすべきことは、感謝をささげることです。

そして、それらすべてを超えて、どんなときでもボクたちのことを見守ってくれる神様に、いつでも感謝すべきです。そうする時に、ボクたちの人生はさらに祝福されるのです。

◆考えてみよう◆
何か感謝を忘れていることはないかな?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、どんな時もボクを見守ってくれてありがとうございます。あなたに自分自身をささげます。サッカーも勉強も、すべてを精一杯取り組むので、ボクの人生を祝福してください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

感謝をささげよう!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月6日土曜日

鳩とオリーブ

おはよう!今日はいよいよ市長旗杯本大会スタートだね!心を一つにして頑張ろう!!

◆今日の聖書◆
また、彼(ノア)は水が地の面から引いたかどうかを見るために、鳩を彼のもとから放った。・・・鳩は夕方になって、彼のもとに帰って来た。すると見よ。むしり取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。それで、ノアは水が地から引いたのを知った。(創世記8:8,11)

◆どういうこと?◆
みんな、エスペランサのエンブレムには何の絵が描いてあるか覚えてる?そう、右下には十字架。そして左上に描いてあるのは「鳩とオリーブの若葉」です。

この「鳩とオリーブの若葉」は、古くから平和のシンボルと言われてきました。でも実はそれ、今日の聖書箇所に出てくるノアのストーリーから来ているんです!

ノアは自分の解き放った鳩が、オリーブの若葉をくわえて帰って来た姿を見て心から喜びました。それによって、地から水が引いた事を知ったからです。それはつまり「救いの約束」でした。

新約聖書には「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし・・・(エペソ2:14)」と書いてあります。

エスペランサに集う一人一人が「本当の平和」であるイエス・キリストと出会い、希望にあふれて歩んでいって欲しい。これがエスペランサのエンブレムに込められた本当の意味なのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、キリストこそがボクたちの平和です。オリーブの若葉をくわえた鳩のように、ボクも平和を伝える存在となれますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

平和を生み出そう!!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月5日金曜日

心に留めてくださる

おはよう!

◆今日の聖書◆
水は、百五十日間、地の上にふえ続けた。神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。それで、神が地の上に風を吹き過ぎさせると、水は引き始めた。(創世記7:24,8:1)

◆どういうこと?◆
ノアは150日もの間、今後どうなるか分からない状況の中で、動物と一緒に箱舟の中で過ごしました。でも、神様は彼らを見捨てたのではありません。いつでも「心に留めていてくださる」のです。

ボクたちは、あまりにも長い間混沌とした中に放っておかれると不安になります。でも、神様はどんな時でも、ボクたちの事を忘れたりしません。


「あしあと」という有名な詩があります。とても素敵な詩なので全文載せてもいいのですが、だいたいこんな内容です。

ある夜わたしは夢を見た。
砂浜に、2つの「あしあと」が並んで残されている。一つは私のもの。一つは神様のもの。でも私の人生で一番つらく悲しい時、そこには1つの「あしあと」しかなかった。

「神様、なぜ私が一番つらかった時、あしあとが1つしかないのですか?なぜ一番あなたを必要としていた時、あなたは私を見捨てたのですか」

神様はやさしくこう言われた。「私の愛する子よ。私は決してあなたを捨てたりしない。ましてや、苦しみや試みの時に。あしあとが一つだった時は、子よ、私があなたを背負って歩いていたのだよ。」


たとえボクたちが一人で歩いているように感じる時でも、神様はいつでも一緒にいてくれます。そして、一番大変な時は、しっかりと背負って歩んでくださいます。それが、私たちの信じている神様の愛なのです。

◆考えてみよう◆
あまりにも長く放置されて、耐えきれないような状況になったことある?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、どんな時でもボクを見守ってくださること感謝します。これからもあなたの愛で支えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」


神様は背負ってくれるよ
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月4日木曜日

心の痛みを無視しない

おはようございます!

◆今日の聖書◆
それから、大洪水が、四十日間、地の上にあった。水かさが増していき、箱舟を押し上げたので、それは、地から浮かび上がった。水はみなぎり、地の上に大いに増し、箱舟は水面を漂った。・・・こうして、主は地上のすべての生き物を、人をはじめ、動物、はうもの、空の鳥に至るまで消し去った。それらは、地から消し去られた。ただノアと、彼といっしょに箱舟にいたものたちだけが残った。(創世記7:17,18,23)

◆どういうこと?◆
「また宿題忘れたのか?」「また遅刻か?」「またケンカしたのか?」「またヤラかしたのか?」「またオマエか?」「・・・」

ボクたちは、いつもいつも怒られ続けていると、次第に無感覚になってきます。はじめのうちは、心から「悪かったな」と思うこともあるでしょう。でも、だんだん慣れてくると「テキトーにあやまっておけばいい」程度にしか物を考えなくなってしまいます。

「オレだけじゃない」「まわりのヤツらだってやってる」「こんなのたいしたことない」「どうせちょっと怒られるのガマンすれば終わりだ」「別に死ぬ訳じゃない」

そう自分に言い聞かせて、心の痛みを感じないようにしているのです。


ノアの時代の人々は最悪でした。でも、そんな彼らでも、みんなと同じように、はじめは「悪かったな」と思う心があったのです。それがどういう訳か、心がだんだんと無感覚になって、悪い事を「悪い」と感じないようになり、正しい事をしても悪い事をしても、人生何も変わらないと思うようになってしまったのです。

でも真実はどうでしょう?悪い事をすれば、その結果は滅びです。神様は、罪をそのまま放っておく事ができないからです。ですから、ノアの時代の人々は、みな滅びてしまいました。

それでも希望があります。ノアは神を信じて救われました。ボクたちは完全に正しいことをすることは出来ません。でも「悪かったな」と思う心を大切にして、気がついた時に神様のもとへ帰るなら、神様は必ずボクたちを守り続けてくださるのです。

◆考えてみよう◆
1. 「悪かったな」と思ったのにほったらかしにしている事はないかな。

2. 「悪いな」と思いながら、無感覚になってしまっていることはないかな。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、悪かったと思った時、いつでもあなたに立ち返る事が出来るように助けてください。無感覚のまま滅びる人々のようにではなく、信じて救われたノアのように生活できますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」


心の痛みも祝福になるんだよ!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月3日水曜日

うしろの扉

おはようございます!3年生は最後のリーグ戦、そして週末に向けて良い調整の時となると思います。悔いの残らないように、ベストを尽くして頑張ろう!!

◆今日の聖書◆
入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。(創世記7:16)

◆どういうこと?◆
「やばい、電車に遅れる!!」

君は、人々の流れに逆らって、ダッシュで駅の階段をかけ上がる。

「くそっ、何でよりによって、急いでる時にこんなに混んでるんだ??汗」

到着したばかりの電車に乗らなければ、確実に遅刻だ。君は、なりふり構わず人をかき分け、一目散に電車に飛び込んだ!

ぎりぎりセーフ!電車のドアは君のカバンをかすめながら、静かに閉まった。

「間に合った!」

君は、ホッと一息・・・。何とも言えない安心感。


ノアの後ろで神様が扉を閉めた時、ノアはきっとそんな風に感じたんじゃないかな。やるべきことはやった。あとは神様がすべてを完成させてくださる!

神様はボクたちのうしろの戸を閉じてくださる方です。

もちろん、ノアはボクたちみたいに遅刻しそうになって慌てて行動していた訳じゃありません。でもそれはそれとして、もしボクたちが神様を信頼して行動するなら、神様は必ず最後まで責任を取ってくれます。もしボクたちが神様を信頼してその人生を神様にゆだねるなら、神様は必ずボクたちのたましいに責任を持ってくれます。

神様は、救いを完成させてくださる方なのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたは救いを完成させてくださる方です。ですから、あなたに信頼して人生をゆだねていくことができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

神様がいるから安心だよ!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月2日火曜日

困難が来たとき

おはよう!

◆今日の聖書◆
ノアは、自分の息子たちや自分の妻、それに息子たちの妻といっしょに、大洪水の大水を避けるために箱舟に入った。きよい動物、きよくない動物、鳥、地をはうすべてのものの中から、神がノアに命じられたとおり、雄と雌二匹ずつが箱舟の中のノアのところに入って来た。(創世記7:7-9)

◆どういうこと?◆
みんな動物園って好き?たぶん、みんなが小さい頃は、大きなゾウさんとか、首の長いキリンさんとかを見て、ワーワー言いながら大興奮して楽しんでたんじゃないかな。まあ、たぶん今はビミョーって感じるんだろうけどね。

ノアの箱舟の中は、まさに動物園でした。あっちで吠える声、こっちで叫ぶ声。みんな普通に食べるし、普通にウンコもするし・・・。う・・、くさい・・・。

混沌として、もはやゾウさんを無邪気に楽しめるような雰囲気ではありません!!しかもノアは600歳。気が狂いそうになってもおかしくないよね。せっかく苦労して何ヶ月もかけて造った箱舟の中が、こんなグチャグチャな生活じゃあ・・・。一体いつまで続くのか?こんなことなら、いっそ一緒に死んでしまったほうが良かった!!って感じでね。

ボクたちは自分が望んでいた状況がかなっても、次の困難がやってくるとすぐにあきらめてしまいがちです。そして、いとも簡単に「あんな苦労はじめからしない方が良かった!」と言ってしまうものです。

サッカーでも、「せっかくエスペランサに入ったのに・・・」とか「せっかく1軍になったのに・・・」とか「せっかくレギュラーになったのに・・・」とか、「せっかくJ下部に入ったのに・・・」とか、もうどんなレベルでも困難はやってくるのです。

ノアは、その混沌とした状況の中でも決して不平不満を言わず、決して神様を信じることをやめませんでした。だからこそ「特別な人」となれたのです。

◆考えてみよう◆
困難があったとき、すぐに不平不満を言ってしまうことはないかな?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、どんな困難の中にあっても、あなたを信じ続けることが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

あきらめないで!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年11月1日月曜日

何を信頼するのか

おはようございます!昨日はU-13B貴重な勝利おめでとう!最後まであきらめない気持ちが最後の逆転ゴールにつながったんだね!嬉しいです!!
Bチームからの底上げはチーム全体の力のアップです。これからも頑張ってね!!

◆今日の聖書◆
「大洪水が起こり、大水が地の上にあったとき、ノアは六百歳であった。」(創世記7:7)

◆どういうこと?◆
え?ちょっと待った。どういうこと??「ノアは600歳だったって!?」

そうなんです。世界が造られて間もないころは、どうやら人間は600歳とか、900歳とか、平気で生きていたみたいです。これってみんな信じられる?

・・・普通信じられないよね。

でも、じゃあ、たとえば、カメは何年くらい生きると思う?実際に飼育した記録が残っているものでは、ゾウガメの一種が500年間生きていたらしいよ。これは信じられるかな?

・・・え?これは信じられるの!?


どっちにしても、ボクたちが見た事のないものに関しては、自分がその情報を「信じるか信じないか」にかかっています。600年も生きた人を信じられないのは、たぶん自分の身の回りとか、教科書とか、ニュースとかでそんなに長く生きた人を見聞きしたことがないからだよね。

ボクたちのまわりにある情報は、本当のものもあれば、まったくのウソのものもたくさんあります。だから、何を信じたら良いのかが分からないと、簡単に世の中の間違った情報に振り回されてしまうのです。

考古学上の本文批評という研究で「聖書」ほど信頼出来ると言われている本はありません。内容も、論理的に考えてとてもウソであるとは考えられないのです。

常識や偏見にとらわれて、正しいものの見方が出来なくなってしまわないように、注意したいですね。

◆考えてみよう◆
何が信頼出来る情報で、何が信頼出来ない情報だと思う??

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、何を信頼したら良いのか見分ける目を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

ちなみにゾウガメは500歳じゃなくて250歳までしか生きてないよ〜ん。ごめん、ボクの情報が信頼できなくなっちゃうね(汗)

今日も頑張ろうね!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤