2014年2月28日金曜日

特別な使命

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
主はこう考えられた。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福される。わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公正とを行わせるため、主が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」(創世記18:17-19)

◆どういうこと?◆
神様は今、これから起ころうとしていることを、他の人よりも先にアブラハムに教えようとしています。それは、アブラハムが神様によって特別に選ばれた存在だからです。アブラハムには、すべての人々の祝福の源となる使命が与えられていたのです。

実は、ボクたち一人一人も、神様から特別な使命が与えられているのです。それは、ボクたちを通して、この世界が救われるということです。

ボクたちは、ボクたちの罪の身代わりとして十字架にかかって死んでくださったイエス・キリストを知っています。この方を信じる以外に救いはありません。

ボクたちに先にこの知識が与えられているのは、このイエス・キリストを家族や友達に紹介して、一緒にいのちが救われるためなのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、イエス・キリストの十字架の死を感謝します。この方による救いを、自分の大事な友達や家族に伝えて行くことができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月27日木曜日

不可能はない!

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻サラはどこにいますか。」それで「天幕の中にいます」と答えた。するとひとりが言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」サラはその人のうしろの天幕の入口で、聞いていた。アブラハムとサラは年を重ねて老人になっており、サラには普通の女にあることがすでに止まっていた。それでサラは心の中で笑ってこう言った。「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」(創世記18:9-12)

◆どういうこと?◆
サラは神様からのメッセージを聞いて、思わず笑ってしまいました。なぜなら、常識的に考えて起こるはずのないことだったからです。

でも聖書のストーリーは、繰り返しボクたちに教えてくれます。
「神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカ1:37)

聖書のことばを聞いて、自分とは関係のないおとぎ話だと思いますか?作り話だと思いますか?それとも、本当に聖書は神様からのメッセージだと信じて聞いていますか?

聖書は、神様からのメッセージです。そして、その神様に不可能は何一つありません。

ですからボクたちも、聖書を読む時は、何でも出来る神様からのメッセージとして、信じて聞く必要があるのです。

ありえない!と思っても、笑うのではなく、信じるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたからのことばを、いつでも心から信じて聞くことが出来るようにさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月26日水曜日

旅人をもてなす

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
そして言った。「ご主人。お気に召すなら、どうか、あなたのしもべのところを素通りなさらないでください。少しばかりの水を持って来させますから、あなたがたの足を洗い、この木の下でお休みください。私は少し食べ物を持ってまいります。それで元気を取り戻してください。それから、旅を続けられるように。せっかく、あなたがたのしもべのところをお通りになるのですから。」彼らは答えた。「あなたの言ったとおりにしてください。」(創世記18:3-5)

◆どういうこと?◆
アブラハムは旅人を手厚くもてなしました。

聖書にはこのように書かれています。「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。こうして、ある人々は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました。」(ヘブル13:2)

遠くからエスペランサを見学に来た人とか、転校してきたばかりで不安を抱えている人など、キミのもてなしを必要としている人はいませんか?

ちょっと優しく声をかけたり、相手の状況を思いやって、何が自分にできるのかを少しでも考えてみるといいと思います。

ひょっとしたら、その人が神様からの使いかもしれません!

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、いつでも旅人を思いやり、もてなすことができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月25日火曜日

祝福を求める

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
主はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現れた。彼は日の暑いころ、天幕の入口にすわっていた。彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼は、見るなり、彼らを迎えるために天幕の入口から走って行き、地にひれ伏して礼をした。(創世記18:1-2)

◆どういうこと?◆
神様の使いが、アブラハムのところにやって来ました。アブラハムは、彼らに気付くと一目散に走っていき、深々と礼をしました。

みんなだったらどうでしょう?みんなの所に、神様の使いがやってきた時のことを想像してみましょう。

まず、そもそも、その人たちが神様の使いだって事がはっきり分かるでしょうか?「神様の使い」とは、神様からのメッセージを届けてくれる存在です。みんなに神様のメッセージを届けてくれる方々を、きちんと認識することが出来ますか?神様の祝福を追い求めている人には、それが識別できるのです。

また、そのような方々に、積極的に深く敬意を示しているでしょうか。

神様の祝福を受ける人は、自分から進んで、その祝福をもっと引き出そうとします。受け身ではなく、積極的に祝福を勝ち取っていこうとする人こそ、本当に成長する人なのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、神様が遣わされた方々から、祝福を積極的に引き出すことが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月24日月曜日

常識に縛られない

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
そして、アブラハムは神に申し上げた。「どうかイシュマエルが、あなたの御前で生きながらえますように。」すると神は仰せられた。「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしは彼とわたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。」(創世記17:18-19)

◆どういうこと?◆
アブラハムは、妻のサラがこれから子どもを生むとはとても考えられませんでした。確かに神様の約束は必ず成就すると信じていましたが、アブラハムが100歳、妻のサラは90歳という現実を考えると、もう自分には子どもは与えられないと考えたので、あとは女奴隷の子イシュマエルに託そうと思ったのです。

でも神様はここで、妻のサラが男の子を産むと、明確に約束しておられます。

ボクたちは、自分たちの常識や経験が災いして、神様が素晴らしい奇跡を起こそうとしているのを邪魔してはいないでしょうか?

神様に不可能はありません。ボクたちの頭がそれを制限しているだけなのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、このちっぽけな頭であなたの大きさを制限することがありませんように。いつでも信じ続けることができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月23日日曜日

あきらめない!

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
また、神はアブラハムに仰せられた。「あなたの妻サライのことだが、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。わたしは彼女を祝福しよう。確かに、彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出てくる。」アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。「100歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、90歳の女が子を産むことができようか。」(創世記17:15-16)

◆どういうこと?◆
神様は、アブラハムにたくさんの子孫が与えられることを約束していました。そして、アブラハムは神様の約束を心から信じていました。

でも現実の問題として、なんと自分はもう100歳で、奥さんは90歳です!アブラハムは、神様がどのようにして約束を守られるのか、理解できませんでした。

でも神様はそんなアブラハムに、もう一度はっきりと約束したのです。「確かに、あなたの奥さんは男の子を産みます!」

ボクたちの常識で考えて無理そうなことでも、神様には不可能はありません。だから、簡単にあきらめたり、自分で勝手に結論を出してはいけないのです。

最後まで信じ続けること。これがボクたちに与えられているチャレンジです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、自分の常識にとらわれてあきらめてしまう事がありませんように。最後まで信じ続けることができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月22日土曜日

新しい名前、新しい計画

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
アブラムは、ひれ伏した。神は彼に告げて仰せられた。「わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。あなたは多くの国民の父となる。あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。」(創世記17:3-5)

◆どういうこと?◆
みんなは自分の名前気に入ってる?名前には、名前をつけてくれた人の願いがたくさん込められています。「名は体を表わす」ということば日本にもあるけど、聖書でも名前はその人自身の性質を表わします。

神様はアブラムに「アブラハム」という新しい名前を与えました。アブラムは、単に「父」という意味でしたが、アブラハムは「多くの国民の父」という意味です。それは、神様が用意された新しい計画でした。

人がつけた名前の場合、人間の努力によってそうなるかも知れないし、そうではないかも知れません。でも、神様ご自身が名前をくださったということは必ずそうなるのです。この世界のすべてを、「ことば」によって造られた神様ご自身が、「あなたの名はアブラハムだ!」と言うのだから、確実です。

神様は、ボクたち一人一人にも、素晴らしい祝福の計画を用意してくださっています。そして、親しみを込めて、ボクたち一人一人を新しい名前で呼んでくださるのです。神様が、自分につけてくださっている本当の名前を探す冒険の旅に、君も出発しませんか?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたがボクのために用意してくださっている祝福の計画を感謝します。どうか、あなたが私に用意してくださっている新しい名前を知ることができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月21日金曜日

完全になるには

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現れ、こう仰せられた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたをおびただしくふやそう。」(創世記17:1-2)

◆どういうこと?◆
サッカー選手として、ミスをしないで、正確なプレーが出来るようになれたら最高だよね。でも実際、ミスのない、完ぺきなサッカー選手っているのかな?どんなに最高の選手と言われる人でも、どんなベテランであっても、人間である以上まったくミスをしないという事はあり得ません。みんなも「完ぺきなプレーをしなさい!」と言われても、なかなか出来ないよね?

でも、神様は、もう人生のベテランであるアブラムに向かって、「完全でありなさい!」って命令しているのです。

アブラムはこの時、もう99歳。もしみんなみたいに若ければ、「よし頑張ろう!」って思うかもしれません。でも、もうアブラムは肉体的にも衰えていて、自分の力ではどんなに頑張っても完全にはなれないことが分かっていました。たとえ若かったとしても、自分の力の限界を感じて、無理ですって思うかもしれないよね。

でも、それこそが「完全になる」ためのカギなのです。「自分にはできない!」と思うからこそ、「神様に頼る」ことが出来るのです。

「完全になる」ために不可欠なのは「素直に間違いを認める心」です。もし、ボクたちが、素直に自分の力の限界を認め、神様のことばを素直に心に受け入れ、神様にすべてを委ねるなら、神様はボクたちを少しずつ作り替えてくださるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、失敗や間違いを犯した時、それを素直に認める心を与えてください。そして、謙遜に、完全を目指して頑張れるように、神様の前を歩めますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月20日木曜日

苦しみを聞き入れてくださる方

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
また、主の使いは彼女に言った。「あなたの子孫は、わたしが大いにふやすので、数えきれないほどになる。」さらに、主の使いは彼女に言った。「見よ。あなたはみごもっている。男の子を産もうとしている。その子をイシュマエルと名づけなさい。主があなたの苦しみを聞き入れられたから。」(創世記16:10-11)

◆どういうこと?◆
いじめが原因で学校に行けなくなってしまったことのある人はいますか?そこまでではないけど、友達関係がこじれて何となく顔を合わせづらいとか、行きたくないって思った経験は、誰にでもあるかも知れません。

女奴隷のハガルは、いじめられて逃げていましたが、もう一度主人の元に戻って「身を低くするように」と命じられました。誰だって、つらい経験をした場所に戻って行くためには、勇気と励ましが必要です。何か状況が変わらなければ、もう一度がんばろうという気持ちにはなかなかなれません。

そこで神様は、ハガルに生まれてくる子孫についての約束を与えました。「あなたの子孫は、わたしが大いにふやそう。」

ハガルは、大いに励まされました。たとえまわりの状況が変わらなかったとしても、神様の約束のことばをしっかりと受け止める時、その状況を乗り越える力が与えられるのです。変わったのは、まわりの状況ではなく、ハガル自身の心でした。

神様は、あなたのどんな苦しみをも聞いてくださるお方です。そして神様のことばは、ボクたちの心に勇気を与えてくれます。聖書は、そんな神様からの約束のことばです。だから信頼して、神様からのことばを聞き続けましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたがどんな心の叫びにも耳を傾けてくださる事を信じます。どうかボクに必要な約束のことばを与え、力を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月19日水曜日

身を低くする

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
主の使いは、荒野の泉のほとり、シュルへの道にある泉のほとりで、彼女を見つけ、「サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか」と尋ねた。彼女は答えた。「私の女主人サライのところから逃げているところです。」そこで、主の使いは彼女に言った。「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」(創世記16:7-9)

◆どういうこと?◆
自分の置かれている状況をつらいと思ったことはありますか?出来れば逃げ出してしまいたいと思ったことはありますか?この人から逃げさえすれば、楽になるはずだ・・・。でも、ひょっとしたら、今のつらい状況は、あなたが「身を低くする」ことを学ぶためのものかも知れません。

「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」(1ペテロ5:6)

もし、今あなたが身を低くするなら、神様は一番いいタイミングであなたを高めてくださいます。

神様は、たった1人の奴隷の女にも目を留めてくださる方です。そして間違いなく、あなたにも目を留めていてくださいます。神様は、すべての状況を知っていてくださいます。その神様が、まず身を低くして従いなさいと言われるのです。信頼して、従ってみませんか?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、身を低くして謙遜を学ぶことが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月18日火曜日

不誠実の結果

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
アブラムはサライに言った。「ご覧。あなたの女奴隷は、あなたの手の中にある。彼女をあなたの好きなようにしなさい。」それで、サライが彼女をいじめたので、彼女はサライのもとから逃げ去った。(創世記16:6)

◆どういうこと?◆
アブラムは、中途半端な答えをしました。男らしくない!!
結局、サライはハガルをいじめました。そしてついにハガルは、つらくなって逃げてしまいました。

この問題の原因は、アブラム、サライ、ハガルそれぞれの内にある「不誠実」という「罪」です。誰か一人だけが悪かったのではなく、一人一人に罪があるのです。そして、世の中のすべての悲惨な問題の原因は、人間たちの「罪」にあるのです。

「罪から来る報酬は死です。しかし、神のくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ6:23)

罪の解決方法は、イエス・キリストを信じて永遠のいのちを得ることです。イエス・キリストが心の中に住み、みことばの力が心の中に注がれる時、不完全なボクたちをも神様のみこころを行なう人として、造りかえてくださるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、ボクの罪を取り除いてください。そして、神様のみこころを行なわせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月17日月曜日

自己チューに気をつけろ!

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
彼はハガルのところに入った。そして彼女はみごもった。彼女は自分がみごもったのを知って、自分の女主人を見下げるようになった。そこでサライはアブラムに言った。「私に対するこの横柄さは、あなたのせいです。私自身が私の女奴隷をあなたのふところに与えたのですが、彼女は自分がみごもっているのを見て、私を見下げるようになりました。主が、私とあなたの間をおさばきになりますように。」(創世記16:4-5)

◆どういうこと?◆
ハガルは妊娠したことが分かると、自分の女主人であるサライを見下すようになりました。子どもが出来ないサライよりも、自分のほうが価値があると思って誇ったのでしょう。サライは、ハガルが横柄になったのは、夫であるアブラムのせいだと言って、アブラムを非難しました。

このふたりに共通するのは何でしょう?・・・それは「自己チュー」な態度です。

実は、本当の自分の姿が試されるのは、こういった突然の状況の変化の時なのです。「普段はいい顔をしているけど、本当はこういう奴なんだ・・・。」「結局こいつは自分のことしか考えていないんだ・・・。」落ち着いて考えられる時でなくて、緊急の状況でどんな反応をするかが問われてくるのです。

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた物だと思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」(ピリピ2:3-5)

イエス・キリストは、ボクたちの罪の身代わりとして、十字架にかかって死んでくださいました。それは、自己中心とは正反対の「相手のために与え尽くす愛」です。

このイエス・キリストの十字架の愛の大きさを知れば知るほど、ボクたちにも「与え尽くす愛」が増し加えられるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、自己のことばかりではなく、イエス様のように、他の人のことも考えて行動出来るようにしてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月16日日曜日

信じ続ける

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
アブラムの妻サライは、彼に子どもを産まなかった。彼女にはエジプト人の女奴隷がいて、その名をハガルといった。サライはアブラムに言った。「ご存知のように、主は私が子どもを産めないようにしておられます。どうぞ、私の女奴隷のところにお入りください。たぶん彼女によって、私は子どもの母になれるでしょう。」アブラムはサライの言うことを聞き入れた。(創世記16:1-2)

◆どういうこと?◆
アブラムがこの場所にやってきてからもう10年が経ちました。神様の約束を信じているのに、相変わらず自分には子どもがない・・・。

そんな時、妻のサライが言うのです。「問題は私にあるのです。だから、あなたは女奴隷ハガルによって子どもをつくったらどう?それでも、神様の約束どおり、あなた自身の子どもであることには変わりがないでしょ。」

アブラムも、きっと疲れていたのでしょう。彼は、神様の声ではなく、サライの言うことに従いました。そうだ、それでも自分の子どもなのだからと自分を納得させながら・・・。そして、結局最後まで神様に信頼し続けることができなくなってしまったのです。

ボクたちも、弱っている時や疲れている時は、信仰がためされます。早くこの状況から抜け出したいと考えるあまり、無理矢理に何かを実現しようとして、安易な方法に手を出してしまいがちです。信じ続けるというのは、とても難しいことです。

でも、神様は必ず時を定め、約束を実現してくださる方なのです。だからこそ、最後まで忍耐をもって神様に期待して行くことが必要なのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、最後まであなたを信じ続けることができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月15日土曜日

義と認められる

おはようございます!
また大雪・・・。ケガなどしないように、そして自分でコンディションを整えられるように意識していこう。

◆今日の聖書◆
すると、主のことばが彼に臨み、こう仰せられた。「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。(創世記15:4-6)

◆どういうこと?◆
満天の星空って、見たことある?小さな南の島や、広大な砂漠などで見る星空は、本当に別世界で圧倒的な美しさなんだよ!!きっとアブラムが見た星空は、もっと素敵だったのでしょう。もちろん、星の数なんて数えられるはずがありません!でも、神様が見せてくれた星空は、アブラムの心を慰めました。そして、その星空をも超える祝福を神様は約束してくださっているという事実にアブラムは感動しました。

「私の信じている神様は、この偉大な天の星空さえも造った方なんだ!この方の約束に間違いなどあるはずがない。」

アブラムは、神様を信じました。神様は、それをアブラムの「義」と認められました。「義」とは「正しい」という意味です。ボクたちは、誰ひとり自分の行ないによって「正しい」と認められる人はいません。でも、神様のことばを素直に受け入れて「信じる」時、ボクたちは「正しい」と認められるのです。

神様を信じる人は、何かを恐れてコソコソする必要などありません。だからこそ、神様を信じる人は強い心を持っているのです。

今日、素直な心で、神様の約束を信じてみませんか?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、今日、素直な心であなたを信じます。どうか、約束の通り私を義としてください。イエス・キリストの名前でお祈ります。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月14日金曜日

忍耐の訓練

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
そこでアブラムは申し上げた。「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。私には子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。」さらに、アブラムは、「ご覧下さい。あなたが子孫を下さらないので、私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう」と申し上げた。(創世記15:2-3)

◆どういうこと?◆
神様からの約束が再び与えられた時、アブラムの心は揺れ動きました。神様のことばが信じられなかったからではありません。神様の約束は必ず実現すると信じれば信じるほど、自分に子どもがいないという現実をどう理解すれば良いのか分からなくなったのです。そこで、あれこれと考えたあげく、神様の前に先走った提案をしてしまったのです。

神様は、ボクたちへの約束をすぐに叶えてくれるとは限りません。なぜでしょうか?

「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」(ヘブル10:36)

・・・そうです。神様がすぐに答えてくださらないのは、ボクたちに「忍耐」を身につけさせるためなのです。「忍耐」とは何でしょう?忍耐とは、ただ我慢することではなく「信じて待つこと」です。

「その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全なものとなります。」(ヤコブ1:4)

なかなかすぐに思いどおりにならない時は、神様があなたを完全なものとなるための忍耐と信仰の訓練をしているのではないでしょうか。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、忍耐を完全に働かせて、完全なものとなることが出来るように力を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月13日木曜日

心の強い人

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
「これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは大きい。」(創世記15:1)

◆どういうこと?◆
世の中には「間違ったメッセージ」があふれています。「お前はダメだ」「やっても無駄だ」「お前が生きている意味なんてない」「バレなけりゃ何したっていい」・・・。そういうメッセージは、ボクたちを不安定にさせます。何か一つでもうまくいかなかったり、人と自分を比べてみたり、ほんのちょっとしたきっかけで、ボクたちにはそういうメッセージが聞こえてくるのです。そして、その事で頭がいっぱいになると、もう何も見えなくなってしまい、何も手に着かなくなってしまうことがあります。

逆に、心の中をいつも安定した状態に保てる人は、どんな時にでも力を発揮出来ます。「心の強い人」というのは、そういう人の事を言うのです。

心を安定した状態に保つ秘訣は何でしょう?それは、「間違ったメッセージ」に耳を貸すのではなく、「正しいメッセージ」を聞き続けることです。「正しいメッセージ」とは、ボクたちを造った神様のことばです。自分の心の内側を神様に注ぎだして祈り、聖書をのみことばを読むことを通して、正しいメッセージを正しく聞くことが出来るようになります。

神様はアブラムに、「恐れるな。わたしはいつでもあなたの味方だ!」と声をかけてくれました。それがアブラムの力になりました。

不安に感じる時、孤独を感じる時、どんな時でも、祈りと聖書を通して、まず神様の声に耳を傾けてみましょう。神様は、いつでもボクたちに励ましのことばをかけ続けてくれるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、この心を守ってください。いつでも正しいメッセージを聞いて、安定した強い心を保つことが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月12日水曜日

財産にまどわされない

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
ソドムの王はアブラムに言った。「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」しかし、アブラムはソドムの王に言った。「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムを富ませたのは私だ』と言わないためだ。」(創世記14:21-23)

◆どういうこと?◆
大勝利を収めたアブラムの元にやって来たもう1人の人は、ソドムの王です。ソドムは、アブラムのおいロトが住んでいた所です。

ソドムの王は、アブラムに一つの提案をします。「人々は私に返してください。その代わり財産はあなたがすべて取ってください!」・・・なんて魅力的な提案でしょう!?アブラムはどれほど喜んだことでしょう・・・。

しかし、何とアブラムはこの提案に対して逆ギレしたのです。「私がこの戦いに勝利できたのは、ただ神様のおかげなのだ。私を富ませてくれるのも神様だけだ。お前ごときに、私を富ませたとは言わせない!」

アブラムは、なぜソドムの王にキレたのでしょう?それは、ソドムの王が、この戦いの背後にいる神様の存在を全く無視していたからです。彼は、せめて人だけは取り返そうという、人間的な下心が見え見えでした。

アブラムは目先の利益にだまされませんでした。そして、アブラムは神様を忘れませんでした。アブラムには、健全なプライドがありました。

財産に目がくらんで、大切なものを見失ってはならないようにしましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、どんな時でも財産に目をくらまされて、自分が大切にしているものを見失うことがないようにさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月11日火曜日

神様に栄光をささげる

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
さて、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。彼はアブラムを祝福して言った。「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方。いと高き神より。あなたの手に、あなたの敵を渡された、いと高き神に、誉れあれ。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。(創世記14:18-20)

◆どういうこと?◆
アブラムが大勝利を収めると、まず1人の人がやってきました。王であり、祭司(神様と人との間で仕える人)であるメルキゼデクです。

彼は、アブラムに神様からの祝福を与えるためにやってきました。けれど、彼は、アブラムに「よくやった!」とか「君のおかげで勝利できた」とは言いませんでした。その代わりに「あなたに勝利を与えたのは、いと高き神様です!」と宣言したのです。「え?実際に戦ったのはオレたちなんですけど!?」

ボクたちはみんな、自分の活躍をほめてもらいたいと思っています。確かに、ほめてもらうことで人はもっと成長します。逆に自分の手柄がきちんと評価されないと、不平や不満が出るものです。しかし、本当に謙遜な人は、どんなことでも「自分の力だけ」で勝ったのではないという事を知っているので、人からの評価を必要以上に気にしません。

アブラムは、もちろん頑張りましたが、本当に勝利を与えてくれたのは神様であることをよく知っていました。だからこそ感謝して、神様に仕える祭司であるメルキゼデクに財産の10分の1をささげたのです。

ボクたちも、どんなときも勝利を与えて下さる神様に栄光をお返ししていこう!

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたは勝利を与えてくださる方です。これからも、あなたの祝福で包んでください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月10日月曜日

勝利の秘訣

おはようございます!

◆今日の聖書◆
アブラムは自分の親類の者がとりこになったことを聞き、彼の家で生まれたしもべども三百十八人を召集して、ダンまで追跡した。夜になって、彼と奴隷たちは、彼らに向かって展開し、彼らを打ち破り、ダマスコの北にあるホバまで彼らを追跡した。そして、彼はすべての財産を取り戻し、また親類の者ロトとその財産、それにまた、女たちや人々をも取り戻した。(創世記14:14-16)

◆どういうこと?◆
アブラムは、ロトが捕虜になったと聞いて、急いで兵士を集めて助けに行きました。その数たったの318人!相手は4つの王国の連合軍だったので、常識的には、全く勝ち目がありませんでした。

しかし、アブラムの兵士たちは、大勝利を収めたのです!そればかりか、ロトが失った財産まで取り戻しました。すごいですね!!

アブラムは、なぜ勝利することが出来たのでしょうか?

「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」(歴代誌第二16:9)

アブラムは「神様と心が一つになっていた」ので、神様から特別な力が与えられたのです。アブラムは神様に礼拝をささげ、へりくだっていました。兵士たちは、強い気持ちをもって訓練を受けていました。チームには一致があり、よい雰囲気がありました。

その力を引き出すカギは、ボクたちの姿勢です。あなたは、神様と心が一つになっていますか?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたと同じ心を持つことができますように。サッカーでも人生でも、神様からの特別な力によって、常に勝利を得ることが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月9日日曜日

本当に頼りになるもの

おはようございます!
すごい雪だったね。交通事故等に気をつけて!

◆今日の聖書◆
シディムの谷には多くの瀝青(れきせい;アスファルトのこと)の穴が散在していたので、ソドムの王とゴモラの王は逃げたとき、その穴に落ち込み、残りの者たちは山のほうに逃げた。そこで、彼らはソドムとゴモラの全財産と食料全部を奪って行った。彼らはまた、アブラムのおいのロトとその財産をも奪い去った。ロトはソドムに住んでいた。(創世記14:10-12)

◆どういうこと?◆
アブラムのおいのロトは、ソドムという、言わば高級住宅地のような所に住んでいました。これから、きっと楽しい生活をおくれるんだろうなっ♪そんな期待に胸をふくらませながら、ロトの新しい生活は始まりました・・・と思ったのもほんの一瞬。彼は、その地域の戦争に巻き込まれてしまい、王は倒れ、国は破れ、すべての財産を失ってしまったのです。

ロトが頼りにしていたものは、一体なんだったんでしょうか。・・・持ちきれない程の財産、高級住宅地。それらのものは、いざとなったら、何の役にも立ちませんでした。

「財産は激しい怒りの日には役に立たない。しかし正義は人を死から救い出す。」(箴言11:4)

このときロトは、目先の利益のことばかり考え、目に見えるものだけに価値を置いていました。しかし、目に見えるものは、一時的なものです。本当に大事なものは、目に見えないことが多いのです。

あなたは何を大事にしていますか?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、目先の利益ではなく、本当に大事なものを見抜く力を与えて、それらにより頼むことができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月8日土曜日

行動に移す

おはようございます!
今日は一日大雪の予報だね。事故などにあわないよう気をつけて過ごそう!

◆今日の聖書◆
「立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫(かし)の木のそばに来て住んだ。そして、そこに主のための祭壇を築いた。(創世記13:18)

◆どういうこと?◆
「はい、分かりました!」と、元気よくコーチに返事をした二人のサッカー少年。

一人は、コーチに言われた通りのことを実際にやってみました。でも、もう一人の子は、言われたことはちゃんと分かっていたのに、面倒くさかったので、その後何もしませんでした。どっちが、コーチにほめられたでしょうか?

・・・簡単ですよね?

多くの人が、口では「分かった」とか「信じる」と言いながら、その通り行動していません。でも、どんなに頭で理解しても、どんなに感動したとしても、どんなによい返事をしてみても、実際にボクたちが行動を起こさなければ、全く意味がないのです。

神様はアブラムに、信じた証拠に、実際にその場所を歩くという「行動」を求めました。そして、その通り従いました。

あなたはどうですか?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、何かを理解したとき、感動したとき、決心したとき、実際に行動に移すことができるように助けてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月7日金曜日

信仰の目

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが目渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。」(創世記13:14-16)

◆どういうこと?◆
君は将来サッカー選手になりたい?って聞くと、エスペランサでは、ほぼ100%「なりたいです!」と答えると思います。でも、ちょっとした挫折や、失敗、劣等感が積み重なると、だんだん自信がなくなって、あんなに熱かった夢を、あきらめたくなった事もあるかも知れません。

ボクたちは、なりたい自分になろうとする時、絶対に失ってはいけないものがあります。それは「ビジョン」です。「ビジョン」とは、将来を見ることです。まだ、それが実現していないうちから、それを思い描いて見るのです。それこそが「信仰」と呼ばれるものの正体です。

神様は、がっかりして肩を落としていたアブラムに、もう一度約束を与えてくれました。「さあ、目を上げて見てごらん!わたしは、この場所を永久にあなたに与えよう。そして、あなたの子孫を数えられないほどに増やしてみせるよ!」

アブラムは、言われた通り目を上げてこの地を見渡しました。すると、何も変わらないはずのその土地が、今度は輝いて見えるのです!なぜでしょう?アブラムに「信仰の目」が与えられたからです。今まで見えなかった、将来の素晴らしい姿が見えるようになったのです。

疲れた時、落ち込んだ時、神様は励ましてくれます。「さあ、君も目を上げて見てごらんなさい!」目を閉じて、信仰の目で将来の自分をしっかりと見てください。そこにはきっと、君の輝かしい将来が映し出されているはずです!!

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、信仰の目を与えてください。いつでも強い心をもって、神様の約束を待ち望むことが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月6日木曜日

悩みを乗り越える

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、・・・その地は・・・、主の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。それで、ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、東のほうに移動した。こうして彼らは互いに別れた。アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住んで、ソドムの近くまで天幕を張った。(創世記13:10-12)

◆どういうこと?◆
目の前には、よく潤っていて多くの実りがありそうな良い土地。ロトは、真っ先にこの一番いい場所をゲットしました。

アブラムは、ひょっとしたら、ロトが「おじさんこそ、先に選んでください」と言ってくれることを少しは期待していたのかも知れません。でも、そんな期待はもろくも崩れてしまいました。アブラムは、がっかりしました。自分は神様に祈り、正しいと信じて決断したことだったのに、やっぱり結果はこれか・・・。なぜなんだ・・・!?

ボクたちも、正しく行なったのに、結果がついてこないことがあります。なんでこんな風になってしまったのか、自分でも訳が分からないような状況に追いつめられてしまうこともあります。祈ってもすぐに良い結果が出ないと、すべて意味がないんじゃないかと思ったりします。

でも、そこで落ち込んで終わりではいけません。聖書はこう言っているのです。

「正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。」(詩篇34:19)

すぐにうまくいかなくても、神様を信頼し続けましょう。神様は、君を必ず助け出すと約束してくださっているのです!

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、悩みの中でも、あなたを信頼し続けることが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月5日水曜日

祈って決断する

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
そのうえ、アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちとの間に、争いが起こった。・・・そこで、アブラムはロトに言った。「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」(創世記13:7-9)

◆どういうこと?◆
目の前にケーキが2種類置いてあります。1つは大きくて、しかも見るからにうまそうなケーキ。もう一つは、ちいさくでショボいケーキ。君は、友達とそのケーキをわけ合わなければなりません。さて、君ならどうやって分ける?

アブラムは、ロトとの間に争いが起こった時、ロトに驚くべき提案をしました。

「あなたが、まず先に好きな方を選びなさい。私は残った方で構わないから。」

これは、ボクたちの常識では考えられないことです!もしこれが、本当にどっちのケーキを食べるかという問題であれば、遠慮して相手に譲るという人もいるかも知れません。でも、アブラムにとっては、これからの一生を左右するような決定的な決断だったのです。家畜全部を養えるか、生活が出来るのか、約束どおり神様の祝福を受けられるかどうかという分かれ目だったからです。

アブラムは、おいのロトに対しては、絶対的な権威がありました。それなのに、なぜアブラムは、一見損に見える決断をしたのでしょうか。それは、神様から与えられた知恵だったのです。彼はこの決断の前に祈っていました。祈りは、ボクたちの決断に心の確信を与えてくれます。そして神様に祈る時、ボクたちは時々、常識を超えた知恵が与えられることがあるのです。

アブラムは、実際この先どうなるかは、分かりませんでした。でも祈りの中で、ただ神に信頼して決断する時、一見損に見える事すら最善へと変えられていくのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、何かを決断するとき、祈って決めることができますように。祈って決めたなら、あとは神様に信頼して自信をもって出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月4日火曜日

モノに囲まれたとき

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
アブラムは家畜と銀と金とに非常に富んでいた。・・・アブラムといっしょに行ったロトもまた、羊の群れや牛の群れ、天幕を所有していた。その地は彼らがいっしょに住むのに十分ではなかった。彼らの持ち物が多すぎたので、彼らがいっしょに住むことができなかったのである。(創世記13:2,5,6)

◆どういうこと?◆
ボクたちは、多くのモノに囲まれて生きています。人よりもいいモノを持ってると優越感を感じたり、たくさん持ってるとそれだけで安心という人もいるかもしれません。でも、覚えておいて欲しいのは、最終的には、財産やモノが人を幸せにするのではないということです。

アブラムはこの旅の道中、財産のすべてを持って歩いていました。そしてそれがあまりにも多すぎたので、家族が一緒に住むことが出来ないほどになってしまっていました。もちろん、多くの財産を得ることはすばらしい事です!でも、逆にその財産が自分の足を引っ張って、自由がなくなるということもあるのです。

イエス・キリストは、「受けるよりも与えるほうが幸いである」と言われました。(使徒の働き20:35)

多くのものを所有するのは恵みです。でも、それらを人々のために与えて行く生活の方が、もっと恵みなのです。そういう心を持った人こそ、財産のあるなしに関わらず、本当に豊かな人なのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、受けるよりも与える幸いを知っていくことが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月3日月曜日

心を通わせる

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
それで、アブラムは、エジプトを出て、ネゲブに上った。彼と、妻のサライと、すべての所有物と、ロトもいっしょであった。・・・彼はネゲブから旅を続けて、ベテルまで、すなわち、ベテルとアイの間で、初めに天幕を張った所まで来た。そこは彼が以前に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは、主の御名によって祈った。(創世記13:1,3,4)

◆どういうこと?◆
中学生ぐらいだと、最近家族との会話がだんだん少なくなってしまった、という人もいるかも知れないね。その理由が何であれ、会話が少なくなると、お互いの心が少しずつすれ違い、何となくギクシャクしてきます。でも、みんなには少し照れくさいかもしれないけど、やっぱり家族との心が通いあう会話って、いいものです。

「祈り」というのは、神様との会話です。「祈り」とは、神様と心を通わせることです。祈るとは、単なる願い事ではありません。感謝したり、嬉しかったことを話したり、悲しかったときにそれを打ち明けたり、どんな事でも神様に向って話しかけることが出来るのです。

アブラムは、しばらく「祈り」をおこたっていました。だから、何となく神様から遠く離れているような感じがしました。でも、以前に礼拝をささげた記念の場所に戻ってきた時、彼は我に帰ったのです。そして、自分が「祈り」を忘れていたことを思い起こし、もう一度神様に心を込めてお祈りをしました。

神様は、いつでもボクたちの話を聞く準備が出来ています。どんな時でも、語りかける事が出来ます。ほんの少しだけでも、そうやって神様に心を向けることで、ボクたちの心は、不思議と落ち着いて、力が湧いて来るのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、いつでも祈ることが出来るように助けてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月2日日曜日

正しい影響力

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
そこでパロはアブラムを呼び寄せて言った。「あなたはいったい何ということをしたのか。なぜ彼女があなたの妻であることを、告げなかったのか。なぜ彼女があなたの妹だと言ったのか。だから、私は彼女を私の妻として召し入れていた。しかし、さあ今、あなたの妻を連れて行きなさい。」(創世記12:18-19)

◆どういうこと?◆
アブラムは結局追い出されることになりました。

はじめ、アブラムは自分の身を守ることしか考えていませんでした。でもその結果、エジプトの王であるパロに罪を犯させ、国全体に災いをもたらす結果となってしまったのです。

イエス・キリストはこの様に言っています。
「あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。」(マタイ5:13)

塩は、味付けをしたり、腐るのを防いだりするのに使います。同じように、ボクたちは本来、この世が間違った方向に行かないように、正しい価値観で影響を与えていく存在なのです。ウソをついて誤摩化したり、自己中心になって周りのことを考えないのは、この世界の間違った価値観です。ボクたちが、そのようなものに染まってしまっては、本来の役割を果たすことが出来ません。

誰に対してでも、塩けをつけることが出来る生き方を目指しましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、正しい価値観で生きることが出来ますように。そして、世界に、友達に、良い影響を与えて行くことができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!

2014年2月1日土曜日

バレなければいいのか?

おはようございます!
今日もT君のために心を合わせてお祈りしていこう。

◆今日の聖書◆
アブラムがエジプトに入って行くと、エジプト人は、その女が非常に美しいのを見た。パロの高官たちが彼女を見て、パロに彼女を推賞したので、彼女はパロの宮廷に召し入れられた。パロは彼女のために、アブラムによくしてやり、それでアブラムは羊の群れ、ろば、それに男女の奴隷、雌ろば、らくだを所有するようになった。しかし、主はアブラムの妻サライのことで、パロと、その家をひどい災害で痛めつけた。(創世記12:14-17)

◆どういうこと?◆
サッカーで、中学3年生が2年生の試合に出れば有利だよね。みんなは、年齢をウソついて下の学年の試合に出ても、バレなければいいと思う?・・・そんなことはないよね?たとえ人の目を誤摩化すことができたとしても、神様の目を誤摩化すことは出来ないのです。

アブラムの予想どおり、エジプトに入るとサライの美しさのゆえに、アブラムはもてはやされました。一見、アブラムが自分の妻のことを妹だと偽ったのが成功したように見えます。でも、それは長続きしませんでした。アブラムはひどい災害で痛めつけられました。神様は、アブラムの不正直さや、人々に対する恐れ、そして何よりも神様を信頼しなかったことを、そのままにしておくわけにはいかなかったのです。

もちろん、ルールに基づいた「ずるがしこさ」は必要です。ゲームが成立するためには、頭を使った、かけひきも必要だからです。

でも世の中には、ルールを無視して、目先の利益だけを求めて、ずるをして得をしようと考える人もいます。ひょっとしたら、ほんの少しだけ楽しい気分を味わうことが出来るかもしれません。でも、結局最後には、正しく行なった人が勝利するのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、ずるではなく、ただしく行なって勝利を得ることができるように守ってください。イエス・キリストの名前でお祈りします。

◆特別に祈ろう◆
「神様、今日もT君と一緒にいてください。そして体をいやし、試練を乗り越える力と勇気、心に平安と希望を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza! Vamos T!