2013年3月31日日曜日

恐れるな

おはようございます!

◆今日の聖書◆
あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」(イザヤ43:1)
※購い(あがない)・・・代価を払って買い戻すこと。

◆どういうこと?◆
ボクたちはいろんなことを恐れます。試合をする時、あなたが一番恐れているものは何ですか?
試合に負ける事でしょうか?失敗する事でしょうか?コーチや親に怒られる事でしょうか?味方にからかわれる事でしょうか?
その理由が何であれ、「恐れ」はボクたちを必要以上に緊張させて、本来持っている力を発揮出来なくさせてしまいます。

聖書では他の何かを恐れるのではなく、神様に目を向けるようにと命令しています。神様は、ボクたちを形造り、ボクたちを愛し、命がけでボクたちを罪から救い出し、ボクたちの名前を呼び、「あなたはわたしのもの」と声をかけてくださっています。神様は、ボクたちがどんなに失敗しても、うまくいかないことがあっても、ボクたちを絶対に見捨てる事がありません。

どんなことがあっても、自分のことを絶対に見捨てない方がいる。その事を知る事こそが、ボクたちを恐れから解放するカギです。聖書にはその神様のことがいっぱい書いてあります。これから、もっとこの方の事を知り、ともに歩んでいきましょう!!

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、どんな時でもボクを見捨てずにともにいてくださり、ありがとうございます。何かを恐れるのではなく、あなたに目をとめて歩む事が出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2013年3月30日土曜日

神様の愛

おはようございます!合宿最終日です。よい終わりを迎えられるようにがんばろう!

◆今日の聖書◆
父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。(詩篇103:13)

◆どういうこと?◆
神様はあなたのことを愛しています。あなたが何かが出来るからではなく、ルックスがいいからでもなく、頭がいいからでもなく、ただ「あなたが、あなただから」愛しているのです。神様にとって、あなたはかけがえのない、大切な存在です。

神様の愛に一番近いと言われるのは、親の愛です。親にとって、自分の子供は特別な存在です。無条件で食事を用意し、安全に気を配り、健やかに成長するのを助けてくれます。もし命の危険にさらされるようなことがあれば、自分が身代わりとなって助けてあげたいと思います。どうか、そんな当たり前に自分のことを愛してくれている親に対して、感謝を忘れないようにしてください。

しかし親も人間なので、時にはうまくその愛を表現出来ないこともあります。しかし、神様の愛は完全です。あなたは、親以上に自分のことを愛してくださっている神様の存在を、毎日の生活の中で感じ取ることができますか?たとえばおいしい空気や、美しい自然、特別に守られた事などの、背後にも神様の存在があるのです。毎日、少しずつ神様の愛を発見して感謝していこう!

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたの愛に感謝します。どうか毎日それに気づいていく事ができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2013年3月29日金曜日

感情をコントロールしよう

おはようございます!合宿もいよいよ後半戦。気持ちで負けないように乗り越えていこう。

◆今日の聖書◆
「もしも、きょう、民が見つけた、敵からの分捕り物を十分食べていたなら、今ごろは、もっと多くのペリシテ人を撃ち殺していたであろうに。」(第一サムエル14:30)

◆どういうこと?◆
今日の聖書はちょっと残酷な話かもしれません。でも、ここから伝えたいことは、どんなに神様が成功を約束していても、その目標を見失って自分の感情のままに走ってしまうなら、その結果は自分の思うようなものでなかったり、遠回りになってしまう事があるということです。

ボクたちは誰でも喜び、悲しみ、怒りなどさまざま感情を持っています。それ自体は神様がくれた素晴らしいものです。でもその感情をコントロールしないなら、自分勝手な生き方になり、与えてくれた神様の願いとは違う生き方になってしまうことがあるので注意が必要なのです。みんなはどうですか?自分の感情をしっかりコントロールしていますか?

◆お祈りしよう◆
「神様、ボクたちに感情を与えてくれてありがとう。これからは感情をコントロールして目標にまっすぐ進めるように助けてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン」
Vamos Esperanza!

2013年3月28日木曜日

どんな悪い状況も変えられる

おはようございます!

◆今日の聖書◆
あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。(創世記50:20)

◆どういうこと?◆
神様はどんなことも良いものに変えることが出来る方です。ヨセフは兄弟たちのねたみから捨てられ、どれいとして売られてしまいました。でも、その結果、彼はエジプトに行き、そこで王様に仕える重要な人物となり、兄弟や神様の民を食料難から助けることになったのです。

このように神様はボクたちが最悪と思えることも全て良いものへ変えることができる方です。今やっていることが意味あるか分からないことたくさんあるかもしれません。でも、一つひとつが人の目には無意味であっても、神様はそれをきっかけにしてボクたちに大きな働きをさせようとするのです。

◆お祈りしよう◆
「神様、喜べないこともたくさんあるけど、良いものに変えることができる神様に委ねます。導いてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン」
Vamos Esperanza!

2013年3月27日水曜日

聖書のことばを覚えよう

おはようございます!合宿一日目の夜はしっかり寝たかな?二日目も気合い入れてがんばろう!

◆今日の聖書◆
この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。(ヨシュア1:8)

◆どういうこと?◆
毎日聖書のことばを送っていますが、それらの箇所を覚えているでしょうか?
もし覚えていないなら今日から一週間の聖書のうち一つでもいいから覚えていくようにしよう。理由は、聖書の言葉は神様の言葉であり、みんなへの約束だからです。

いつもボクたちが聖書の言葉を覚え、守るなら神様は祝福し、力を与えてくれます。でも逆にもし覚えようとしなかったり、無視をするなら祝福はありません。それはボクたちに希望がないことを意味しています。みんなはどちらがいいですか?希望のない毎日を望む人はいないと思います。それならまず今日の聖書を覚えるようにやってみてください。

◆お祈りしよう◆
「神様、聖書の言葉を自分のものとしてしっかり覚えられるように助けてください。そして希望をください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン」

Vamos Esperanza!

2013年3月26日火曜日

機会を逃さない

おはようございます!今日から合宿がんばろう!

◆今日の聖書◆
そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。(エペソ5:15-16)

◆どういうこと?◆
みんなは毎日の生活を賢くすごしていると思いますか?振り返ってみると、ゲームをやり過ぎていたり、マンガを読むのに時間を使いすぎている事に気がつくかもしれません。たしかに気分を変えるため、そのような趣味に時間を使うことは良いです。でもそればかりに時間を使っていると、大事なこと、自分の目標に向かって進むチャンスを見失ってしまうことがあるので注意が必要です。

神様はボクたちにあらゆるチャンスを与えられており、喜びをもって毎日を生活することを望まれています。でも、それに対してどのように応えていくかは自分たちにかかっています。毎日の練習や勉強も同じ。目標を目指すなら、今日は大丈夫と思わないで、チャンスがいつきても応えられるようにしっかり準備していこう。

◆お祈りしよう◆
「神様、遊びに目がいってしまうことが多いけど、誘惑にいつも負けてチャンスを逃さないように、準備できるようにさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2013年3月25日月曜日

ボクたちの弱点を知ろう

おはようございます!

◆今日の聖書◆
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は私たちのすべての咎(とが)を彼に負わせた。(イザヤ53:6)

◆どういうこと?◆
羊は食べ物に対してとてもどん欲で、エサにつられていってしまう傾向があるようです。また羊は単独で活動することが苦手でストレスがたまったり、問題に直面したときに対する行動は逃げることしか方法がありません。このように羊は欲に弱いのに、ひとりになると自分では元の道に戻る事ができない存在です。

羊はとても極端な動物ですが、実はボクたちも同じで欲にとても弱く、本当の問題にであったとき逃げる以外に方法がない存在なのです。
本当の問題とは何でしょうか?それは神様を知らないで生きているという問題です。神様は人を神様のすばらしさを表す存在としてつくられました。でも、自分の欲望に負けてしまい、目標から外れた的外れな生き方をするようになってしまったのです。聖書ではこれを罪と言っています。つまりもし神様を無視して、自分の好き勝手に歩むなら、ボクたちは罪人なのです。その結果はどうでしょうか?罪人は罰を受けるように自分の罪の罰を自分で受け取らなくてはいけません。でも、神様はそれをさせないように、イエス様をかわりに十字架にかけてくれたのです。そして、イエス様がボクたちを罪の問題から助け、元の道に帰れるようにしてくれるのです。

◆お祈りしよう◆
「神様、ボクを罪から救ってくれてありがとう。これからは神様のため生きれるように導いてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2013年3月24日日曜日

目標となる存在

おはようございます!

◆今日の聖書◆
ご承知のように、あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から購い(買い取られた)出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。(第一ペテロ1:18-19)

◆どういうこと?◆
サッカー選手なら誰か一人は目標となる選手がいると思います。彼のようになりたくて得意なプレーをまねてみたり、同じ格好をしてみようとすることがあるでしょう。そして更に進むとそのヒーローと同じ様な生き方をし始めたりします。ヒーローはボクたちの生き方にとても影響を与える大きな存在となっていくのです。そのヒーローがみんなに良い影響を与える人ならいいですが、いくら世界的なプレーをしていたとしても、お酒や異性、またはドラッグなどにお金をつかい込んでいるなら、良い影響を与える人とはなりません。むしろ僕たちの生き方まで巻き込んでしまうこともあり、とても注意が必要です。

それではどうすればいいでしょうか?聖書にはお金やお酒などすぐに消えてしまうような存在に頼る人の歩みはむなしいと語っています。これはサッカーも同じです。いくらプレーがうまくても、周りに良い影響を与えないならその人はむなしく、それを目標にする人もむなしくさせてしまうのです。一方で神様は僕たちをむなしい生き方から守り、意味ある歩みへと変えてくれます。だからまず自分に良い影響を与える神様を軸にして目標を見つけるようにしていきましょう。

◆お祈りしよう◆
「神様、すぐになくなってしまうようなむなしい存在ではなく、良い影響を与える神様を軸にして目標をしぼっていけるように助け導いてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2013年3月23日土曜日

父の存在

おはようございます!

◆今日の聖書◆
「わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」(第二コリント6:18)

◆どういうこと?◆
父の存在は家を支える大黒柱と言われるようにとても大きなものです。その存在は家族を経済的に支えるだけではもちろんありません。
そればかりかボクたちが成長するため必要なアドバイスを与え、時には間違っていることを教えしかって、もう一度正しい方向へ導いてくれる存在です。しかし日本では離婚や仕事などが原因で家族との関わりが減ってしまうようになり、父の存在が家族にとって薄くなってしまったようです。

みんなの家族はどうでしょうか?きっと全力でみんなを支えてくれる素晴らしいお父さんたちなのではないかと思います。もしそうならいつも感謝を忘れずにいきましょう。
でももしそうではなかったとしても、悲しむ必要はありません。なぜならボクたちにはもっと信頼できる存在がいるからです。それは神様です。神様はクリスチャンの中で「天のお父さん」と呼ばれています。ボクたちをとても愛し、成長できるようにいつも導き、離れることがないお方です。だからこれからは肉親の存在に感謝しつつ、天にいるお父さんにも助けてもらいながら成長をしていこう。

◆お祈りしよう◆
「神様、あなたがボクのお父さんとなってくれてありがとう。これからもっと成長できるように助けてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2013年3月22日金曜日

互いに励まし合う

おはようございます!

◆今日の聖書◆
また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。(ヘブル10:24)

◆どういうこと?◆
あるチームがリーグ戦で優秀な成績をおさめた時、選手達はそれぞれ自分の家族と喜びを分ちあっていました。でもその中でA君は一人だけ輪に加わらず寂しく座っていたようです。その様子に気がついたB君が「うれしくないの?」と聞いてみると、彼は悲しそうにこう答えたようです。「僕には誰も喜んでくれる家族がいないから…。」A君の家族は離婚し、お父さんはアルコール依存症で応援には一度も来ていなかったのです。するとB君はチームメイトや監督、そして家族達を呼んで彼をハグし始め、喜びを分ちあったそうです。A君はみんなの行動に感激し、とても励まされました。そして、その日以来喜びはみんなでハグをしあうチームになりました。

ハグは海外では特に互いの愛情(恋愛ではなく、大切にしている気持ち)を表わす行動です。今日の聖書はこのB君がした行動のように、互いに喜びを分かち合う、励まし合うことをすすめています。イエス様は僕たちが喜べるように、ボクたちすべての悲しみを背負って十字架にかかられたからです。神様はみんなに共に喜びをわかちあい、成長することを望んでいます。だからエスペランサも誰一人喜びの輪からもれる人がいないようにそれぞれ注意して全員で励まし合っていこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、チームや学校の中で一人だけで悲しむ人がいないように、励ましを与える人に僕を変えてください。そして、みんなで喜びを分かち合えるようにしてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2013年3月21日木曜日

どこに居ても見放さない

おはようございます!

◆今日の聖書◆
王は彼に言った。「彼(ヨナタンの子)はどこにいるのか。」ツィパは王に言った。「今、ロ・デバルのアミエルの子マキルの家におられます。」(第二サムエル9:4)

◆どういうこと?◆
今日の聖書に出てくるロ・デバルは当時、国の中心地から離れていましたが、内陸部へのルートとして重要な場所でした。しかし不便で誰も望んで住む町ではありませんでした。何故ヨナタンの子メフィボシェテはこのような喜ばしくない場所に住んでいたのでしょうか?それは彼の両足が不自由に原因がありました。彼は王の子孫でしたが、王とその子どもは殺されてしまいました。本来ならメフィボシェテも殺されたでしょうが、彼が不自由であり、何もできない者と見下されたため、全てをうばわれ家族の殺された場所で生かされていたのです。希望を見いだせないような状況にあった時に、今日の聖書の言葉がダビデ王から出たのです。

ダビデ王がまだしもべだった時、王の子どもだったヨナタンはダビデを大切にし、良くしてくれました。だから王とヨナタンが殺された事をとても悲しみ、その家族の生き残りがいないかを探し始めたのです。そして子孫であるメフィボシェテを見つけ、彼を首都エルサレムに呼び寄せ、彼の家族が持っていた財産を返し、ダビデと共に食事をできるようにされたのです。
ボクたちも状況は違いますが、自分の望んでいない苦しい状況で生きなくてはいけない場合があります。でも、もしボクたちが希望を捨てず、神様を信頼して生きるなら、神様は見放さずご自分のもとへ導いてくれるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、たとえ苦しい状況になっても、神様を信頼していきます。だから見放さないで導いてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2013年3月20日水曜日

思い悩まないで信頼する

おはようございます!

◆今日の聖書◆
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と想いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4:6-7)

◆どういうこと?◆
エスペランサはこれまでに何度も大きな問題を乗り越えてきました。中には本当に大丈夫?と不安に思う人もいたでしょう。 でもボクたちはそのような状況にあっても、今日の聖書を思い出して神様に信頼し続けてきたのです。

ボクたちは不安でいっぱいになると、目の前のものに助けを求めようしたり、言い訳を言って現状をまっすぐ受け止められない弱さをもっています。クリスチャンであっても、お祈りが困った時の神頼みになってしまうことも、その弱さが原因と言えるでしょう。 ポイントは「本当に神様を信頼しているか」です。神様はみんなに心から信頼して欲しいと願っています。そして、最後まで信頼する人の祈りに応えようとされるのです。

みんなは神様を100%信頼していますか?何も心配しないで神様にまかせるなら神様は必ず応えてくれます。エスペランサのスタッフ達はその信頼の中で何度も奇跡と思えるような出来事を体験してきました。そして今後も素晴らしい出来事を目にしていく事を100%確信しています。みんなも信頼し続けてこの素晴らしい奇跡を期待していこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、これから起こる出来事に期待して全部神様を信じてお任せします。与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2013年3月19日火曜日

神様と出会う

おはようございます!

◆今日の聖書◆
アロンとすべてのイスラエル人はモーセを見た。なんと彼の顔のはだが光を放つではないか。それで彼らは恐れて、彼に近づけなかった。(出エジプト34:30)

◆どういうこと?◆
今日の聖書に出てくるモーセは、シナイ山で神様と直接出会うことがゆるされ、神様から話を聞きました。でも神様はその圧倒的な存在感で太陽のように輝いていたので、恐れて顔を見られなかったようです。そのような神様と会う中で、モーセも神様の栄光を受ける存在へと変わりました。彼の姿は神様と同じようであり、誰も近づけない程でした。そして民はモーセを見て、神様が共におられることを確信したのです。

モーセのいた時代はイエス様がこの世にくる前の時代だったので、人はモーセのように神様がゆるした者のみ出会える時代でした。しかし、二千年前にイエス様が十字架にかかられ、神様と人の関係を直してくれたことによって、すべての人も神様と出会える時代に変わっていったのです。だからイエス様を信じて歩む人は「世の光」としてモーセのように神様の栄光を受ける存在となれる特権を与えられました。
でも、信じたからといって神様と直接会えるわけではありません。それは神様が決めることだからです。だけどヒントはあります。神様は「神様の声、ことばに耳を傾ける人を喜ぶ方」ということです。聖書に真剣に耳を傾けるなら、その人に神様は出会ってくれるでしょう。そして、神様に似た姿へと僕たちも変えられていくのです。みんなは神様ともう出会いましたか?期待して聖書のことばにしっかり目を向けよう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、僕たちも希望の光となれるように、神様に似た姿へ変えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2013年3月18日月曜日

リーダーとして

おはようございます!

◆今日の聖書◆
あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。(第一ペテロ5:2)

◆どういうこと?◆
全員がチームのキャプテンではありません。でもセレクションに合格して選ばれたように、サッカーの部分であったり何か、他の人より優れたものを神様から与えられている存在とも言えます。
これはどういう意味を持つでしょうか?これはボクたちがそれぞれリーダーとして他の人へ良いお手本となれる存在であることを表しています。もちろん技術的なものだけではなく、精神的、人格的にもです。ボクたちの周りには学校の友達や後輩たちがたくさんいます。みんなはそれぞれがこのような人たちの良いお手本となっているでしょうか?
神様はボクたちにただサッカーを楽しむためだけに、その才能や性格を与えたわけではありません。与えられたものを通して、他の人を助け、神様にある希望を伝え、励ましてほしいと願っています。みんなは持っている才能を自分のためだけに使っていませんか?もしそうなら、これからは神様のために、他の人のために使っていきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、他の人にはない才能を与えてくれてありがとうございます。これからはその力を神様や他人のために使えるように変えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2013年3月17日日曜日

ワンマンプレーをやめよう

おはようございます!

◆今日の聖書◆
自分のことだけではなく、他の人のこともかえりみ(意味:他の人の事も考える)なさい。(ピリピ2:4)

◆どういうこと?◆
小学校低学年の試合を見ていると、いつも誰にもパスをせずひたすらにドリブルで相手を抜こうとする子がよくいます。
ある試合では、ひとりの子が毎回ボールをもらうとドリブルで進もうとしていました。しかし、どれだけ仲間がフリーになっていてもパスをせず、周りを囲まれてカットされるまでボールを持ち続けたため負けてしまいました。その子はドリブルが沢山できて楽しかったかもしれません。でもパスがこないで負けてしまった仲間はとてもがっかりしていました。

みんなはこのような自分勝手なプレーをしていないかもしれません。でも普段の生活はどうでしょうか。自分だけが楽しければ良いと思っていませんか?例えば自分がジュースを飲みたくて、友達がいやがっているのにお金を無理矢理借りようとしたり、ゲームをしたくなって友達から取り上げたりしたことはありませんか?もしやった事があるなら、それは低学年の子たちがやっている事と同じであり、ボクたちはまだ幼いと言われても仕方ないでしょう。ボクたちのチームは神様のチームです。みんなはそのチームにふさわしい選手になっていますか?今に満足せず、他人を大切にして、身も心もさらに成長させていこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、自己中心の考えから、もっと周りのことを考えられる人へ変えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2013年3月16日土曜日

正しい心

おはようございます!

◆今日の聖書◆
私は、全き道に心を留めます。いつ、あなたは私のところに来てくださいますか。私は、正しい心で、自分の家の中を歩みます。(詩篇101:2)

◆どういうこと?◆
正しさはただ練習のときだけ見せるものではありません。
それは、僕たちの家族や友人、または対戦相手など僕たちが出会う全ての人の前でも同じです。

みんなはチームの中でやっている正しい事(あいさつ、ごみ拾い、感謝、相手を尊敬するなど)を家や学校など、あらゆるところで同じようにやっていますか?
正しい事は神様が喜ばれる事で、僕たちはいつもこれらのことを大事にしていくべきものです。

でも、いつも心がけてやっていなければ、どこかでボロが出てしまうものでもあります。
みんなの生活はどうですか?神様に喜ばれるような毎日に神様の助けをもらいながら変えていこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、正しい事をいつもできる人になれるようにさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2013年3月15日金曜日

パズルのように

おはようございます!

◆今日の聖書◆
最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。(第一ペテロ3:8-9)

◆どういうこと?◆
僕たちはエスペランサという一つのチームですが、本当に心を一つにし、お互いを尊敬し、大切にしているでしょうか?
それぞれ性格や好みは違うので、全員と仲良くなることはむずかしいかもしれません。しかし、そうであっても相手を大切にすることはできるのです。

みんなはそれぞれパズルのピースに例えることができます。パズルは一つでもピースが欠けていればその穴を他のもので埋めることはできず、いつまでたっても完成することができません。僕たち一人ひとりも同じです。性格が合わない、サッカーがうまくないなどで自分のパズルとは彼は違うと思うかもしれまえん。しかし、実は自分の真横に合うピースではなかったとしても、その彼が当てはまる場所(必要とされている場所)がパズルのどこかに必ずあるのです。

神様は僕たち一人ひとりを素晴らしい存在、同じものがないように人をつくりました。双子であっても、全てが完全に一致することはないのです。
みんなはそれぞれオリジナルの存在です。だから、欠けても良い存在はひとつもありません。これからはこの事をしっかり覚え、お互いを大切にしあっていきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、どんなに性格があわなくても、その人を見捨てず、大切にできるように僕を変えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2013年3月14日木曜日

労苦はむだではない

おはようございます!

◆今日の聖書◆
ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。(第一コリント15:58)

◆どういうこと?◆
どんなにがんばっていても、思っている結果に結びつかないことはよくあります。そのような時はがっかりして、やる気がなくなってしまうかもしれません。みんなはこの様な時をどのように乗り越えているでしょうか?ある人は「すばらしい働きは力によるのではなく、忍耐によって達成される。」と語っています。どういうことでしょうか?これは毎日の練習に例えることができます。サッカーをうまくなるには、一年で一回の練習では足りません。毎日練習を重ねることで、身体が動きを覚え、どんな試合でも結果を出せるようになっていくのです。

大事なのは、目標をしっかり持ち、その目標を達成するためには忍耐が必要ということを覚えることです。僕たちが目標のために最善を尽くすとき、神様はそのがんばりを知っています。そして、その経験は決して無駄にはなりません。だから、いつも目の前の結果ではなく、先にある本当の目標をしっかり見て準備をしていきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、どんなに練習してもうまくいかないことがあります。でも、今ではなく、目標を達成するためにあきらめないでいけるように助けてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2013年3月13日水曜日

命をかけて

おはようございます!

◆今日の聖書◆
イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(ルカ9:23)

◆どういうこと?◆
「命をかけて戦う」大事な試合を前にボクたちはよくこの様な気持ちを持って戦いに望むのではないかと思います。
でも、みんなは腕や足が折れてもいい、心臓が破裂するまで走る覚悟で戦っているでしょうか?ドーハの悲劇と言われる日本がW杯出場を逃した試合の相手であったイラクは日本に負ける=国の恥としてむち打ちの刑など拷問を受ける可能性があったようです。そのため選手たちは文字通り必死で戦い、試合終了直前にゴールし引き分けで拷問をさけることができました。

ボクたちは彼らのようにむち打ちをかけて戦うことはありませんが、彼ら程ではなくても負けられない戦いはあると思います。もし、みんながそこで「命をかけて戦う」と思うなら、イラクの選手のようにしっかり最後まで戦いぬこう。でも途中で気持ちが折れそうになったり、負けそうになることもあるでしょう。そんな時はイエス様を思い出してください。イエス様は僕たちが希望を持てるように十字架にかかってくれました。だからイエス様を思い出して、何度でも立ち上がって最後まで希望を見て戦い抜いていこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、途中で気持ちが折れて、あきらめたくなることあるけど、最後まで戦えるように力を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2013年3月12日火曜日

恐れをしめだす

おはようございます!

◆今日の聖書◆
愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。(ヨハネの手紙第一4:18)

◆どういうこと?◆
「恐れ」は、本来ボクたちを危険から守ってくれるものです。もしボクたちに恐れがないなら、おそらく平気で危険に飛び込んで行ってしまい、やがて確実に自分の身に破滅をまねいてしまいます。
しかし一方で「恐れ」はボクたちを消極的にさせるものです。恐れは、ボクたちが本来持っている力を100%発揮するのを妨げてしまうのです。

失敗に対する恐れ、人間関係に対する恐れ、将来に対する恐れ、ケガや病気に対する恐れ、そして死に対する恐れなど、恐れにはいろいろなものがあります。
あなたがもっと成長したいと願うなら、まず自分自身の中にある恐れを自覚し、それを克服しなければなりません。
あなたが一番恐れているものは何でしょうか?

聖書は、恐れを克服するカギは、恐れと戦うのではなく、恐れを締め出すことだと言っています。ボクたちの心が「愛」によって満たされるなら、恐れは締め出されます。もちろん、これはロマンティックな愛のことではありません。(そのような愛にも力はありますが、また別の恐れを生むからです。)そうではなく、神様の愛によって満たされる時、恐れを克服することが出来るのです。

ボクたちの罪の身代わりとして、十字架の上で死んでくださったイエス・キリスト。この方を心にお迎えするなら、ボクたちにも神様の愛が注がれ、恐れを克服する力が与えられるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、いつも恐れにとらわれて消極的になってしまいます。どうかあなたの愛で心を満たし、恐れを克服することが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2013年3月11日月曜日

人を恐れない

おはようございます。

◆今日の聖書◆
いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私が今なお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません。(ガラテヤ1:10)

◆どういうこと?◆
例えば学校の友達が万引きをしようとしています。そしてお前も仲間なんだから同じ事をするようにと言っています。さあみんなならどうするでしょう。仲間はずれになる事を恐れて万引きをしますか?それとも断って悪い事だと注意しますか?

神様はボクたちを造られた神様に目をとめる事を願っています。もし万引きを断って仲間はずれにするのであれば、彼らは本当の友達とは言えません。でも例え彼らが離れたとしても、ボクたちは独りではありません。何故ならボクたちには神様がおり、神様を大切にする仲間がいるからです。神様は恐れではなく「愛」によって行動しました。神の愛は自分のいのちを捨てるほどの勇気と真剣さをもった本当の愛です。そして神様は人に罪がある事を教え、間違った道に進んでいる事を伝えました。同じようにボクたちも大切な仲間であるなら、間違いを伝える事ができるはずです。

だから仲間の事で不安を覚える時は十字架にかかったイエス様を思い出しましょう。イエス様の勇気ある行動を思い出す時、正しい事を選び取る本当の強さが与えられるからです。これからは神様を信じて歩む者としてふさわしい仲間づくりをしていこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、人の目ばかりを気にしていた事を許してください。いつもあなたに目を留め、正しい事を選び取ることが出来る力を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2013年3月10日日曜日

信じる気持ち

おはようございます!

◆今日の聖書◆
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。(ヘブル11:1)

◆どういうこと?◆
サッカー選手になるために一番必要なものは何でしょうか?恵まれた身体能力でしょうか?すぐれた技術でしょうか?賢い戦術理解でしょうか?素早い判断力でしょうか?
もちろん、それらはみんな必要なものです。でもそれにも増して一番必要なものがあるとすれば「自分は絶対にサッカー選手になる」と信じる強い気持ちでしょう。その強い気持ちが、辛い練習に耐える力を与え、どんな身体的な弱点をも克服し、ケガやスランプをも乗り越えさせ、夢が実現するまで続ける精神力を与えてくれるのです。

しかし信じると言っても、自分自身には限界があります。だから、ボクたちはボクたちを造った神様を信じるのです。何でも出来る神様が、自分に力を与え、すべてのことが出来るようにしてくださると信じるのです。それを「信仰」と言います。

「信仰」こそがすべての望みを実現するカギです。今日も信仰をもって、その一歩を歩みだしましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたがすべてのことを実現する力をもっていることを信じます。毎日、あなたの力を体験しながら生きて行く事が出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2013年3月9日土曜日

約束は変わらない

おはよう!

◆今日の聖書◆
ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫びだし、「主よ。助けてください。」と言った。(マタイ14:30)

◆どういうこと?◆
もし神様がはっきり「今日の試合は絶対に勝つ。」と約束されたとします。それなのにいきなり3失点したらどう思いますか?これはひとつの例として言いましたが、同じようにボクたちの人生には約束があるにも関わらず、約束とは違うように見える状況がよくあります。この様な時、ボクたちは約束されたのに何で負けてしまうんだと神様におこったりしませんか?

弟子のペテロはイエス様が湖の上を歩いているのを見て、イエス様に自分も歩きなさいと命じてくれるよう話ました。そして船から一歩足を出し、歩き始めましたが徐々に恐怖におそわれギブアップしてしまいました。ボクたちも同じです。約束されたことを信じて一歩踏み出しますが、さまざまな状況で不安が大きくなって信じられなくなったりするのです。でも神様は一度約束されたことを必ず達成させる方である事を忘れてはいけません。その道は無理と思える程大変なものもあるでしょう。しかし、一度された神様の言葉は途中で変わることはないのです。だから神様の約束をしっかり信頼してあきらめずゴールまで歩んでいこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、思うようにいかないこともあるけど、神様を信頼してゴールへ到達できるように強くしてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン」
Vamos Esperanza!

2013年3月8日金曜日

しかりから逃げない

おはよう!

◆今日の聖書◆
わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる。(しんげん3:11-12)

◆どういうこと?◆
現代の若者は叱られると、顔をそらし、逃げたり、話を聞かない傾向があるようです。その原因は親から叱られない事が大半のようですが、エスペランサのみんなはどうでしょうか?
エスペランサに来ると忘れ物や悪い態度をするとコーチが叱ります。でも、残念なことに話をしっかり聞いていなかったり、全く反省をしていない人がいるように思います。
このような人も現代の若者だから仕方ないと言ってしまえばそれで終わりですが、本当にそうでしょうか?もちろんそんなことはありません。

僕たちにはそれぞれ知恵が与えられており、物事を考えて判断できます。同じように良い事や悪い事を学んで成長することもできるのです。叱られることは決してうれしい事ではないですが、そのことを通して学ぶことで成長していけるようになります。だから、もし話をしっかり自分のものとして聞かず、受け止めない人は成長を自分で止めてしまっている人と言えます。そうなっていたら成長できない事に言い訳はできません。聖書では「愚かな者は恥を得る。」と厳しく語っています。みんなはどうですか?叱りをよく聞く人は神様が愛し、祝福してくれます。どちらが自分にとって良い道か考えてみよう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、叱られることは好きではないけど、成長のため、ちゃんと叱りを聞けるように忍耐力を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン」
Vamos Esperanza!

2013年3月7日木曜日

誰を見て祈っているのか

おはよう!

◆今日の聖書◆
善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」(第一列王3:9)

◆どういうこと?◆
今日はソロモン王が神様から「何が欲しいのか?」と聞かれたときに応えた祈りです。ソロモン王は何でも求めることがゆるされていました。でも王はお金や権力など、自分のためではなく神様の与えられた民を正しくさばくための知恵と聞き分ける心を求めました。神様はその思いを喜び、願うものだけでなく、お金や権力などすべても与えられたのです。

ここから何を学べるでしょうか?

ひとつキーワードがあります。それは「誰を見て求めるのか?」です。僕たちも練習や試合前にお祈りしますが、それは自分たちが活躍できるためでしょうか?もしそうなら神様はその思いに応えてくれないかもしれません。何故なら神様は与えるだけではないからです。神様は僕たちにいつも喜んでほしい、その喜びを神様に感謝し、分かち合ってほしいと願っています。だから神様はソロモンのように神様を見て、求める人に応えるのです。僕たちもいつも誰を見て祈っているかを考えてお祈りしていこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、自分の利益ばかり求めてごめんなさい。これからは神様のことを覚えてお祈りできるように変えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン」
Vamos Esperanza!

2013年3月6日水曜日

愛=恋愛?

おはよう!

◆今日の聖書◆
子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。(第一ヨハネ3:18)

◆どういうこと?◆
日本人は昔から愛を表すことに苦手意識を持っているようです。これは愛について理解の違いが原因にあるのではと思わされます。
もし「愛」について質問すると、バレンタインやデート、恋人など恋愛が思いつくでしょう。実際に多くの日本人が愛=恋愛(ロマンス)につなげてしまうことが多いのです。だから、男同士で「愛してる」と言っていたらすぐに気持ち悪いと反応するのは当たり前かもしれません。では、さっきの質問を海外の人にしたらどうでしょうか?多くは神様、十字架、家族などと答えます。彼らにとって「愛」は好き嫌いなど恋愛感情だけでないのです。

聖書はいつも恋愛の「愛」ではなく、永遠のつづく大切なものとして「愛」を指しています。 その愛はイエス様がボクたちのために十字架にかかったのと同じように、自己犠牲をいといません。一方で恋愛は感情に大きく左右され、自分の欲望を満たして幸せと感じる部分が強くあります。だからもしボクたちがそのような恋愛にいつもとどまるならなら麻薬中毒者のように、いつも満足できず一時的な愛を求め続ける悲しい歩みが待っています。みんなはどちらの愛を持っていますか?今日一日考えてみよう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、自分を満足させる愛から、他の人を喜ばせる愛に変われるように助けてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン」
Vamos Esperanza!

2013年3月5日火曜日

ボクたちのやるべき事を知ろう

おはよう!

◆今日の聖書◆
彼が、「主よ。あなたはどなたですか?」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」(使徒9:5-6)

◆どういうこと?◆
みんなはやならくてはいけない事を知っていますか? そのやるべきと思う事は正しい事と思いますか?

今日の聖書は自分は正しいことをやっていると思っていたパウロに語られたことです。パウロは信仰に熱い人でしたがイエス様のことを理解せず、イエス様の弟子を敵と思い込み、彼らを殺すことは良いことだと信じていました。そんなパウロが更に攻撃をしようと準備をしていた時に突然光に包まれ倒れてしまいました。そして、そこに現れたのが自分が敵と思っていたイエス様だったのです。パウロはこの出会いによってイエス様が自分の神様だったことに気がつき、本当にやらなければいけないことは弟子を攻撃することではなく、彼らを励まし、イエス様のことを伝えていくことだとわかりました。

みんなは正しい事、やらなければいけない事をやっていますか?
ボクたちのやることはサッカーです。でもみんなが神様の存在を無視してサッカーをしているのであれば、パウロのように本当にすべきことに気がつけないのです。みんながエスペランサに来たのは偶然ではありません。実は神様がサッカーを通して、みんなにより大きなことをさせようと選んでくれていたのです。だから神様にお祈りして自分のすべきことを知れるように期待しながら毎日を過ごそう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、パウロのように、僕のすべきことを教えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン」
Vamos Esperanza!

2013年3月4日月曜日

見返りを求める生き方をしない

おはよう!

◆今日の聖書◆
人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれの生き方により、行いの結ぶ実によって報いる。(エレミヤ17:9-10)

◆どういうこと?◆
人の心には何か他の人のためにするとき見返りをもらおうとする誘惑がいつもわいてきます。「良いことをしたんだからお金をもらえる。」そのように思ったことはありませんか?でも最初からお金を得るために相手を助けるなら、それはきびしいようですが「陰険(心に悪さを持っているの意)」であると語っています。つまり「良いことではない」のです。

神様はそんなボクたちの心の内側をしっかりと見ています。そしてその動機を知っていてその行動にふさわしい実(結果)を与えるのです。もし人のため心から仕えるなら神様は祝福し、自分のためにするなら神様はそれなりの実を与えます。これは鏡が自分の姿をそっくりそのまま写してくれるの同じです。だからもう自分のために良い事をするのはやめて純粋に相手のために仕える姿へと成長していこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、これからは自分の利益のためではなく、相手のために仕えられるようにさせてください。そしてそのような姿を祝福してください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン」
Vamos Esperanza!

2013年3月3日日曜日

互いに支え合う

おはよう!

◆今日の聖書◆
それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。(第一ペテロ4:10)

◆どういうこと?◆
たくさんの人によって支えられサッカーをさせてもらっていることを感謝していますか?お父さんやお母さん、コーチ達には感謝しているかもしれません。でも僕たちが会ったことがない人の中にも、グラウンド購入のため、毎日お祈りし、お金をささげてくれる人もいることを知っていますか?彼らは自分たちの財産の多くを僕たちのためにささげてくれています。細かくは言えませんが、その額や時間は一生かかっても返せないほどと言えるでしょう。どうかこのような人たちがいることも忘れず感謝していきましょう。

それにしても、彼らはどうして会った事のない僕たちを支えてくれているのでしょうか?それは、今日の聖書が理由です。彼らは自分たちに与えられたものを、神様のため、神様のために働く人々の必要のためにささげているのです。それがベストだと信じて仕えているのです。これに対して僕たちはどうでしょうか?ただ受け取るだけでしょうか?「良いグラウンドでプレーできるようになってうれしい。」それだけで良いでしょうか?それは違います。神様は「互いに」と言っているように、僕たちにも彼らと同じように仕えることを求めています。僕たちは大金はないかもしれません。でも最善のプレーをし、神様のチームの一員としてふさわしく生きることはできます。彼らがささげて良かったと思えるように成長はできるのです。ですから、僕たちも僕たちにできることを通して彼らや家族などすべての人たちに仕えていきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、僕に多くのものを与えてくれてありがとう。これからは僕も他の人に仕えられる人にしてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2013年3月2日土曜日

ボクたちは選ばれている

おはよう!

◆今日の聖書◆
しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたに宣べ伝えるためなのです。(第一ペテロ2:9)

◆どういうこと?◆
DNAが全く同じと言われる一卵性の双子でも、ホクロなど身体に出る特徴が違ったり得意なことも違うようです。だからうり二つと言える存在であっても全く違うのですから、僕たちはエスペランサという一つのチームのメンバーだとしてもそれぞれが別々の存在ということはすぐに分かると思います。つまり、僕たちはサッカーという同じ目標を持ち、一つのチームに集まっていても、一人ひとりは違った役目を持つ存在として生きているのです。

今日の聖書は僕たちがそのように色々な存在の中から、神様は更に特別な存在として声をかけてくれていることを語っています。そして、神様のチームの中で自分自身にだけ与えられている役目を果たして生き、輝けるように導いているのです。みんなはこの素晴らしい声かけに気がついていますか?神様のチームメンバーとして、輝いていけるように歩んでいこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、色々な人から僕を選んでくれてありがとう。チームメンバーとして自分の役割を果たせるように助け導いてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2013年3月1日金曜日

才能があるからこそ要注意!

おはよう!

◆今日の聖書◆
ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。(第一コリント10:12)

◆どういうこと?◆
才能のある人、成功をおさめている人は自分に自信を持っている人が多いようです。それ自体は悪いものではありません。しかし、その自信が相手を見下す原因となり、その油断から失敗をしてしまうことはよくあります。自信を持ち過ぎることは、人を盲目(目の見えない状態)にさせ、目の前の落とし穴に気づかない状態になってしまうのと同じなのです。

聖書はこのように過信をしている人は、悪の誘惑に簡単に乗せられてしまう要注意人物として警告しています。いつも自分自身を過信しない人は周りに注意ができます。しかし、過信する人は「何でもできる」「いつも成功する」と思い込んでしまい、罠に気がつかないで進んでしまいます。だから、神様は「いつも目を覚ましていなさい。」と注意しているのです。悪は飢えているライオンのように、僕たちが穴に落ちるのをずっと待っています。いつも神様に助けてもらいながら、罠に引っかからないように注意して生活しよう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、自分を信じすぎたり、誇り過ぎて悪の罠に引っかからないように助けてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!