2015年2月28日土曜日

岩の上に

おはようございます!


◆今日の聖書◆
だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。(マタイ7:24)

◆どういうこと?◆
日本一の高さを誇る東京スカイツリー632mですが、それを支える基礎部分はなんと50mも掘り下げて築かれています。また、世界一高い建築物であるブルジュ・ハリファは828mもありますが、やはり土台は地下に70mも掘り下げられて基礎が築かれているそうです。

建物は土台が肝心です。しっかりと掘り下げて、固い岩盤の上に建てた建物は、ちょっとやそっとでは倒れません。しかし、軟弱な土地の上に建てた建物は、簡単に倒れてしまします。

ボクたちの人生も同じです。土台を掘り下げず、楽をして見えるところだけに気を配って塔を築き上げるなら、早く家を建てることができるかもしれません。しかし、何かちょっと困難があるとすぐに崩れてしまいます。しかし、土台の部分にしっかりと時間をかけ、掘り下げて準備をしている人は、よりしっかりとした、高い塔を築くことができるのです。

イエス様はその土台とは、神のことばだと言われました。神様のことばの上に土台を築くなら、そういう人は簡単には倒されることはありません。この土台の上に人生を築いていく決心をしましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、人生の土台を、揺るがない神様のことばの上に築いていくことができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年2月27日金曜日

良い実を結ぶ

おはようございます!

◆今日の聖書◆
良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。(マタイ7:17-18)

◆どういうこと?◆
良い実を結ぶための近道はありません。まずは、実を実らせるための木がしっかりと健康でなければなりません。木が健康であるためには、しっかりと土に根を張り、養分や水分をしっかりと吸収できなければなりません。また、他の何かにさえぎられることなく、太陽の光をしっかりと浴びて、自ら成長していく必要があります。良い実を実らせるためには、まずは良い木となる必要があるのです。

ボクたちの人生にそれをどのように当てはめたらよいでしょうか。結果だけを求めて、テスト前に慌てて勉強したり、目の前の勝利だけを考えて不正をしたりしても意味はありません。そうではなく、まずは勉強でも、サッカーでも、人格面でも、地道に自分自身がしっかりと成長する必要があります。そういう人は、時がくれば必ず良い実を結ぶのです。

良い木となるためには、良い環境にいることが大切です。すべての知恵と力といのちの源である神様のことばに養われてしっかりと根を張るならば、そういう人は良い木となり、良い実を結ぶのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、私も良い実を結べるように、良い木となれますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年2月26日木曜日

狭い門から入りなさい

おはようございます!


◆今日の聖書◆
狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。(マタイ7:13)

◆どういうこと?◆
「赤信号、みんなで渡ればこわくない」という言葉があるように、ボクたちは何が正しいか分かっていても、他の人がやっているからという理由で、簡単に間違ったことをやってしまうものです。「みんながやってるから」という理由で犯罪が正当化されることはありません。

電車やバス、集合場所などで友達と一緒にいるとき、あなたは周りの状況が見えているでしょうか。ただ自分たちだけで盛り上がって、他の人の迷惑になるようなことを行っていないでしょうか。そんな時でも、周りに流されずに、正しいと分かっていることを選び取れる人、そういう人こそが本当に強い心を持った人です。

イエス様に従う道は、狭い門を通ってでしか歩むことができません。これは、他の人と並んで通るのではなく、自分自身の決断によってしか通ることができない道なのです。その決断ができる人には、神様が正しい判断力とそれを実行する力を増し加えてくださいます。そして、実はその狭いと思っていた道こそが、もっとも安全で、もっともエキサイティングで、もっとも充実した道であることを、後になって見出すのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、私も狭い門を通って、いつも正しいことを選び取る強い心を持って歩むことができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年2月25日水曜日

ほかの人にも

おはようございます!


◆今日の聖書◆
それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。(マタイ7:12)

◆どういうこと?◆
誰でも人は「あー、こうして欲しいのに…。」と周囲の人に、自分のやってもらいたい事を伝えたいと思う気持ちを持っています。
でも、大抵の場合、自分はそう思って、周囲の人にやってもらっても、自分は他の人にやってあげない場合が多かったりします。

みんなはどうですか?家族にいつも洗濯や食事を任せ、自分はゲームやテレビばかりしていたりしませんか? どんな人であっても、自分にしてもらいたい事は、他の人にとっても嬉しい、助かる事なのです。

今週、ほんの少しでも構いません。ほかの人、特に家族に対して、何かよいことを行えるように心がけてみましょう。

この事を覚え、普段からやっていく時、その行動は自然と身につきます。そして、その積み重ねによって、自分自身を喜ばせるだけではなく、周りの人を喜ばせる=周りに良い影響を与えられる人へと成長していけるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、周りによい影響を与えていける人になれるように、まず自分のしてもらいたい事を他人にやっていけるようにしてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年2月24日火曜日

求めなさい!

おはようございます!!

◆今日の聖書◆
求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。(マタイ7:7)

◆どういうこと?◆
エスペランサでは練習や試合前に必ずお祈りをしていますが、どうしてお祈りをしているのでしょうか?

今日の聖書がその答えです。僕たちがお祈りしている相手は全知全能の神様です。その方を疑いなく信じるなら応えてくれることを約束しているから祈っているのです。だから、毎回コーチたちは、神様を100%信じてみんなが守られ、力を与えられるようにと本気でお祈りをしています。

ボクたちの練習している野七里グラウンドもコーチや教会の人が本気で祈る中で与えられました。横浜で1クラブチームがフルサイズの専用グラウンドを持つことは不可能と言える状況の中で、正規サイズがつくれる土地が与えられ、マイクロバスも数台使える状態になり、人工芝のグラウンドも実現しました。これらのようにどんどんと奇跡は実現しているのです。

ボクたちが 一致して本気で祈るとき、その祈りが神様の願いにかなうなら不可能と思えることでも必ず実現します。だから疑わないで自分たちの夢のため真剣に祈っていこう。

神様は与えたい、応えたい、開いてやりたいといつでも待っておられます。しかし、ボクたちが本気で願わないので、応えようがないのです。ボクたちが 一致して本気で祈るとき、その祈りが神様の願いにかなうなら不可能と思えることでも必ず実現します。だから疑わないで自分たちの夢のため真剣に祈っていきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、本気で神様を信じてお祈りします。僕たちの夢を実現させてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年2月23日月曜日

はっきり見える

おはようございます!

◆今日の聖書◆
なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁(はり)には気がつかないのですか。・・・偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。(マタイ7:3,5)

◆どういうこと?◆
ボクたちは他人の悪や失敗、欠点は簡単に目につきます。でも、そういう時は、たいてい自分のことは棚にあげていて、むしろ自分自身がよく見えていないことが多いのです。

イエス様は、人の目の中にあるちりにを指摘する前に、自分の目から梁(はり)を取りのけなさいと言っています。梁とは、家を支える大きな横木の木材のことです。相手のちりよりもはるかに大きな木材が自分の目を見えなくしているのに、自分自身で気づいていないというのです。自分がどれほど罪深い存在か、まったく見えなくなってしまっているということです。

しかし、もし自分の罪を悔い改め、その木材を取り除くなら、はっきり見えるようになって、相手のちりをも取りのぞくことが出来るようになります。その時は、単に相手を裁くのではなく、イエス様に赦された、その愛をもって相手のちりを取り除くことができるようになっているでしょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、まず自分自身悔い改めに早い者となれますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年2月22日日曜日

さばいてはいけない

おはようございます!

◆今日の聖書◆
さばいてはいけません。さばかれないためです。(マタイ7:1)

◆どういうこと?◆
ここで言う「さばく(裁く)」とは、相手を悪だと決めつけて責めることです。

ボクたちは、あいつは悪い、あいつが間違っている、これは親のせいだ、などと、他の人を指差して責めることがとても得意です。しかしよく言われるように、ボクたちが誰かを指差して避難するならば、残りの指は自分の方を向いているということを自覚しなければなりません。

自分のことはどこまでも受け入れて、ゆるせるのに、人に対してはそれができない。ボクたちにはそんな弱さがあります。

ボクたちには裁く権利などありません。しかし、正しく裁かれる方であるイエス様はボクたちの代わりに裁かれてくださり、十字架にかかって身代わりとして死んでくださいました。まずは、自分がどれほどゆるされ、愛されている者かを自覚し、感謝して歩む者とならせていただきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、人を裁くのではなく、あなたの愛に感謝しつつ歩めるように導いてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年2月21日土曜日

平静の祈り

おはようございます!

◆今日の聖書◆
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイ6:34)

◆どういうこと?◆
自分の手に負えないことは、神様にお任せして、あとは自分のやるべきことに集中する。そんなことを祈った、有名な祈りの文章があります。

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神よ、

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気を
われらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの
冷静さを与えたまえ。

そして、
変えることのできるものと、
変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
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これは、とてもパワフルな祈りです。

ボクたちは、あまりにもいろんなことを心配しすぎています。そうではなく、今日この瞬間を大切にし、集中すべきことに集中して、精一杯歩んでいけるように、神様に知恵を求めつつ、地に足をつけた生活を目指していきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、今日やるべき事に集中し、心を込めて行なうことができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年2月20日金曜日

神の国とその義

おはようございます!

◆今日の聖書◆
神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6:33)

◆どういうこと?◆
オルテガ監督はまだ中学生ぐらいの時、将来のことを悩んでいたそうです。でもこの聖書の箇所を思い出し「神様を第一に求める」ということを改めて決心したそうです。すると、不思議なことにすべての状況が整えられて、何と16歳でプロ契約をすることになったのです。神様を第一とした時、進むべき道が開かれたのです。

みんなの悩み事って何ですか?将来の事、試合の事、勉強のこと、お金の事、人間関係の事など、悩み出すと尽きないよね。でも「神様を第一にする」なら、ボクたちの必要のすべては与えられると神様は約束してくださっているのです。「神様を第一にする」というのは、毎日の生活のすべての事について、いつも神様がボクたちにどうして欲しいのかを第一に考えて行動するということです。心配する必要はありません。神様との関係が良ければ、すべてが良くなるのです。

今、あなたが一番心配していることは何ですか?何を一番恐れていますか?人生で第一に求めているのは何ですか?悩み事から解放され、神様の祝福の約束を体験するために、今日から「神様を第一にする」ことを求めて行きましょう!

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたを第一に求めます。心配しているすべての事をあなたにお任せします。あなたの祝福を体験させてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年2月19日木曜日

野の草

おはようございます!

◆今日の聖書◆
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。(マタイ6:30)

◆どういうこと?◆
大自然に出てその美しさや偉大さに感動したことはありますか?野に咲く花や木々、空の鳥や動物や小さな虫たちや、海や小川や森など、大自然のすべてが互いに関わり合いながら調和を保っている様子に目を輝かせたことはありますか?


忙しすぎて、自分を見失いそうになることはありませんか?そういう時は、神様が直接作られた自然に目を向けてみましょう。何気なく見過ごしてしまっている一つ一つの中にも、神様の愛とすばらしさが刻み込まれています。神様がどんなに小さな生き物に対しても、これほどまでに良くしてくださっている。そのことに目が開かれるなら、自分の心も満たされていくのを感じるでしょう。

ボクたちは、この神様に信頼して歩むのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、忙しくて自分を見失うことがないように、いつもあなたのわざに目を留めさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年2月18日水曜日

空の鳥を見なさい

おはようございます!

◆今日の聖書◆
空の鳥を見なさい。種まきもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養ってくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。(マタイ6:26)

◆どういうこと?◆
心配しないで生きる生き方とは、どのような生き方なのでしょうか。イエス様は言われます。「空の鳥を見なさい」と。

空の鳥は日々の暮らしを心配しているでしょうか。自分の食べ物を得るために自分で種を蒔きますか?明日の食べ物がなくなるかもしれないと心配して、食べ物を倉に納めるでしょうか?そんなことはしないけれど、立派に毎日を生きています。なぜですか?神様が必要なものをすべて備えてくださり、養ってくださっているからです。

あなたは鳥よりもはるかに優れたものです。ですから、神様はあなたの生活に必要なものも、すべてちゃんと備えてくださっているのです。

あなたは、いろんなことに心を奪われて、心配ばかりしていませんか?すべて、神様が備えてくれます。心配せずに、信頼して歩みましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、空の鳥のように、あなたに完全に信頼しつつ毎日を歩めますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年2月17日火曜日

心配しないで

おはようございます!

◆今日の聖書◆
だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。(マタイ6:25)

◆どういうこと?◆
ボクたちは、すぐに色んなことが心配になります。ああなったらどうしよう、うまくいかなかったらどうしよう、怒られたらどうしよう・・・。

でも、神様は言われます。「心配するのはやめなさい!」

心配とは、まだ起こってもいないことを不安に思って心を悩ますことです。先のことを勝手に不安に思って暗い思いで過ごす人生と、先のことは任せなさいと言ってくださる神様を信じて安心して過ごす人生、あなたはどちらを選びたいですか?

神を信じることは、単なる人間のプラス思考とは違います。心配事があるなら、あなたを造られ、あなたのすべてを知っている神様に祈り、すべてをお任せしましょう。そして、心配するのではなく、信頼して歩み出しましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、心配ばかりするのではなく、あなたに信頼して歩めるように、私を導いてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年2月16日月曜日

宝のあるところ

おはようございます!

◆今日の聖書◆
あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。(マタイ6:21)

◆どういうこと?◆
宝とはあなたの心を占めているものです。あなたの宝は何でしょうか?それは神様に喜んでいただけるものでしょうか?それともこの地上でしか価値のないものでしょうか?

この世の富はボクたちを惑わします。問題なのは、ボクたちの心の奥深くにまで根をはっている財産、金銭への執着です。一度、金銭に心を奪われると、ボクたちの人生はもはやそれをコントロールすることができず、むしろ金銭に人生をコントロールされるようになってしまいます。目に見えるものに惑わされないようにしましょう。

神様は、ボクたちに必要なものを与えてくださいます。神のうちにある価値観にしっかりと目を留めて、自分の心を本当に価値のある永遠に続くものに置いていきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、私の心が金銭に執着しないように、価値のあるものを見極められるように守ってください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年2月13日金曜日

悪からお救いください

おはようございます!

◆今日の聖書◆
だから、こう祈りなさい。「・・・私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」・・・(マタイ6:13)

◆どういうこと?◆
世の中には様々な悪がはびこっています。 それらの悪はいつもボクたちに戦いを挑み、神様の愛から引き離そうとしてきます。友達が悪いことをしていて、お前もやってみろよとしつこく誘ってくるかもしれません。誰も見ていないところで、ちょっとした出来心でお店から何かをとってしまいたくなるかもしれません。みんながやっているからと、他の人の悪口を言い、人を傷つけるような行動を自分もしてしまうかもしれません。

良いことをするのと、悪いことをするのに必要な時間は同じです。だったら良い方を選びましょう。悪と戦おうとするのではなく、まず悪から遠ざかることを選びましょう。なぜなら、悪の力はとても強く、まともに自分で戦おうとしても足元をすくわれてしまうからです。

イエス・キリストは「すでに世に勝った」と宣言してくださった方です。この方とともに歩むならば、ボクたちには悪を遠ざけ、正しいことを選び取る知恵と力が与えられます。この方とともに歩むならば、たとえ悪に引き込まれそうになったとしても、勝利を得ることができます。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、私を試みにあわせないでください。罠を見分け、誘惑から遠ざかる知恵を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年2月12日木曜日

試みに会わせず

おはようございます!

◆今日の聖書◆
だから、こう祈りなさい。「・・・私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」・・・(マタイ6:13)

◆どういうこと?◆
「試み」という言葉は、「誘惑」という意味でもあります。神がボクたちの内側にあるものを明らかにするときには「試練」と訳され、サタンがボクたちを攻撃するときには「誘惑」を使います。しかし「試み」には、いつも両側面があるということを心に留めておくべきでしょう。

試練を通してボクたちは成長しますが、そこにはいつも誘惑があります。そして誘惑の中にはいつも罠があるのです。「試みに会わせないでください」という祈りを通して、ボクたちのたましいは罠を見分け、弱さを自覚し、誘惑から遠ざかる知恵を得るのです。それでもなお与えられる「試み」は、神からの「試練」として、神により頼みながら戦っていくべきものなのです。

祈りはあなたを守ります。神は、ボクたちの弱さをよく知っているので、このような祈りを教えてくださったのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、私を試みにあわせないでください。罠を見分け、誘惑から遠ざかる知恵を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年2月11日水曜日

仕返しは無意味

おはようございます!

◆今日の聖書◆
もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。(マタイ6:14)

◆どういうこと?◆
今日も「赦す」ということについて、考えてみましょう。

こう考える人はいませんか?「赦せというけれど、ひどいことをされて仕返しをしたくなるのは間違いなのでしょうか?」いいえ、仕返しをしたいと思うことは問題ではありません。ただ、問題はほとんどの場合、自分が悪いことをされた結果奪われたものを取り返すのは不可能だということです。

子供を捨てた男性が、自分の奪ったものを子供に返せますか?両親の生活を何年間もめちゃくちゃにしてきた息子は、両親から奪ったものを返せるでしょうか。試合で削って怪我をさせた人が、相手選手が失ったものを返せるでしょうか?

過去はどんなことをしても取り戻せません。傷ついた経験には、謝罪や経済的な賠償をしてもらったとしても、埋め合わせられない気持ちの問題が伴います。

仕返しによっては何も解決しません。自分自身の心が癒されるためには、赦すことによって自分からその権利を手放す以外ないのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、仕返しを求めるのではなく、赦すことができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年2月10日火曜日

赦すことを学ぶ

おはようございます!

◆今日の聖書◆
だから、こう祈りなさい。「・・・私たちの負いめをお赦しください。」(マタイ6:9,12)

◆どういうこと?◆
「赦す」ということについて、引き続き見ていきます。

あなたは心に怒りをかかえていませんか?怒りとは「あいつは俺に借りがある」という態度のことです。誰かが自分に悪いことをした、だから当然私もお前に仕返しをする権利がある、というような心の思いのことです。

しかし「怒り」が心にとどまると、今度はその怒りがあなたを支配するようになってしまいます。なんだか怒りっぽい人っていますよね?怒りの感情が自分を支配するようになると、極度の被害者意識に襲われ、うまくいかないことの理由を「あいつのせいだ」と思い続けたり、自分の悪い行動を自己正当化したりし始めます。

でも「赦す」とは、相手に仕返しをする権利を手放すことです。権利を手放したら、損するんじゃないかって?とんでもない。赦さないことによって損しているのは、あなた自身なのです。どんなに相手を責め続けても、お金で償わせても、ぶん殴ってみても、あなたが赦すという行為を取らない限り、あなたはそこから解放されることはありません。だから、ボクたちはどのようにして赦すかを学ばなければならないのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、怒りが心を支配することがないように、赦すことができる力を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年2月9日月曜日

許しと赦し

おはようございます!

◆今日の聖書◆
だから、こう祈りなさい。「・・・私たちの負いめをお赦しください。」(マタイ6:9,12)

◆どういうこと?◆
ゆるしには2種類の漢字があります。「許し」と「赦し」です。

「許す」というのは、許可することです。このグラウンドを使うことを許しますとか、学校に入学することを許しますとか、相手の申し出を認めることです。

一方、「赦す」というのは、相手の罪をとがめないことです。その罪を水に流すということです。相手から悪いことをされた時、「いいよ、ゆるしてあげる」と言ったとします。でもそれは水に流してあげるということで、相手に悪いことをしてもいいよと許可を与えることではないですよね。だから、この場合の「ゆるす」は本来「赦す」が正しいです。

でも、ボクたちは簡単には人を赦せないものです。自分をいじめたあいつのことを赦せますか?自分が虐待されていたとして、その人のことを簡単に赦せますか?逆に、いつまでも「オレの人生をめちゃくちゃにしたのはあいつのせいだ」と、赦すどころか恨みで心がいっぱいになってしまうのではないでしょうか。ボクたちは、自分の力で人を赦すことは出来ないのです。

でも、赦せない心は自分の人生を窮屈にしてしまいます。赦さないことで損をするのは自分なのです。でも、神様には不可能はありません。私も、イエス様の十字架の愛で赦されたのだということが分かってくると、自分も人を赦すことができるようになるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたの赦しの恵みを感謝します。私にも赦すことができる力を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年2月7日土曜日

私たちの負いめ

おはようございます!

◆今日の聖書◆
だから、こう祈りなさい。「・・・私たちの負いめをお赦しください。」(マタイ6:9,12)

◆どういうこと?◆
「負いめ」とは「負債」のことです。負債とは返さなければならない借りがあるということです。ボクたちは、神様に対して返さなければならない借りがあるというのです。では一体その返さなければならない借りとは、何でしょうか?

それは、ボクたちの「罪」です。みなさんの中には、自分は特に大きな罪を抱えていないと思う人もいるでしょう。でも、罪は大小の問題ではありません。キレイな水に一滴でも汚水が入っていたらもはや飲むことが出来ない水になってしまいます。同じように、罪はどんなに小さいように見えても、人を汚すものであることに変わりありません。あなたにはどれだけ自分の罪が見えているでしょうか。

罪には死の刑罰が伴います。しかし、ボクたち誰一人としてその代価を払い切ることは出来ないのです。しかし、イエス様がボクたちの罪の身代わりとして十字架の上で死んでくださったことを通してボクたちの罪は赦されたのです。

ボクたちにできることは、新しく自分自身の罪に気付かされたとき、それを神様の前に告白して主に赦しにすがり続けることだけです。でもそうするならば、神様はその瞬間にその罪を赦し、あなたをきよめて、いのちの道へと再び導いてくださるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、私は罪人です。私を赦してください。私がもっと自分自身の心に敏感であることでできますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年2月6日金曜日

お与えください

おはようございます!

◆今日の聖書◆
だから、こう祈りなさい。「・・・私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」(マタイ6:9,11)

◆どういうこと?◆
日ごとの糧とは、文字通り毎日食べる食物のこと。ボクたちが生きて行くために食べ物はどうしてもなくてはならないものです。イエス様は、それらが与えられるように祈りなさいと言われるのです。

でも皆さん、食べ物が与えられるのなんて当たり前だと思っていませんか?あえて切実に祈らなくても、特に困ることはないと思っていませんか?・・・確かに現代の日本で食料に困っている人はほとんどいないでしょう。

でも、実は長い歴史を見るとそんな時代は稀です。もし、与えられていることが当たり前だと考えるなら、あなたの心には感謝ではなく不満が満ちていきます。まだ得ていないものを要求するようになります。いつまでも満たされることはありません。

目を世界に向けるなら、今でも食べるものが手に入らず飢餓に苦しんでいる方々が大勢いるのです。「私たちの日ごとの食物」のために、言われています。あなたが、彼らも「私たち」の中に招き入れるなら、この祈りは切実なものになるでしょう?まずは、自分に与えられている恵みに感謝して、そのような方々にも思いを向けていきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、与えられている恵みを感謝いたします。今日も私たち一人一人に生活に必要な食物を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年2月5日木曜日

みこころが行われるように

おはようございます!

◆今日の聖書◆
だから、こう祈りなさい。「・・・みこころが天で行われるように地でも行われますように。」(マタイ6:9,10)

◆どういうこと?◆
「みこころ」とは、神様の心です。神様は、天も地もすべてのものを、みこころによって造りました。すべてのものは造られた目的があり、すべてのものは父なる神の力で支えられています。

「天」とは、そのみこころが完全に行われているところです。神様が支配しておられる、神様の王国です。父なる神の右にはイエス様がおられ、無数の天使たちがみこころのままに仕えています。

しかしこの地は、神のみこころが完全に行われているとはとても言えない状況です。心にイエス様を受け入れ、信じて歩んでいるボクたちに与えられている使命は、この地においても神のみこころが実現するように仕えることです。

どのようにして?
まずは自分自身が、神のみこころに従って歩んでいくことを求めていきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、みこころが天で行われるように、私もみこころに従って歩み、この地に神の国を拡げていくことができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年2月4日水曜日

御国が来ますように

おはようございます!

◆今日の聖書◆
だから、こう祈りなさい。「・・・御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。」(マタイ6:9,10)

◆どういうこと?◆
神様の王国が「来るように」とはどういうことでしょうか。

イエス様が十字架の上で死んでよみがえってくださり、神様の王国は回復しました。そして、信じた私の心は神様によって治められています。しかし、この神の国の領域はもっと広げられなければいけません。

第1に、私の心の中でその領域を増やす必要があります。神様を信じたけれど、まだ信じきっていない部分が心の中にありませんか?それは王様が自分の心を支配することを拒否して締め出していることになるのです。イエス様を心の隅々にまでお迎えするなら、この世のものとは違う平安がボクたちの心を満たすのです。

第2に、私が関わるすべてのことの上に神様の国が広げられる必要があります。あなたの家族、あなたの友達、あなたの学校、その他あなたが関わるすべての人。イエス様は、彼らの心も神様が治めてくださるように祈りなさいと言っておられるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたの王国が来ますように。私の心の中に。この地上でのあらゆる人々の心の中に。主の平和が実現しますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年2月3日火曜日

神の王国

おはようございます!

◆今日の聖書◆
だから、こう祈りなさい。「・・・御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。」(マタイ6:9,10)

◆どういうこと?◆
御国とは、神様の王国のことです。王国とは、王様によって統治されているところのことをいいます。

誰でも一度は、「自分は王様になりたい」と思ったことがあるのではないでしょうか。王様は一番偉くて、金持ちで、贅沢をしていて、わがままを言い放題で、しもべたちが何でも言うことを聞いてくれる・・・。でも、そんなの本当の王様ではありませんね。もしあなたの国の王様がそんなだったら、誰が王様に従いたいと思うでしょうか。

本当の王様は、すべての国民のいのちと生活に心を配り、知恵と力を尽くして国民のために戦い、すべての責任を引き受け、国に安定をもたらすために日々尽力するものです。

神様がわたしたちの心を治める王様です。神様はふんぞりかえって贅沢をしている王様ではでなく、むしろボクたちのために貧しくなり、ボクたち身代わりとなって命を差し出してくださった方です。

神の王国とは、ボクたちの心をこの神様に治めていただくことです。神の王国は、ボクたちが心を開くとき、すでにそこにあるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたの王国が来ますように。私の心の中に。この地上でのあらゆる人々が守られ、支えられるために。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年2月1日日曜日

父よ

おはようございます!

◆今日の聖書◆
だから、こう祈りなさい。「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。・・・(マタイ6:9)

◆どういうこと?◆
赤ちゃんが生まれ、その子が少しずつ言葉を喋れるようになり、自分を慕って声をかけてくれる時の喜びを想像することが出来るでしょうか。「パパ〜!」幼子は、パパを信頼しきっていて、パパがそこにいてくれているので満面の笑顔です。

父なる神様は、実はボクたちにそれと同じような関係を求めておられます。イエス様が個人的に「父よ」と呼びかけるときには、「アバ!」という幼児語を使っていました。これは「パパ」と同じように用事が父親に甘えて使う呼び方です。ボクたちも、父なる神様を、「アバ!」と親しみを込めて呼ぶことが許されているのです。

祈りとは、最も個人的な親しい関係です。

もちろん、実際に口に出す言葉以上に、そのような関係、そのような心で神様の前に出るようにと教えられているのです。信じて心にイエス様を迎え入れた人は、心の中から父なる神のことを「アバ、父よ」と最も親しい関係として祈ることが出来るようになります。神様は、ボクたちが100%神様に信頼しきって求めるのを喜んでくださるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、アバ、父よ。私も神の子として100%あなたに信頼しきって歩むことができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!