2015年1月31日土曜日

天の父よ

おはようございます!

◆今日の聖書◆
だから、こう祈りなさい。「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。・・・(マタイ6:9)

◆どういうこと?◆
私たちの祈りは、天に届く祈りです。

地上にいるボクたちは、罪にまみれ、いつも弱さや苦しみ、試練の中で戦っています。しかし、ひとたび「天にいます私たちの父よ」と呼びかける時、ボクたちと天との間はつながり、神様の前に近づくことができるのです。

本来、罪人であるボクたちは天の神様との交流はできません。しかし、罪のないお方であるイエス様がボクたちのために身代わりとなって死んでくださったことにより、イエス様を通してのみ天との交流ができるようになったのです。だから、祈りはイエス様の名前によってささげるのです。

この地上で、自分の心がどんなに暗闇に押しつぶされそうになっていても、「天の父よ」と呼びかける時、新しい世界が目の前に開かれていくのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、天の父よ。私があなたの前に出れる特権を感謝します。どうか地上のものでなく、天のものに目を留めて歩んでいくことができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月30日金曜日

私たちの父よ

おはようございます!

◆今日の聖書◆
だから、こう祈りなさい。「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。・・・(マタイ6:9)

◆どういうこと?◆
イエス様は「私たちの父よ」と祈るように教えられました。

父なる神は、あなたの父であると同時に、すべての人の父です。主の祈りは一致の祈りであって、人と心を合わせることがなければこの祈りはできないのです。

父なる神の前に出るときに、ボクたちは心が探られます。心を合わせられない仲間はいないでしょうか?どうしても受け入れられない人はいないでしょうか。赦せなかったり、関係がギクシャクしている人はいないでしょうか。

サッカーでも、チームが一致していなくてどうして力を発揮できるでしょうか。もしボクたちが心を合わせ、心を一つにして祈り、主の前に出ることが出来るなら、父なる神はそれを喜び、大いなるわざを現してくださいます。ボクたちは、まず一致を求めるべきなのです。

人間の努力によっては難しいこともあります。しかし、神様のあわれみによってそれは可能になります。主のあわれみを求めていきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、私たちに一致を与えてください。心を一つにしてあなたに求めるために、あなたのあわれみを注いでください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月29日木曜日

祈りなさい

おはようございます!

◆今日の聖書◆
だから、こう祈りなさい。「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。・・・(マタイ6:9)

◆どういうこと?◆
普通、身分の高い人や偉い人と話をするのはとても難しいことです。日本人だからといって、天皇や総理大臣と簡単に話すことは出来ませんし、アメリカ人だからといって大統領と会話できる訳でもありません。

しかし彼らよりもはるかに偉大な方、全能の神、父なる神とは、誰でもいつでもお会いすることが出来るのです。いや、むしろ神様はあなたとの会話を望んでおられるのです。

イエス様は「こう祈りなさい」と、ボクたちに勧められました。ここから続く聖書の箇所は、「主の祈り」と呼ばれる有名なところです。これを形通り祈ることも大切ですが、この中でイエス様は、祈りの本質を教えてくださっています。

でも「こう祈らなければいけないのでは」「正しい祈り方を知らない」と恐れる必要はありません。イエス様は、とにかく「祈りなさい」と促しておられます。あなたが祈り始めるなら、もっと祈りを知ることができます。祈りを楽しむことが出来るようになります。祈りが力になり始めます。

どんなことばでも構わない。とにかく毎日祈ってみませんか。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、もっと祈りを知ることが出来るように、まずは祈るという良い習慣を身につけていくことが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月28日水曜日

必要なもの

おはようございます!

◆今日の聖書◆
あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。(マタイ6:8)

◆どういうこと?◆
私たちに必要なものとは何でしょう?

父なる神は、それをすでに知っておられるというのです。ではボクたちは、自分自身で本当に何が必要なのか知っているでしょうか?

ボクたち人間は、今欠けていると感じているものを満たすことしか考えられないものです。ですから、「求めなさい、そうすれば与えられる」と言われても、自分の人生で本当に必要なものは何か、はっきりと分かって求めることができる人は意外と少ないのではないでしょうか。熱心に祈ることを神様はボクたちに求めておられますが、ハッと気がつくと、自己中心な祈りばかりしていることがあります。

父なる神は、ボクたちに必要なものをよく知っておられます。ですから神様は、「あなたのすべての必要を満たす、わたしのことを知りなさい。」とボクたちを招いておられます。

これからは、もっとあなたのことを知ることが出来るようにと求める祈りを始めてみませんか?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、自己中心的な祈りでは、本当に自分に必要なものを求めることはできません。もっとあなたのことを知ることができるように助けてください。そうすれば、私に必要なものはすべて満たされるからです。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月27日火曜日

知っておられる

おはようございます!

◆今日の聖書◆
あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。(マタイ6:8)

◆どういうこと?◆
神様は、私たちが祈る前から私たちに必要なものを知っておられます。もし、神様が私たちの必要をすでに知っているのなら、どうして私たちは願い事を祈る必要があるのでしょうか。

第1にそれは、神様ご自身がそれを求めておられるからです。神様は、ボクたち自身が自分から神様に求め、神様に頼ることを望んでおられます。神様は、ここに書かれているように「父なる神」です。ボクたちのお父さんは、その子どもたちとの会話を求めているのです。

第2にそれは、ボクたち自身のためです。祈りは単なる願い事以上のものです。祈るとき、ボクたちは心が満たされます。平安が与えられます。力が与えられます。勇気が湧いてきます。喜びに満たされます。祈りは神様との交わりですから、祈ることによって神様のご性質がボクたちに注がれるのです。

祈りは、ボクたちにとってなくてはならないものなのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、祈りを通してもっとあなたの愛と平安と力を経験できますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月26日月曜日

奥まった部屋で

おはようございます!

◆今日の聖書◆
あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。(マタイ6:6)

◆どういうこと?◆
あなたは、毎日の生活の中で特別に祈る時間を持っているでしょうか?

今の世の中はとてつもないスピードで動いていて、歳を重ねるごとにどんどん忙しくなっていきます。そのような生活の中で、心まで忙しくなりがちです。「忙」という字は、心を亡くすと書きます。ボクたちは心が健康に保たれる方法を学ばなければなりません。

神様との交わりは、忙しさの中で私たちの心が守られる大切な時間であり、神様の奇跡を目撃するための大切な整えの時です。義務ではありません。この時間をあなたが大切にするなら、あなたの人生は間違いなく豊かに祝福されるのです。

イエス様は、誰も見ていない所で祈ることを勧めています。祈りとは、神様との1対1の交わりなのです。神様は、あなたと個人的に語り合うことを楽しみにしておられるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたとの個人的な祈りの時間を大切にすることが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月25日日曜日

報い

おはようございます!

◆今日の聖書◆
人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。(マタイ6:1)

◆どういうこと?◆
私たちは世界の光として、良い行いで人々を照らす存在です。しかし、その良い行いの動機が問われています。あなたの良い行いの動機は何でしょう。人に認められたいからですか?感謝されたいからですか?それとも自己満足で自分を誇りたいからでしょうか?

良い行いとは、自分をアピールすることではありません。サッカーでは、自分の最大のパフォーマンスをチームできるようにアピールしなければならないこともあるでしょう。でもそのような競争の中にあっても、もしそれだけが本当にあなたの動機なら、それ以上の成長は期待できません。チームや監督に認められただけで、あなたは満足してしまうでしょう。

目標はもっと高いところにあり、良い行いはもっと身近な日常の中にあります。最高の報酬は神様が与えてくれます。神様は、人々に見せるためでなく、見えないところで行った良い行いに心を留めてくださるのです。

あなたは、人々が見ていない時、どのような存在でしょうか?コーチや親、指導者などが見ていない時にも、良い行いを実行することが出来ているでしょうか?自分の動機をいつも点検していきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、私が良い行いをするとき、人に認められたい、感謝されたいという思いがあります。でも、人の目を気にするのではなく、どんな時でも神様に目を留めて、隠れたところで良い行いをすることが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月24日土曜日

完全であれ

おはようございます!

◆今日の聖書◆
だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。(マタイ5:48)

◆どういうこと?◆
人間の行うことに完全はありません。しかしイエス様は私たちに「完全でありなさい」と語られています。それはどういうことなのでしょうか。

すでに見てきたように、ボクたちは自分の力でどんなに努力しても完全になることはできません。しかし、逆説的ですが「自分の力では完全にはなれない」と知ることこそが、完全であることへの第1歩なのです。人は、自分の無力さを悟って初めて自分を超える力を求めるようになります。そしてその時に初めて、唯一完全であるお方である、イエスキリストに対して目が開かれるのです。

あなたを完全なものとするのはイエス様です。ボクたちの愛には限界があります。しかし、イエス様の愛は完全であり、限界を超えるものです。究極的にはボクたちは誰一人、死という壁を乗り越えることはできません。しかしイエス様は、死を打ち破り、よみがえられました。そして、その復活のいのちをボクたちに与えてくださるのです。

完全であるために必要なのは、イエス様の十字架だけです。イエス様を心に迎え入れ、十字架の愛を思い起こしながら、日々従っていく決心をしていく。その時に私たちも、一歩ずつ造り変えられていくのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、私の力では完全になることはできません。しかし、だからこそ、完全なお方であるあなたのことを求めます。私を少しずつ作り変えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月23日金曜日

よりまさる義

おはようございます!

◆今日の聖書◆
まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。(マタイ5:20)

◆どういうこと?◆
「義」とは、基本的には「正しいこと」という意味です。もし、私たちが当時の宗教家よりも正しくなければ、天国にいくことができないとイエス様は言われます。そんなこと、出来るのでしょうか?

当時の宗教家の義とは「自分を正しいとするための努力」です。間違いを犯すことがないように人間的な努力をしていましたが、最終的には自分を誇るためのものでした。

ではそれにまさる義とは、何でしょうか。それは「イエス様の十字架」です。イエス様の十字架は、完全な愛と完全な義の象徴です。これは人間の努力によっては得ることができない、神様からの一方的な愛の贈り物なのです。

わたしたちは、当時の宗教家たちと同じように、自分の努力で自分を誇ろうとしても、彼らの義にまさることはできません。しかし、イエス様を信じることを通して、特別な恵みとしての義を受けるなら、私たちは救われ、生き方が変えられるのです。そして感謝にあふれて天の御国に入るのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、イエス様の十字架によって与えられた完全な義を感謝します。自分を誇ろうとするのではなく、あなたに感謝して毎日を過ごすことが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月22日木曜日

成就するため

おはようございます!

◆今日の聖書◆
わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。(マタイ5:17)

◆どういうこと?◆
律法とは、私たち人間が守るようにと定められた神様の教えです。

でも人間には罪があり、それらの全てを完璧に守ることは出来ません。しかし、律法学者と呼ばれる当時の宗教家たちは、自分たちに都合のよいルールを別に作り、それを守れば律法を守ったことになると主張しました。その結果、自分たちはルールを守っている偉い人で、守っていない人は罪人だと言って、見下すようになってしまいました。でも、実際には自分たちのルールにこだわって、神様の本当のみこころを守ることができなくなっていたのです。

イエス様は彼らとは全然違いました。彼らのルールを明らかに破っているように見えるのですが、実は、神様が定められた本来の律法を完全に成就していたのです。律法学者にはそのことが理解できず、イエスに対するねがみから、自分たちのルールを破っているイエスは神の律法をないがしろにしていると主張したのです。

イエス様こそが、100%神様の心を反映されたお方です。だから、ボクたちの目標は、何かのルールを守る事以上に、イエス様の愛の生涯に従っていくことです。それこそが、本当の神の律法にかなうことなのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、私もイエス様の愛の姿にならうことができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月21日水曜日

光を輝かせる

おはようございます!

◆今日の聖書◆
このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。(マタイ5:16)

◆どういうこと?◆
人々の前で光り輝くこと、それが神様がボクたちに命じている使命です。それはどういう意味なのでしょうか。

第1に、光とは、良い行いであるということです。神様を知ったボクたちには、良い行いを選び取る力が与えられています。良いことをするのにも、悪いことをするのにも、同じだけ時間がかかります。何かを行うとき、いつも良いことを選ぼうと心がけ、それが習慣化していくことを目指すのです。

第2に、光は隠してはいけない、ということです。良い行いを、人々にアピールするという意味ではありません。「それが良いことだとは分かってたけど、なんかやらなかった」とか「今やろうと思ってたんだけど・・・」と言って、結局良い行いをしないなら、それは光り輝いていないのと一緒です。何が良いことか知っていたら、それを心の中に隠しているのではなく、実行しなければなりません。

第3に、神様があがめられるようにするため、ということです。神様を本当に信じているサッカー選手は、そのことがよくわかっているので、点を決めた時や、勝利をしたとき、まず自分自身をアピールする以上に、神様に感謝をささげます。良い行いは、それを通して、あなたを作られた神様があがめられるようにするためのものです。

それこそが、ボクたちの人生の使命なのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、私も世の光として精一杯輝き、あなたの栄光を現すことが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月20日火曜日

世界の光

おはようございます!

◆今日の聖書◆
あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。(マタイ5:14)

◆どういうこと?◆
光にはどんな役割があるでしょうか。

光は暗闇を照らし、そこにある真実を明らかにします。暗闇にあるひとすじの光は、人々に希望を与えます。光は道しるべとなり、正しい道を指し示します。光がないと人は生きていくことができません。

イエス様は、私たちを「世界の光」だと呼んでくださいました。特別な能力がある訳でも、特別な力がある訳でもない、ただの普通の人に過ぎない私のことを。

なぜでしょうか。本当の世界の光とはイエス様以外にありません。もし、私たちがイエス様に従い、イエス様の光に照らされていくなら、私たちもイエス様の光を反映させて生きていくことができます。実は、それこそが私たちに与えられた使命なのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、私もあなたの光を写し出す鏡として用いてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月19日月曜日

地の塩

おはようございます!

◆今日の聖書◆
あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。(マタイ5:13)

◆どういうこと?◆
塩にはいろいろな役割があります。

食べ物に味をつけるだけでなく、塩は腐敗を防ぐものとして保存食づくりに欠かせないものです。また汗をかいたときなど、脱水症状を防ぐためには水分の補給だけでなく、塩分の補給も必要であることが分かっています。塩は、私たちが生きていく上でなくてはならないものなのです。

イエス様は、私たちは「地の塩」だと言われました。

味気ないこの世界に、味をつけていくのは、「地の塩」の役割です。腐敗がはびこるこの世界が、くさりきってしまうのを防ぐのも、「地の塩」の役割です。滅びゆくこの世界に、いのちを保っていくのも、「地の塩」の役割です。

ボクたちには、イエス様の愛が与えられています。この世界に、本物の喜びと本物の生きがいを示していけるのは、イエス様の愛を知っている神の子である私たち以外にないのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、私も地の塩として、私の周りによい影響力を与えていくことが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月18日日曜日

ののしり、悪口

おはようございます!

◆今日の聖書◆
わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。(マタイ5:11)

◆どういうこと?◆
ありもしないことで悪口を浴びせられたことはありませんか?理不尽な理由で、いじめられたことはありませんか?

もし、そのような経験があるなら、その辛さや痛みを誰よりも分かってくださるのは、イエス様です。イエス様こそ、神の子として来られ、ただ一人罪のない方として過ごされたお方です。それにもかかわらず、人々のねたみのゆえに裁判で有罪となり、ありもしない悪口を浴びせられ、つばをかけられ、ムチで打たれ、十字架にかかって死なれたのです。

でも、イエス様の死は決して無駄になりはしませんでした。そのようにして、黙って人の罪をその身に負ってくださったことにより、私たちに救いの道が開かれたのです。

辛い時こそ、イエス様の十字架を見上げましょう。イエス様は、今も変わらずあなたを背負ってくださっているのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、理不尽な仕打ちを受けた時、あなたの十字架を見上げることができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月17日土曜日

迫害される者

おはようございます!

◆今日の聖書◆
義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。(マタイ5:10)

◆どういうこと?◆
正しい事のために、どうして迫害を受けるのでしょうか?

ボクたち人間はとても罪深いものです。誰かが正しいことをしていたり、称賛されているのを見て、心の底から素直に喜ぶことが出来るでしょうか?誰も何も言っていなくても、 なぜか自分が責められているような気持ちになったり、ねたむ心がわき上がったりしないでしょうか。それが人間の本性です。

もし生涯迫害にあわないで生きていきたければ、世の中の基準に徹底的に会わせて生きていけば良いでしょう。周りが間違ったことをしている時に、自分だけは正しいことを守ろうなどと考えず、一緒に悪に染まってしまえばあなたは彼らの仲間となり、迫害など受けません。

でも神様はボクたちに、そんな妥協だらけの人生を送って欲しいとは考えていません。むしろ神様を信じることを喜びとし、それにふさわしい歩みをすることを願っています。そして、それゆえに迫害されるなら、むしろそれは祝福であり、喜びだと言っているのです。なぜでしょうか?それは、イエス様自身が正しい事で迫害されたからです。ボクたちがイエス様の歩みに近づく時、イエス様の愛と恵みをより深く知る事が出来るようになります。そして、あなたの姿そのものが、イエス様の素晴らしさを映し出す鏡のようになって、キラキラと光り輝いていくのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、迫害を恐れてこの世と妥協するのではなく、あなたを信じて正しい歩みを選び取る事が出来る強い心を私に与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月16日金曜日

平和をつくる者

おはようございます!

◆今日の聖書◆
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。(マタイ5:9)

◆どういうこと?◆
「平和」とは何でしょうか?
多くの人は争いや葛藤がない状態を平和だと考えます。確かに、外側から見ると争いのない状態は平和に見えます。しかし、家族が互いに愛し合わず、ことばも交わさず、互いに不干渉で、ただ暮らしているなら、そこに平和はありません。

平和を壊している一番の理由は、人間の罪です。人の心の問題を無視して表面上で平和を回復しようとしても、真の平和は訪れません。

それでは真の平和とは何でしょうか。それは関係をつくることです。家族の間に愛の回復があること、交わりの回復があること。それを「シャローム」と言います。

ですから「平和をつくる者」がまずなすべきことは、自分自身が神様との関係を回復し、罪の問題を取り除いていただくことです。罪は、私たちが自ら悔い改め、イエスキリストの十字架をへりくだって受け入れる時に取り除かれます。そのようにして神との平和をいただいた人が、同じ平和を人々に届けようとすること。それこそが「平和をつくる者」の働きなのです。

神の子どもは、平和をつくる者です。あなたも、平和をつくる者となるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、まず私のうちに平和を与えてください。そして私も平和をつくる者となることができるように導いてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月15日木曜日

心のきよい者

おはようございます!

◆今日の聖書◆
心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。(マタイ5:8)

◆どういうこと?◆
「心がきよい」とはどういうことでしょうか?
ここで言う「心」とは、感情というより、むしろ「考え方」のことを言います。つまり、「考え方がきよい者は幸いだ」ということです。

人の本質はその人の考え方にあらわれます。簡単に言うと、悪い考えを持つ人は悪い人であり、良い考えを持つ人は良い人です。ボクたちは、良い考え方を持つことができるように、頭の中に入れる情報には気をつけなければなりません。残忍な思想、恥ずべき考え方に基づいたテレビや映画などは、あなたの考え方に悪い影響を及ぼしていきます。

しかし、どんなに気をつけていても、誠実に自分の姿を見た時に、誰一人「自分の考えはきよい」と言い切れる人はいないでしょう。

では、ここで言う「心のきよい人」というのは、どういう人のことなのでしょうか。それは、あるがままの状態で神様の前に出られる人、すなわち「正直な姿で出ていく」人のことです。そういう人は、自分には本当に救い主が必要だということが分かっているので、神様からの豊かな霊が注がれて、力が与えられるのです。

心のきよさを求め、正直に神様の前に出て、力を注いでいただく者となりましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、心をきよくしてください。自分自身を偽ることなく、正直な自分を見つめ、あなたの前に出られますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月13日火曜日

あわれみ深い者

おはようございます!

◆今日の聖書◆
あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。(マタイ5:7)

◆どういうこと?◆
「あわれみ」とは何でしょうか?
あわれみとは、何の理由もなく与える親切のことです。言い換えるなら、資格がない人に与える親切です。自分のことを犠牲にしてでも、特別な見返りを期待することなく相手に良くしてあげることです。

聖書の中には「良いサマリヤ人」という話があります。道ばたで半殺しにされていたユダヤ人がいました。当時の宗教家である祭司も、レビ人も、彼を無視して通り過ぎていきました。そこに一人のサマリヤ人が通りかかりました。当時サマリヤ人はユダヤ人に嫌われていて、いっさいの関わりを持つ事はありませんでした。しかしそのサマリヤ人は彼をかわいそうに思い、介抱し、宿まで運び、宿の代金まで払ったのです。これが、あわれみの姿です。

あわれみを受けた者だけが、人をあわれむことが出来ます。あなたは、小さい頃十分に愛されたという実感があるでしょうか。その人は人を自然に愛する事が出来ます。しかし、愛情が不足していると、いつまでたっても愛を得ようとして、メディアや友達に影響されて間違った形の愛を求めよう、求めようとだけするのです。

そのような人は、イエス様のもとに近づきましょう。イエス様は、あなたが羊飼いのない羊のような姿でさまよっているのを誰よりも痛み、あなたのために十字架にかかるほどの愛で愛してくださっています。その愛を体験するなら、あなたは変えられます。あなたも、あわれみ深い人となり、あなたのまわりには祝福があふれていくのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、まずあなたが私をあわれんでくださいました。その愛に感謝します。どうか私もイエス様の愛を受けてあわれみ深い人となれますのように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月12日月曜日

神の義

おはようございます!

◆今日の聖書◆
義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。(マタイ5:6)

◆どういうこと?◆
世の中には不義があふれています。ねたみ、争い、不正、嘘・・・。思春期にさしかかると、今まで単純に信じていた大人の社会の醜さを知り、愕然とすることも多いでしょう。ある人はそのまま反抗期に入り、またある人は潔癖に自分だけは正しさを貫こうと心をかたくなにします。

しかし、自分のまわりの状況に文句を言っていたところから、ある瞬間に自分もその一人に過ぎないということに気付くとき、打ちのめされ、義に対する飢え渇きが与えられるのです。

聖書は言います。
「義人はいない。ひとりもいない。」(ローマ3:10)

しかし、そんな私たちのためにイエス様を送ってくださいました。
「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(2コリント5:21)

本当の義とは、単なる正しさとか正義感ではありません。イエス様の十字架の犠牲を通して与えられる、神様との正しい関係のことなのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、まわりの不正を指摘する以上に、自分自身に目を向ける事が出来ますように。そして、醜い自分の身代わりとして十字架にかかってくださったイエス様に、もっと感謝して歩めますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月11日日曜日

義に飢え渇く

おはようございます!

◆今日の聖書◆
義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。(マタイ5:6)

◆どういうこと?◆
義に飢え渇くとは、ボクたちの本当の目標のことを意味しています。

ボクたちは何を原動力として前に進むのでしょうか?能力があるから前に進むのでしょうか?いいえ、違います。ボクたちが前に進むのは、ボクたちに渇きがあるからです。

「もっとサッカーがうまくなりたい」「絶対にサッカー選手になりたい」という渇きがあるからこそ、辛い練習も苦にならずに一生懸命にやり続けることが出来ます。自分は能力があるから、これぐらいなら出来るんじゃないかというような考えでは、ちょっと辛いことがあると簡単に挫折してしまいます。エスペランサでは、「気持ちが一番大事」ということをいつも教えています。言い換えると、本人に渇きがなければ、いくら上手くても、それ以上の前進は望めないのです。

では「義に対する渇き」とは何でしょうか?「義」とは、神様とボクたちとの正しい関係のことです。関係とは一方的に相手に求めるようなものではなく、協力して深め合っていくものです。

もし、誰かとの関係を深めたいと飢え渇いているなら、あなたの頭の中はその人のことでいっぱいになり、どうしたら関係を深められるかということばかり考えるでしょう?そして、犠牲を払ってでも相手との関係を深めることを望むでしょう。神様との関係も一緒です。もしあなたが神様との関係に飢え渇いているなら、すばらしいです。なぜなら、あなたは必ず前進し、満たされ、神様の祝福の計画のうちに歩むことができるからです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、私にもっと飢え渇きを与えてください。目標にむかって前進できるように。あなたとの関係をもっと深めることができるように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月10日土曜日

柔和な者

おはようございます!

◆今日の聖書◆
柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。(マタイ5:5)

◆どういうこと?◆
柔和な人というと、もの静かでおだやかな人のことを想像するでしょう。しかし聖書の言う「柔和」とは、どんな状況の中でも神様の力を信頼して待つことを指すのです。自分の人生のすべてのことを神様と結びつけ、そのすべてにおいて神様の祝福を待つ事が出来る人が祝福されるのです。

「待つ」というのは、何もしないということではなく、むしろ神様を待ち望む心の態度のことを言います。それは、弱々しいものではなく、内側からあふれる力強さです。

柔和な人は、自制心のある人です。カッと頭に来ても逆ギレしたりせず、冷静に正しい態度を取り続けることが出来ます。反対に、神様のみこころを受け取った時には、すぐに従ってやるべき事を行なうことが出来ます。

柔和な人は幸いです。本当の力強さを得る事が出来るように、ボクたちも信じ期待して待ち望みましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、私に本当の力強さである柔和を与えてください。どんなことでもあなたに期待して正しい態度で待つ事が出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月9日金曜日

本当の慰め

おはようございます!

◆今日の聖書◆
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。(マタイ5:4)

◆どういうこと?◆
世の中には悲しみが満ちています。
出会いがあれば別れがあり、最高の友が最悪の敵となり、あんなことしなければ良かった、ああしておけば良かったという後悔の連続です。より良く生きようとしても、うまくいかずに悲しみに暮れることが多いのがボクたちの人生です。

悲しむ時、あなたはどうしますか?
人を責めたり、自分を責めてみたり。悲しみを紛らわそうと、ばか騒ぎをしてみたり、誰かに慰めてもらおうとしてみたり・・・。

でも本当の慰めはイエス様のもとにあります。
イエス様は慰めに満ちておられる方です。もし、それらの悲しみの時に、イエス様の前に出て祈り、涙し、自分の心を注ぎ出すなら、あなたの心には神様の愛と慰めの力で満たされ、また立ち上がって歩めるようになるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、私が悲しむとき、あなたのもとに出て、本当の慰めを頂く事ができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月8日木曜日

王家の一員

おはようございます!

◆今日の聖書◆
心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。(マタイ5:3)

◆どういうこと?◆
私は神様なしには生きていくことが出来ません。そのようなな心で神様の前に出る人に対して、神様は驚くべき約束を与えてくださっています。

神様の王国は、あなたのものです。
あなたは王家の一員なのです。

みすぼらしく、能力もなく、何の力も資格もないと思っていた私に対して、神様は迷う事なく「あなたは王様の家族の一員なのだよ。恐れる事はない。私がついている。ここで自由にしていいんだよ。」そのように声をかけてくださっているのです。

王家の一員となる、神様の子供とされるというのは、素晴らしい特権です。はじめは慣れないかもしれません。でも、与えられた恵みを最大限味わいながら、神の子供としてふさわしい歩みを学んでいきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、私を王家の一員、神の子供としてくださったことを感謝します。どうかその立場にふさわしい歩みをしていくことが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月7日水曜日

心の貧しい者

おはようございます!

◆今日の聖書◆
心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。(マタイ5:3)

◆どういうこと?◆
心の貧しさとは何でしょうか。それは何か大失敗をしたり、病気で弱さを覚えたりして、自分自身がまったく無力だと感じる状態のことです。なぜそんな無力さが幸いなのでしょうか?それは、そういう状態にならないと、なかなか人は必死になって本気で神様を求めないからです。もし弱さを感じても、神様を求めない人がいるなら、本当の心の貧しさを持っていない高慢な人です。

強くあれ、雄々しくあれ、という命令をボクたちはよく心に留めます。しかし、本当の強さや雄々しさは、神様からしか与えられません。自分があまりにも弱くて「神様、降参です。助けてください。」と求めざるを得ない時にこそ、真の力を体験するのです。

自分には神様が必要です、神様なしには生きていく事が出来ません、と心から告白して神様に祈り求める人が幸いな人なのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、弱い時にこそあなたの力を体験するチャンスです。あなたの前に出て、あなたを求め続けることが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月6日火曜日

幸いな人

おはようございます!

◆今日の聖書◆
心の貧しい者は幸いです。・・・
悲しむ者は幸いです。・・・
柔和な者は幸いです。・・・
義に飢え渇く者は幸いです。・・・
あわれみ深い者は幸いです。・・・
心のきよい者は幸いです。・・・
平和をつくる者は幸いです。・・・
義のために迫害されている者は幸いです。・・・
(マタイ5:3-10)

◆どういうこと?◆
あなたはどういう人が幸せな人だと思いますか?
お金持ちな人、サッカー選手として成功した人、勉強ができる人、格好良くて女の子にモテる人など、それぞれ「こうなれば幸せになれるのに」というイメージがあるかも知れません。

しかし本当に幸いな人というのは、何かを得たからとか、成功したからとか、そういう状況に左右されることなく、むしろ苦難や悲しみの中にあっても変わらずにその幸せを持ち続けることが出来るのです。その秘訣は何でしょうか?それは、どんな時でも神様とつながり続けるということです。どんな状況においても、むしろその状況だからこそ神様の前に出ざるを得ないとき、あなたは自分が幸いな者であることに気付くのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、私に本当の幸いとは何かを教えてください。そしてどんな状況の中でもその幸いを保ち続けることが出来るように導いてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月5日月曜日

群衆と弟子たち

おはようございます!

◆今日の聖書◆
この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。(マタイ5:1)

◆どういうこと?◆
イエス様のまわりには「群衆」と「弟子たち」がいました。
「群衆」とは、イエス様の力やことばに関心を持って集まってきた人たちのことです。一方「弟子たち」とは、自分自身の都合を第一にすることをやめて、まずイエス様自身に従って歩むことを決意し、選び取った人たちです。

弟子たちも完全ではありませんでしたが、彼らは心が定まっていました。

ボクたちはどうでしょうか?サッカー選手になると口では言っていても、結局は自分の都合を優先させて、ふさわしくない生活をしていないでしょうか?神様を信じると口では言っていても、自分の何かを犠牲にしてまで従おうとはしていないのではないでしょうか。

もし心が定まっていない歩みをしているのなら、あなたはただの群衆と変わりありません。自分自身の歩みを思い返し、必要なら今日、しっかりと心を定めましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、ただの群衆のように何となくあなたを信じるだけでなく、はっきりと心を定めてあなたに従っていくことが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月4日日曜日

群衆

おはようございます!

◆今日の聖書◆
イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。イエスのうわさはシリヤ全体に広まった。それで人々は、さまざまな病気や痛みに苦しむ病人、悪霊につかれた人、てんかんの人、中風の人などをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らをいやされた。こうして・・・大勢の群衆がイエスにつき従った。(マタイ4:23-25)

◆どういうこと?◆
イエス様のまわりには、多くの群衆が集まってきました。なぜでしょうか?それは、彼らがイエス様のうちに真実の愛を見いだしたからです。イエス様は一人ひとりの痛みと苦しみとに真剣に向き合ってくださいました。そして、群衆はそこに真実の愛を見いだし、イエス様こそが本物だということが分かったのです。

あなたには本気で心を開き、真剣に向き合う事が出来る存在はいますか?イエス様は、あなたのどんな困難な状況にも真剣に向き合ってくださり、決して見捨てることはありません。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたの愛は真実です。私にも真実の愛をもって真剣に向き合ってくださり、感謝します。もっとあなたのそばで過ごす事が出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月3日土曜日

強くあれ、雄々しくあれ

おはようございます!

◆今日の聖書◆
わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。(ヨシュア1:9)

◆どういうこと?◆
心機一転、新しい一歩を踏み出したボクたちの目の前には、いつも困難が待ち受けています。壁にぶち当たった時、恐れて簡単にあきらめてしまうなら、神様の力を引き出す事が難しくなります。

ここで言う困難や壁とは、実は自分自身との戦いである場合がほとんどです。問題が問題なのではなく、問題に対するボクたちの態度が問題なのです。

神様はそんなボクたちの弱さを知って、いつも声をかけ続けてくれます。
「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。」

たとえ自分が弱くても、最強の神様がどんな時でも一緒にいてくださいます。だから、勇気を出しましょう。そして、どんな困難の中にあっても強い心を持ってそれを乗り越え、神様の力を体験していきましょう!

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、私を強くしてください。どんな困難の中にあっても、どんなに心が弱くおびえている時でも、あなたの約束を思い起こして困難を乗り越えさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月2日金曜日

将来と希望

おはようございます!

◆今日の聖書◆
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。・・・主の御告げ・・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ29:11)

◆どういうこと?◆
今年一年、皆さんはどんな計画を持っていますか?しっかりとした計画があると、将来への見通しが立てやすくなり、今やるべきことに集中しやすくなりますね。しかし、人が立てた計画は必ずしもその通りになるとは限りません。そして、上手くいかないときはイライラしてしまいます。

でも神様は、私たちの考えよりもはるかに確実で素晴らしい計画を、ボクたち一人一人のために持っているのです。それはボクたちに平安を与え、将来と希望を与えてくれるためのものです。そして神の計画は揺るぐことがありません。

ボクたちの人生は、神様の計画の中で祝福が約束されたものなのです。ですから、目の前の状況に振り回されるのではなく、神様のこの約束をしっかりと心に刻みつつ、日々感謝をもって信頼して歩むことを選びとっていきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたはボクに将来と希望を与える計画を約束してくださっています。どんな状況の中でも、この約束を信じ、感謝をもって歩めますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2015年1月1日木曜日

恵みの冠

あけましておめでとうございます!!
今年もよろしくお願いします!!

◆今日の聖書◆
あなたは、その年に、御恵みの冠をかぶらせ、あなたの通られた跡にはあぶらがしたたっています。(詩篇65:11)

◆どういうこと?◆
新しい年になりました!!皆さんは今年どんな抱負を持っていますか?一年の初めは、心機一転して自分自身を立て直すのに絶好のチャンスです。まずはしっかりと目標を定め、この一年の祝福をしっかりと思い描きながら、毎日少しずつ着実に歩んでいきましょう。

さて神様は、この年に「恵みの冠」をかぶらせると約束してくださっています。恵みとは、神様から一方的に与えられる豊かな祝福のことです。冠とは、特別に選ばれた人にのみ与えられる栄誉です。つまり神様は、神様とともに歩む者を特別に祝福し、栄誉を与えてくださるのです。

今年、神様が私の人生にも豊かな祝福を特別に注いでくださるということを信じ、大いに期待していきましょう!

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、新しい一年への祝福の約束を感謝します。どうかこの一年、私の生活を通して、あなたの恵みを豊かに体験することが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!