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2010年10月25日月曜日

神が心を痛めるとき

おはようございます!昨日のU-13も勝ったみたいだね!おめでとう!
昨日は間違って2通送ってしまいました。金曜日に話した事のある内容のメモだったんだけど、せっかくだからそれも読んでね。さて今日からは、カインとアベルの話から少し時代が進んで、有名なノアの話に入っていきます。

◆今日の聖書◆
主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。(創世記6:5-6)

◆どういうこと?◆
地上に増え広がった人間たちは、みんな悪いことばかりをするようになりました。

もし、ボクたちが悪いことばっかりしていたら、親は心を痛めるよね。特に中学生の時期、反抗期で万引きやタバコに手を出すようになったりしたら、何でこんなことになったのかと死ぬほど悩み、気が狂いそうになると思います。

では、なぜそんなに辛くなるのか分かる?

それは、自分の子どもを愛しているからです。一番大切だからです。隣の家の子どものことだったら、「かわいそう」とか「大変ね」とは思うかも知れないけど、そこまで悩みません。自分の子どもは特別なのです。

神様にとって、ボクたちは、本当の子どもです。大切な存在なのです。

聖書には「罪から来る報酬は死です」と書いてありますが、神様はボクたちが死んだような生き方をして欲しくないのです。だから、ボクたちが罪を犯す姿を見て、それを自分の事のように苦しまれるのです。

◆考えてみよう◆
今、親を悲しませるような事はしていないかな?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、ボクが罪を犯すとき、あなたは実の親のように苦しんでくださることを知りました。どうか悪から離れ、良いことを行う事ができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

君は大切な存在だよ!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年10月23日土曜日

決して見捨てない

おはようございます!!いよいよ今日からリーグ戦の新しいステージの開幕だね!大事な初戦、みんなベストを尽くして頑張ろうね!!

◆今日の聖書◆
カインは主に申し上げた。「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。・・・私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」主は彼に仰せられた。「それだから、だれでもカインを殺す者は、七倍の復讐を受ける。」そこで主は、彼に出会う者が、だれも彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしを下さった。(創世記4:13,15)

◆どういうこと?◆
犯罪を犯して少年院や刑務所に入ると、たとえそこから出ても、その後の生活は大変です。まともな仕事に就こうとしても、犯罪者のレッテルがいつまでもついてまわり、多くの人はその人を避けようとします。

でも、神様はそんな犯罪者のカインのことでさえ、最後まで見守って下さる方です。

もしボクたちが、何らかの理由で一人ぼっちに感じることがあったとしても、神様は絶対に最後まで見捨てず、見守って下さる方なのです。

◆考えてみよう◆
最近、一人ぼっちに感じることってあるかな?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたがどんな時でもボクを見捨てないで見守って下さることを感謝します。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」


ひとりじゃないよ!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年10月22日金曜日

罪の結果

おはよう!!

◆今日の聖書◆
「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」(創世記4:10-12)

◆どういうこと?◆
カインの罪の結果、この地はのろわれてしまいました!この地のすべてののろいの原因は、人間の罪にあるのです。人類のすべての悲惨な出来事も、今起こっている環境問題も、すべては元をたどると人間の罪が原因なのです。

でも逆に、もし人間が罪から解放されるなら、この世界をも回復することができる望みがあるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、ボクを罪から解放してください。そして、世の中の悲惨な出来事が少しでもなくなりますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

世界を変えよう!!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年10月20日水曜日

人類最初の殺人事件

おはようございます!今日は、カインとアベルの話が急展開します!!

◆今日の聖書◆
しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたたき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。(創世記4:8)

◆どういうこと?◆
自分の兄弟や、身近にいる友達に対して、ねたみを感じることはありませんか?「あいつさえいなければ、すべてうまくいくのに・・・」と憎しみを感じることはありませんか?そういう人は気をつけてくださいね。「ねたみ」「怒り」「憎しみ」等は、放っておくと心の中でグルグルと大きくなり、やがては正常な判断が出来ないほどの犯罪に育っていく危険があるからです。

カインは、弟アベルだけが神に受け入れられた事をうらみ、とうとう大切な兄弟を殺してしまいました。「野に呼び出して殺す」という用意周到に準備された方法で。カインの頭の中は、弟を殺す事でいっぱいでした。ですから自分の行動の結果、どういう事になるか考える余裕すらありませんでした。弟を殺す事が、彼の人生の最大の目的となってしまったのです。それは、まさに「罪の奴隷」となった状態です。

ボクたちは、程度の差はあっても、みんな「罪の奴隷」です。イエス・キリストは、そんなボクたちを罪のくさりから解き放つために十字架にかかってくださったのです。

◆考えてみよう◆
1. ねたみや憎しみを感じるのってどんな時?

2. 今、ねたんでる人とか、憎んでる人っている?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、時々ねたみや憎しみで心がいっぱいになってしまうことがあります。でも、そんなボクを解放するために、イエス・キリストが十字架で身代わりとして死んでくれた事を感謝します。そこに希望があると信じます。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

希望はあるよ!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年10月19日火曜日

神様は見守ってくれる

おはようございます!
さあ、今日も元気だして頑張ろう!

◆今日の聖書◆
そこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」(創世記4:6-7)

◆どういうこと?◆
みんなは誰も見ていない時でも、自分から進んで良いことをしていますか?それとも、言われた時だけ、または何か自分の得になる時だけしかやりませんか?逆に、誰も見ていないからといって、人に知られたくないような悪い事をしていませんか?今までの自分の人生がすべて録画されていて、みんなの前で上映されたとしたら、みんなは自信をもってそれを見てもらう事が出来ますか?

誰もが不完全です。良い時もあれば、悪い時もあります。でも、たとえ誰も見ていないようでも、神様はすべてをご存知です。そして、人の目はごまかすことが出来るかも知れませんが、神様の目は絶対にごまかすことが出来ません。

正しく行なったのなら、必ずそれは神様の目に留まっています。たとえ地上で評価されなかったとしても、神様はちゃんとそれを知っていてくれて、天国でご褒美をくれます。逆に、もし正しく行なっていないのなら、だんだんと心が闇に支配されて行き、どんどん悪い方へと進んでいってしまうのです。

カギとなるのは、誰も見ていない時の自分の行動です。誰も見ていなくても神様は見ています。そして、神様は監視しているというよりも、見守ってくださっているのです。

◆考えてみよう◆
1. 誰も見ていないときと、見られている時で、自分はどう違うだろう?

2. 神様がずっと見ているっていうのは、監視されてるって感じる?それとも見守ってくれていると感じる?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたがいつでも見守っていてくださる事を感謝します。人には見えない所でも、良い行ないをしていくことが出来るように力を与えてください。悪い事はすぐにやめて、それ以上ひどくならないようにさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

神様はいつでも見守ってるよ!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年10月14日木曜日

人のせいにしない

おはよう!
今日も元気にガンバロー!!

◆今日の聖書◆
人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」そこで、神である主は女に仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」(創世記3:12-13)

◆どういうこと?◆
「なんでこんなことしたんだ!!」とか言われると、ついつい「いや、アイツがやれって言ったから・・・」とか、すぐに人のせいにして言い訳していませんか?これこそが罪深い人間のリアクションの一つ、「責任転嫁(せきにんてんか)」です。

男は、自分が命令を破ったのを「この女のせいだ!」と言いました。そして、女は「へびが悪いのよ!へびが!」と言いました。へびは・・・手も足も出ない・・・!いや、まだ人のせいにしなかっただけへびの方がましかもしれません。

確かに、「この女が言ったから」とか「へびが惑わした」というのは、その通りでしょう。でも、最終的にそれを行なったの自分です。誰かがやったから自分がやったというのは理由になりません。一つ一つの自分の行動には、自分が責任をもたなければならないし、何か失敗をしたら、自分でそれを受け止めなければなりません。それこそが、「男らしい」態度なのです。

確かに、「あいつがやれって言った!」のもきっと事実なのでしょう。そういう意味で、言い分はあるかもしれません。しかし、その結果、やるべきでないことを選び取ったのは自分なのです。人のせいにして逃げてばかりいるのは、そろそろやめにしませんか?

◆考えてみよう◆
自分は人のせいにして、逃げてばかりはいませんか?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、もっと男らしく、自分自身に責任をもって行動することが出来るようにさせてください。自分で受け止めるべき事は、逃げずにしっかりと受け止めることが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」


男らしくなろう!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年10月13日水曜日

かくさないで生きよう

おはよう!昨日の日本vs韓国戦は無得点だったけど、最後まで気の抜けない試合だったね。
さて、今日は世界の始まりのストーリーに戻ります。

◆今日の聖書◆
そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」(創世記3:8-9)

◆どういうこと?◆
みんな、今までに何か悪い事をしたはある?人はそういう時、昔から共通の反応をしてきたようです。それは「かくれる」ということです。

かくれたり、かくしたりするってことは、自分が何か悪い事をしたんだという自覚があるってことだよね?だけど、もしそれをかくすなら、もう一つ悪い事を重ねてしまうことになります。そして、バレるかもしれない、見つかるかもしれないと思いながらビクビクと生活して、本来のいきいきとした自由な生活ができなくなってしまうのです。

でも聖書の別の箇所にはこのように書いてあります。
「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(1ヨハネ1:9)

もしボクたちが罪を犯しても、それをちゃんと自分で認めて言い表すなら、神様はゆるしてくれます。実は、それが一番勇気のいることなのです。でも、その告白さえあれば、神様はボクたちを悪からきよめてくれます。
ゆるされているという実感なしに、人は自由に生活することが出来ないのです。

◆考えてみよう◆
1. 今、何か隠していることはないかな?それが原因で心がすっきりしないことはないかな?

2. みんなだったら、何か失敗したり、悪い事をしてしまった時は、どうする?どうしたらいいと思う?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたがすべての罪をゆるしてくださることを感謝します。もう、かくれたり、かくしたりしないで正々堂々と生きる事ができるように力を与えてください。そして、失敗したり悪い事をしてしまった時でも、勇気を出してそれを告白することが出来るようにさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

今日もすっきり歩もう!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

2010年10月12日火曜日

誘惑のささやき

おはよう!昨日はきっちりと勝つ事ができたね。おめでとう!最後のトーナメントだから、悔いの残らないように頑張ろうね!

◆今日の聖書◆
そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べる時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするという木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。(創世記3:4-6)

◆どういうこと?◆
悪魔は実にずる賢い存在です。そして、ちょっと油断するとすぐにボクたちの心にささやいてきます。それも、みんなが気がつかないように、実に巧妙に語りかけてくるのです。「それくらい大丈夫だよ。絶対死んだりしないよ。いや、むしろそっちの方が楽しいんだぜ。神はいろんな規則でお前をしばりつけようとしているだけなんだぜ・・・。」

みんなは、そんな風に誘惑を受けたことはありませんか?ある時は友達を通して。ある時はテレビや映画を通して。もちろん、友達もテレビも映画も、悪魔ではありません。しかし、そんな身近な存在すら巧みに利用して、悪魔はみんなをだまそうとするのです。

そもそも、神様が人類に与えられた命令は、たった一つだけの簡単なものでした。しかし、一番始めの人間であるアダムとエバは、まんまと悪魔のささやきに引っかかってしまい、そのたった一つの命令を破ってしまいました。それから後の人類の様々な悲劇は、すべてそこからスタートしたのです。

◆考えてみよう◆
自分では正しくないと思うのに、友達やグループの仲間から悪いプレッシャーを感じることはないかな?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、毎日たくさんの誘惑やプレッシャーがあります。どうか正しいことを選び取り、神様の守りの中で自由に過ごす事ができるように助けてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」


今日も守られますように!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤