おはようございます!
◆今日の聖書◆
「ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(2コリント12:10)
◆どういうこと?◆
サッカー選手にとって、プライドは成長するための大きな障害となる場合があります。自信を持つことは重要ですが、それとプライドは別のものです。
どうしてでしょうか?人は自分の欠けている部分を隠そうと、持っているものを大きく見せようとする癖があります。壁が大きければ大きいほどその欠けている部分が明らかになります。もしその弱さを認め、乗り越えようとするなら、その気持ちは自信に変わり、着実な力となっていくでしょう。逆に弱さを認められず、他に目を向けたり、変わろうとしないのであれば、その欠けを補うために他のもので覆わなくてはいけなくなるのです。これがプライドです。
でもプライドが完全に悪なのかというとそうではない場合があります。それは弱さを神様の前に認め、助けを求めたときに与えられる強さを誇る場合です。このプライドは僕たちが神様によって強められることを自覚する中でうまれるもの。そして神様と共に歩んでいることを表す強さです。もし僕たちが強さを通して神様と共に歩むことにプライドを持つなら、その時僕たちのプライドは自分を隠すためのものから、神様の素晴らしさを表すための良いものへと変わっていくのです。
◆ひとこと祈ろう◆
「神様、自分ができないことにばかり目を悲観しないで、弱さを認め、神様の助けの中で本当のプライドを身につけられるようにさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」
Vamos Esperanza!
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