2010年12月10日金曜日

自己チューはやめて

おはようございます!

◆今日の聖書◆
彼はハガルのところに入った。そして彼女はみごもった。彼女は自分がみごもったのを知って、自分の女主人を見下げるようになった。そこでサライはアブラムに言った。「私に対するこの横柄さは、あなたのせいです。私自身が私の女奴隷をあなたのふところに与えたのですが、彼女は自分がみごもっているのを見て、私を見下げるようになりました。主が、私とあなたの間をおさばきになりますように。」(創世記16:4-5)

◆どういうこと?◆
ハガルは妊娠したことが分かると、自分の女主人であるサライを見下すようになりました。子どもが出来ないサライよりも、自分のほうが価値があると思って誇ったのでしょう。サライは、ハガルが横柄になったのは、夫であるアブラムのせいだと言って、アブラムを非難しました。

このふたりに共通するのは何でしょう?・・・それは「自己チュー」な態度です。

実は、本当の自分の姿が試されるのは、こういった突然の状況の変化の時なのです。「普段はいい顔をしているけど、本当はこういう奴なんだ・・・。」「結局こいつは自分のことしか考えていないんだ・・・。」落ち着いて考えられる時でなくて、緊急の状況でどんな反応をするかが問われてくるのです。

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた物だと思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」(ピリピ2:3-5)

イエス・キリストは、ボクたちの罪の身代わりとして、十字架にかかって死んでくださいました。それは、自己中心とは正反対の「相手のために与え尽くす愛」です。

このイエス・キリストの十字架の愛の大きさを知れば知るほど、ボクたちにも「与え尽くす愛」が増し加えられるのです。

◆考えてみよう◆
どんな人のことを「自己チュー」だと思う?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、自己のことばかりではなく、イエス様のように、他の人のことも考えて行動出来るようにしてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」


自己チューは卒業!
Vamos Esperanza!
チャプレン佐藤

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