2012年3月19日月曜日

光をはなつ存在

おはようございます!!今日はおそくなってごめんなさい。

◆今日の聖書◆
アロンとすべてのイスラエル人はモーセを見た。なんと彼の顔のはだが光を放つではないか。それで彼らは恐れて、彼に近づけなかった。(出エジプト34:30)

◆どういうこと?◆
今日の聖書に出てくるモーセは、シナイ山で神様と直接出会うことがゆるされ、神様から話を聞きました。でも神様はその圧倒的な存在感で太陽のように輝いていたので、恐れて顔を見られなかったようです。そのような神様と会う中で、モーセも神様の栄光を受ける存在へと変わりました。彼の姿は神様と同じようであり、誰も近づけない程でした。そして民はモーセを見て、神様が共におられることを確信したのです。

モーセのいた時代はイエス様がこの世にくる前の時代だったので、人はモーセのように神様がゆるした者のみ出会える時代でした。しかし、二千年前にイエス様が十字架にかかられ、神様と人の関係を直してくれたことによって、すべての人も神様と出会える時代に変わっていったのです。だからイエス様を信じて歩む人は「世の光」としてモーセのように神様の栄光を受ける存在となれる特権を与えられました。
でも、信じたからといって神様と直接会えるわけではありません。それは神様が決めることだからです。だけどヒントはあります。神様は「神様の声、ことばに耳を傾ける人を喜ぶ方」ということです。聖書に真剣に耳を傾けるなら、その人に神様は出会ってくれるでしょう。そして、神様に似た姿へと僕たちも変えられていくのです。みんなは神様ともう出会いましたか?期待して聖書のことばにしっかり目を向けよう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、僕たちも希望の光となれるように、神様に似た姿へ変えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2012年3月18日日曜日

おはようございます!!

◆今日の聖書◆
あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。(第一ペテロ5:2)

◆どういうこと?◆
僕たちは全員がチームのキャプテンではありませんが、セレクションに合格して選ばれたように、サッカーの部分であったり何か、他の人より優れたものを神様から与えられている存在とも言えます。これはどういう意味を持つでしょうか?これは、僕たちがそれぞれリーダーとして他の人へ良いお手本となれる存在であることを表しています。もちろん技術的なものだけではなく、精神的、人格的にもです。僕たちの周りには学校の友達や後輩たちがたくさんいます。みんなはそれぞれがこのような人たちの良いお手本となっているでしょうか?
神様は僕たちにただサッカーを楽しむためだけに、その才能や性格を与えたわけではありません。与えられたものを通して、他の人を助け、神様にある希望を伝え、励ましてほしいと願っています。みんなは持っている才能を自分のためだけに使っていませんか?もしそうなら、これからは神様のために、他の人のために使っていきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、他の人にはない才能を与えてくれてありがとうございます。これからはその力を神様や他人のために使えるように変えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2012年3月17日土曜日

視野を拡げていこう

おはようございます!!

◆今日の聖書◆
自分のことだけではなく、他の人のこともかえりみ(意味:他の人の事も考える)なさい。(ピリピ2:4)

◆どういうこと?◆
小学校低学年のクラスの試合を見ていると、いつも誰にもパスをせずドリブルで相手を抜こうとする子がいました。たぶんドリブルが好きだからなのだと思いますが、周りを見ないで、ひたすら楽しくてやっているようでした。でもボールを持つ時間が長いため、周りを固められてしまい、毎回カットされ結果的にその試合は負けてがっかりしてしまいました。
周囲を見ながらプレーすることはとても大事です。周りを見えない人は試合の状況がわからず、大事な場面でチャンスをのがしてしまうことがよくあるからです。
これはサッカーだけでなく、人生のあらゆる場面でも同じです。ある会社の社長はカジノにはまり、会社のお金まで使うようになり、何億円も負けて会社に大きなマイナスを作ってしまいました。彼はカジノという自分の楽しさに集中するあまり、会社ががんばって集めたお金を一瞬で無駄にしてしまったのです。
このように自分のことだけ考えて歩む人は周りに悪い影響を与えてしまいます。みんなはどうですか?周りが見えているでしょうか?今日一日、自分のことだけではなく周りのことを考えながら過ごしていこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、自己中心の考えから、もっと周りのことを考えられる人へ変えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2012年3月16日金曜日

正しい心

おはようございます!!

◆今日の聖書◆
私は、全き道に心を留めます。いつ、あなたは私のところに来てくださいますか。私は、正しい心で、自分の家の中を歩みます。(詩篇101:2)

◆どういうこと?◆
正しさはただ練習のときだけ見せるものではありません。それは、僕たちの家族や友人、または対戦相手など僕たちが出会う全ての人の前でも同じです。
みんなはチームの中でやっている正しい事(あいさつ、ごみ拾い、感謝、相手を尊敬するなど)を家や学校など、あらゆるところで同じようにやっていますか?
正しい事は神様が喜ばれる事で、僕たちはいつもこれらのことを大事にしていくべきものです。
でも、いつも心がけてやっていなければ、どこかでボロが出てしまうものでもあります。
みんなの生活はどうですか?神様に喜ばれるような毎日に神様の助けをもらいながら変えていこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、正しい事をいつもできる人になれるようにさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2012年3月15日木曜日

パズルのピース

おはようございます!!

◆今日の聖書◆
最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。(第一ペテロ3:8-9)

◆どういうこと?◆
僕たちはエスペランサという一つのチームですが、本当に心を一つにし、お互いを尊敬し、大切にしているでしょうか?それぞれ性格や好みは違うので、全員と仲良くなることはむずかしいかもしれません。しかし、そうであっても相手を大切にすることはできることを知っていますか。みんなはそれぞれパズルのピースに例えることができます。パズルは一つでもピースが欠けていればその穴を他のもので埋めることはできず、いつまでたっても完成することができません。僕たち一人ひとりも同じです。性格が合わない、サッカーがうまくないなどで自分のパズルとは彼は違うと思うかもしれまえん。しかし、実は自分の真横に合うピースではなかったとしても、その彼が当てはまる場所(必要とされている場所)がパズルのどこかに必ずあるのです。
神様は僕たち一人ひとりを素晴らしい存在、同じものがないように人をつくりました。双子であっても、全てが完全に一致することはないのです。
みんなはそれぞれオリジナルの存在です。だから、欠けても良い存在はひとつもありません。これからはこの事をしっかり覚え、お互いを大切にしあっていきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、どんなに性格があわなくても、その人を見捨てず、大切にできるように僕を変えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2012年3月14日水曜日

動揺しない

おはようございます!!

◆今日の聖書◆
ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。(第一コリント15:58)

◆どういうこと?◆
どんなにがんばっていても、思っている結果に結びつかないことはよくあります。そのような時はがっかりして、やる気がなくなってしまうかもしれません。みんなはこの様な時をどのように乗り越えているでしょうか?ある人は「すばらしい働きは力によるのではなく、忍耐によって達成される。」と語っています。どういうことでしょうか?これは毎日の練習に例えることができます。サッカーをうまくなるには、一年で一回の練習では足りません。毎日練習を重ねることで、身体が動きを覚え、どんな試合でも結果を出せるようになっていくのです。
大事なのは、目標をしっかり持ち、その目標を達成するためには忍耐が必要ということを覚えることです。僕たちが目標のために最善を尽くすとき、神様はそのがんばりを知っています。そして、その経験は決して無駄にはなりません。だから、いつも目の前の結果ではなく、先にある本当の目標をしっかり見て準備をしていきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、どんなに練習してもうまくいかないことがあります。でも、今ではなく、目標を達成するためにあきらめないでいけるように助けてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2012年3月13日火曜日

最後の最後まで戦う

おはようございます!!

◆今日の聖書◆
イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(ルカ9:23)

◆どういうこと?◆
「命をかけて戦う」大事な試合を前に僕たちはよくこの様な気持ちを持って戦いに望むのではないかと思います。でも、みんなは腕や足が折れてもいい、心臓が破裂するまで走る覚悟をもつくらい本気で戦っているでしょうか?ドーハの悲劇と言われる日本がW杯出場を逃した試合の相手であったイラクは日本に負ける=国の恥としてむち打ちの刑など拷問を受ける可能性があったようです。そのため選手たちは文字通り必死で戦い、試合終了直前にゴールし引き分けで拷問をさけることができました。
僕たちは彼らのようにむち打ちをかけて戦うことはありませんが、彼ら程ではなくても負けられない戦いはあると思います。もし、みんながそこで「命をかけて戦う」と思うなら、イラクの選手のようにしっかり最後まで戦いぬこう。でも途中で気持ちが折れそうになったり、負けそうになることもあるでしょう。そんな時はイエス様を思い出してください。イエス様は僕たちが希望を持てるように十字架にかかってくれました。だからイエス様を思い出して、何度でも立ち上がって最後まで希望を見て戦い抜いていこう。
◆ひとこと祈ろう◆
「神様、途中で気持ちが折れて、あきらめたくなることあるけど、最後まで戦えるように力を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!
おはようございます!!

◆今日の聖書◆
イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(ルカ9:23

◆どういうこと?◆
「恐れ」は、本来ボクたちを危険から守ってくれるものです。もしボクたちに恐れがないなら、おそらく平気で危険に飛び込んで行ってしまい、やがて確実に自分の身に破滅をまねいてしまいます。
しかし一方で「恐れ」はボクたちを消極的にさせるものです。恐れは、ボクたちが本来持っている力を100%発揮するのを妨げてしまうのです。

失敗に対する恐れ、人間関係に対する恐れ、将来に対する恐れ、ケガや病気に対する恐れ、そして死に対する恐れなど、恐れにはいろいろなものがあります。
あなたがもっと成長したいと願うなら、まず自分自身の中にある恐れを自覚し、それを克服しなければなりません。
あなたが一番恐れているものは何でしょうか?

聖書は、恐れを克服するカギは、恐れと戦うのではなく、恐れを締め出すことだと言っています。ボクたちの心が「愛」によって満たされるなら、恐れは締め出されます。もちろん、これはロマンティックな愛のことではありません。(そのような愛にも力はありますが、また別の恐れを生むからです。)そうではなく、神様の愛によって満たされる時、恐れを克服することが出来るのです。

ボクたちの罪の身代わりとして、十字架の上で死んでくださったイエス・キリスト。この方を心にお迎えするなら、ボクたちにも神様の愛が注がれ、恐れを克服する力が与えられるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、いつも恐れにとらわれて消極的になってしまいます。どうかあなたの愛で心を満たし、恐れを克服することが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2012年3月12日月曜日

恐れを締め出すnow

おはようございます!!

◆今日の聖書◆
愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。(ヨハネの手紙第一4:18)

◆どういうこと?◆
「恐れ」は、本来ボクたちを危険から守ってくれるものです。もしボクたちに恐れがないなら、おそらく平気で危険に飛び込んで行ってしまい、やがて確実に自分の身に破滅をまねいてしまいます。
しかし一方で「恐れ」はボクたちを消極的にさせるものです。恐れは、ボクたちが本来持っている力を100%発揮するのを妨げてしまうのです。

失敗に対する恐れ、人間関係に対する恐れ、将来に対する恐れ、ケガや病気に対する恐れ、そして死に対する恐れなど、恐れにはいろいろなものがあります。
あなたがもっと成長したいと願うなら、まず自分自身の中にある恐れを自覚し、それを克服しなければなりません。
あなたが一番恐れているものは何でしょうか?

聖書は、恐れを克服するカギは、恐れと戦うのではなく、恐れを締め出すことだと言っています。ボクたちの心が「愛」によって満たされるなら、恐れは締め出されます。もちろん、これはロマンティックな愛のことではありません。(そのような愛にも力はありますが、また別の恐れを生むからです。)そうではなく、神様の愛によって満たされる時、恐れを克服することが出来るのです。

ボクたちの罪の身代わりとして、十字架の上で死んでくださったイエス・キリスト。この方を心にお迎えするなら、ボクたちにも神様の愛が注がれ、恐れを克服する力が与えられるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、いつも恐れにとらわれて消極的になってしまいます。どうかあなたの愛で心を満たし、恐れを克服することが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2012年3月11日日曜日

正しい事を選び取る

おはようございます。

◆今日の聖書◆
いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私が今なお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません。(ガラテヤ1:10)

◆どういうこと?◆
例えば、仲のいい友達がみんなで万引きをしようとしています。そしてみんなは、お前も仲間なんだから同じ事をするようにと要求しています。あなたはそれが正しくない事を知っていますが、ここで自分だけやらなかったらみんなから「空気の読めないやつ」「ノリの悪いやつ」と言われて、仲間はずれになるのが目に見えています。さあ、あなただったら、どうするでしょう?

聖書は「人の歓心を買うために不正を行なってはならない」と言っています。人の目を気にする心の動機は「恐れ」です。人の目を恐れて行動してばかりいると、正しい事が出来なくなるばかりか、やがてその恐れが自分自身を支配し、自分が何のために生きているのかが分からなくなってしまいます。
聖書は、むしろ「ボクたち一人一人を目的を持って造られた神様に目をとめなさい」と言っています。神様は、恐れではなく「愛」によって行動しました。神の愛は、相手のために自分自身のいのちを捨てるほどの勇気と真剣さをもった本当の強さです。それは、神のひとり子であるイエス・キリストが私のために十字架にかかってくださった事に象徴されます。

十字架を通して神様の愛を思い起こす時、ボクたちの心は「恐れ」ではなくて「愛」に満たされます。そして、正しい事を選び取る本当の強さが与えられるのです。まわりの人に流されがちな人はいませんか?大丈夫。イエス様は、あなたにもそのような強さを必ず与えてくださいます。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、人の目ばかりを気にしていた事を許してください。いつもあなたに目を留め、正しい事を選び取ることが出来る力を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2012年3月10日土曜日

信仰の力

おはようございます!!

◆今日の聖書◆
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。(ヘブル11:1)

◆どういうこと?◆
サッカー選手になるために一番必要なものは何でしょうか?恵まれた身体能力でしょうか?すぐれた技術でしょうか?賢い戦術理解でしょうか?素早い判断力でしょうか?
もちろん、それらはみんな必要なものです。でも、それにも増して一番必要なものがあるとすれば「自分は絶対にサッカー選手になる」と信じる強い気持ちでしょう。その強い気持ちが、辛い練習に耐える力を与え、どんな身体的な弱点をも克服し、ケガやスランプをも乗り越えさせ、夢が実現するまで続ける精神力を与えてくれるのです。

しかし信じると言っても、自分自身には限界があります。だから、ボクたちはボクたちを造った神様を信じるのです。何でも出来る神様が、自分に力を与え、すべてのことが出来るようにしてくださると信じるのです。それを「信仰」と言います。

「信仰」こそがすべての望みを実現するカギです。今日も信仰をもって、その一歩を歩みだしましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたがすべてのことを実現する力をもっていることを信じます。毎日、あなたの力を体験しながら生きて行く事が出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2012年3月9日金曜日

最後までまっすぐ歩く

おはよう!

◆今日の聖書◆
ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫びだし、「主よ。助けてください。」と言った。(マタイ14:30)

◆どういうこと?◆
もし、神様がみんなにはっきり「今日の試合は絶対に勝つ。」と約束されたとします。それなのに前半で3失点してしまったらどう思うでしょうか?これはひとつの例として言いましたが、同じように僕たちの人生には約束があるにも関わらず、約束とは正反対に見える状況に出会うことがよくあります。そして「何故?助けてくれないの?」と神様に聞くこともあるでしょう。

一体どうしてなのでしょうか?理由は見えない恐怖、不安から来るプレッシャーで神様の約束に対する信頼が揺れてしまうからです。今日の聖書にある弟子のペテロはイエス様が湖の上を歩いているのを見て、イエス様に自分も歩きなさいと命じてくれるよう話ました。そして、船から一歩足を出し、歩き始めましたが、徐々に恐怖におそわれてギブアップしてしまった話です。これは僕たちも同じです。約束されたことを信じて一歩踏み出しますが、さまざまな状況で不安が大きくなり、途中でギブアップしてしまうことはないでしょうか?残念ながら、耐えられずにギブアップしてしまい、神様を信頼できなくなってしまう人は多くいます。でも、神様は一度約束されたことを必ず達成させる方です。その道は無理と思える程大変なものもあるでしょう。しかし、約束は途中で変わることはないのです。だから神様の約束をしっかり信頼してあきらめずゴールまで歩んでいこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、思うようにいかないこともあるけど、神様を信頼してゴールへ到達できるように強くしてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン」
Vamos Esperanza!

2012年3月8日木曜日

叱りを受け止める

おはよう!

◆今日の聖書◆
わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる。(しんげん3:11-12)

◆どういうこと?◆
現代の若者は叱られると、顔をそらし、逃げたり、話を聞かない傾向があるようです。その原因は親から叱られない事が大半のようですが、エスペランサのみんなはどうでしょうか?
エスペランサに来ると忘れ物や悪い態度をするとコーチが叱ります。でも、残念なことに話をしっかり聞いていなかったり、全く反省をしていない人がいるように思います。
このような人も現代の若者だから仕方ないと言ってしまえばそれで終わりですが、本当にそうでしょうか?もちろんそんなことはありません。

僕たちにはそれぞれ知恵が与えられており、物事を考えて判断できます。同じように良い事や悪い事を学んで成長することもできるのです。叱られることは決してうれしい事ではないですが、そのことを通して学ぶことで成長していけるようになります。だから、もし話をしっかり自分のものとして聞かず、受け止めない人は成長を自分で止めてしまっている人と言えます。そうなっていたら成長できない事に言い訳はできません。聖書では「愚かな者は恥を得る。」と厳しく語っています。みんなはどうですか?叱りをよく聞く人は神様が愛し、祝福してくれます。どちらが自分にとって良い道か考えてみよう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、叱られることは好きではないけど、成長のため、ちゃんと叱りを聞けるように忍耐力を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン」
Vamos Esperanza!

2012年3月7日水曜日

誰のために

おはよう!

◆今日の聖書◆
善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」(第一列王3:9)

◆どういうこと?◆
今日の聖書はソロモン王が神様から「何が欲しいのか?」と問われたときに応えた祈りです。ソロモン王は何でも求めることがゆるされていました。でも、王はお金や権力など、自分のためではなく神様の与えられた民を正しくさばくための知恵と聞き分ける心を求めました。神様はその思いを喜び、願うものだけでなく、お金や権力などすべても与えられたのです。

ここから何を学べるでしょうか?

ひとつキーワードがあります。それは「誰のために求めるのか?」です。
僕たちも練習や試合前にお祈りしますが、それは試合に勝つため、自分たちが活躍できるためでしょうか?もし、そうなら神様はその思いに応えてくれないかもしれません。何故なら神様は与えるだけではないからです。神様は僕たちにいつも喜んでほしい、その喜びを神様に感謝し、分かち合ってほしいと願っています。だから、神様はソロモンのように神様を見て、求める人に応えるのです。だから、僕たちもいつも誰のために祈っているかを考えてお祈りしていこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、自分の利益ばかり求めてごめんなさい。これからは神様のことを覚えてお祈りできるように変えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン」
Vamos Esperanza!

2012年3月6日火曜日

口先だけではなく

おはよう!

◆今日の聖書◆
子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。(第一ヨハネ3:18)

◆どういうこと?◆
日本人は、昔から愛を表すことに下手な文化を持っていると言われています。これは文化の違いから来るものとも言えますが、本当は文化の違いではなく、愛について理解の違いが原因にあるのではと思わされます。
もしみんなに「愛」について質問すると、バレンタインやデート、恋人など恋愛が思いつくでしょう。実際に多くの日本人が愛=恋愛(ロマンス)につなげてしまうことが多いのです。だから、男同士で「愛してる」と言っていたらすぐに気持ち悪いと反応するのは当たり前かもしれません。では、さっきの質問を海外の人にしたらどうでしょうか?多くは神様、十字架、家族などと答える傾向にあるようです。彼らにとって「愛」は恋愛感情だけでないのです。むしろ、恋愛のように一時的な感情ではなく、永遠につづく最も大切なものとしてとらえていたのです。

今日の聖書にあるように、聖書はいつも恋愛の「愛」ではなく、永遠のつづく大切なものとして「愛」を指していたのです。
もしみんなが「愛している」と語っていても、一時的で冷めてしまうなら、それは神様から来る本当の愛ではなく、自己満足のための愛かもしれません。もし、そうなら麻薬中毒者のように、いつも一時的な愛を求めるような悲しい歩みが待っています。みんなはどちらの愛を持っていますか?今日一日考えてみよう。そしてプロ選手を目指すなら、どちらが最善か考えてみよう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、自分を満足させる愛からすべての人が喜ぶ愛に変われるように助けてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン」
Vamos Esperanza!

2012年3月5日月曜日

僕たちのやるべきこと

おはよう!

◆今日の聖書◆
彼が、「主よ。あなたはどこですか」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」(使徒9:5-6)

◆どういうこと?◆
みんなは自分の本当にしなければいけないことを理解しているでしょうか?

今日の聖書は、自分は正しいことをやっていると思っていたユダヤ人リーダーのパウロに起きた出来事です。パウロは信仰に熱い人でしたが、イエス様のことを理解せず、イエス様の弟子を敵のように思い込み、彼らを殺すことは良いことだと信じていました。今回の出来事はそんなパウロが更に攻撃をしようと準備をしていた時に起こったのです。この出会いによって、パウロはイエス様が自分の信じている神様でだったことに気がつき、本当にやらなければいけないことは教会を攻撃することではなく、彼らを励まし、イエス様のことを伝えていくことだと理解できたのです。

もう一度質問を繰り返しますが、みんなはしなければいけないことを理解していますか?
サッカーと答えるかもしれません。でも、もしみんながイエス様の存在を無視しているのであれば、パウロのように本当にすべきことに気がつけないのです。みんながエスペランサに来たのは偶然ではありません。実は神様がサッカーを通して、みんなにより大きなことをさせようと選んでくれていたのです。だから、自分のすべきことを知れるように期待して毎日を過ごそう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、パウロのように、僕のすべきことを教えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン」
Vamos Esperanza!

2012年3月4日日曜日

見返りを求めない

おはよう!

◆今日の聖書◆
人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれの生き方により、行いの結ぶ実によって報いる。(エレミヤ17:9-10)

◆どういうこと?◆
人の心には何かを他の人のためにするとき、見返りを手にしようとする誘惑との戦いがいつもわいてきます。「良いことをしたんだから、お金をもらえる。」そのように思うことは当たり前かもしれません。でも、最初から自分の利益を得るために、相手を助けるなら、それは本当に「良いことをした」と言えるでしょうか?きびしいようですが、聖書ではそのような心は「陰険(心に悪さを持っているの意)」であると語っています。つまり、「良いことではない」と否定しているのです。

神様はそのような僕たちの心の内側をしっかりと見ています。そして、その動機を知っていて、僕たちの行動にふさわしい実(結果)を与えるのです。だから、毎日の生活の中で起こる出来事も同じです。もし、その人のために仕えるなら神様は祝福し、自分のため人に何かをするなら神様はそれなりの実を与えます。これは、鏡が自分の姿をそっくりそのまま写してくれるのと同じです。人のためではなく、僕自身のためにするなら、同じように相手も彼ら自身のためにするでしょう。だから、もう自分のために相手に何か良い事をするのはやめて、純粋に相手のために仕える姿へと成長していこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、これからは自分の利益のためではなく、相手のために仕えられるようにさせてください。そして、そのような姿を祝福してください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン」
Vamos Esperanza!

2012年3月3日土曜日

お互いに仕えあう

おはよう!

◆今日の聖書◆
それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。(第一ペテロ4:10)

◆どういうこと?◆
みんなは多くの人によって支えられてサッカーをさせてもらっていることを感謝していますか?お父さんやお母さん、コーチ達には感謝しているかもしれません。でも僕たちが会ったことがない人の中にも、グラウンド購入のため、毎日お祈りし、お金をささげてくれる人もいることを知っていますか?彼らは自分たちの財産の多くを僕たちのためにささげてくれています。細かくは言えませんが、その額や時間は一生かかっても返せないほどと言えるでしょう。どうかこのような人たちがいることも忘れずに感謝していきましょう。

それにしても、彼らはどうして会った事のない僕たちを支えてくれているのでしょうか?それは、今日の聖書が理由です。彼らは自分たちに与えられたものを、神様のため、神様のために働く人々の必要のためにささげているのです。それがベストだと信じて仕えているのです。これに対して僕たちはどうでしょうか?ただ受け取るだけでしょうか?「良いグラウンドでプレーできるようになってうれしい。」それだけで良いでしょうか?それは違います。神様は「互いに」と言っているように、僕たちにも彼らと同じように仕えることを求めています。僕たちは大金はないかもしれません。でも最善のプレーをし、神様のチームの一員としてふさわしく生きることはできます。彼らがささげて良かったと思えるように成長はできるのです。ですから、僕たちも僕たちにできることを通して彼らや家族などすべての人たちに仕えていきましょう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、僕におおくのものを与えてくれてありがとう。これからは僕も他の人に仕えられる人にしてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2012年3月2日金曜日

違うものになる

おはよう!

◆今日の聖書◆
しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたに宣べ伝えるためなのです。(第一ペテロ2:9)

◆どういうこと?◆
DNAが全く同じと言われる一卵性の双子でも、ホクロなど身体に出る特徴が違ったり、得意なものも違うようです。だから、うり二つと言える存在であっても、全く違うのですから、僕たちはエスペランサという一つのチームのメンバーだとしてもそれぞれが別々の存在ということはすぐに分かると思います。つまり、僕たちはサッカーという同じ目標を持ち、一つのチームに集まっていても、一人ひとりは違った役目を持つ存在として生きているのです。

今日の聖書は僕たちがそのように色々な存在の中から、神様は更に特別な存在として声をかけてくれていることを語っています。そして、神様のチームの中で自分自身にだけ与えられている役目を果たして生き、輝けるように導いているのです。みんなはこの素晴らしい声かけに気がついていますか?神様のチームメンバーとして、輝いていけるように歩んでいこう。


◆ひとこと祈ろう◆
「神様、色々な人から僕を選んでくれてありがとう。チームメンバーとして自分の役割を果たせるように助け導いてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2012年3月1日木曜日

過信の危険性

おはよう!氷ですべってケガしないように注意しよう。

◆今日の聖書◆
ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。(第一コリント10:12)

◆どういうこと?◆
才能のある人、成功をおさめている人は自分に自信を持っている傾向があります。それ自体は決して悪いものではありません。しかし、その自信が相手を見下す原因となり、その油断から失敗をしていまうことはよくあります。自信を持ち過ぎることは、人を盲目(目の見えない状態)にさせ、目の前の落とし穴に気づかない状態になってしまうのと同じなのです。

聖書はこのように過信をしている人は、悪の誘惑に簡単に乗せられてしまう要注意人物として警告しています。いつも自分を必要以上に信頼しないでいる人は、周りに注意ができます。しかし、過信する人は「何でもできる」「いつも成功する」と思い込んでしまい、罠に気がつかないで進んでしまいます。だから、神様は「いつも目を覚ましていなさい。」と注意しているのです。悪は飢えているライオンのように、僕たちが穴に落ちるのをずっと待っています。だから、いつも神様に助けてもらいながら、罠に引っかからないように注意して生活しよう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、自分を信じすぎたり、誇り過ぎて悪の罠に引っかからないように助けてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!