2011年6月1日水曜日

必死になってイエスに願う

おはようございます!

◆今日の聖書◆
するとそこに、ヤイロという人が来た。この人は会堂管理者であった。彼はイエスの足もとにひれ伏して自分の家に来ていただきたいと願った。(ルカ8:41)

◆どういうこと?◆
ヤイロは、会堂管理者という立場の人で、その街の中心的な人でした。彼には一人娘がいましたが病気で死にかけていました。その時にイエス様に出会ったのです。彼は人目も気にせず、イエス様の足もとにひれ伏し、子どもを直すために家に来てくださいと必死に願いました。

親は、子どもを愛しています。そして、もし子どもが死にそうになっているなら、出来るならば自分が身代わりとなってその苦しみを受けてあげたいとさえ思うものなのです。

もしかしたら「自分の親はそんなではない・・・」と思う人がいるかもしれません。確かに、人間は誰もが不完全なので、その愛の伝え方が下手な親もいるかも知れませんし、完ぺきということはありません。でも、例えそうだとしても、あなたは間違いなく愛されています。たとえ地上の親からそれが感じられなかったとしても、天のお父さんである神様は、あなたのために、必死になって愛を表わして下さっているのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、親の愛を、神様の愛を、感謝します。ボクも、家族のために尽くしていくことが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

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