2011年4月25日月曜日

エマオの道で

おはようございます!イエスの十字架と復活のうわさは、当時またたく間に広がっていきました。

◆今日の聖書◆
ちょうどこの日、ふたりの弟子が・・・エマオという村に行く途中であった。そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。・・・彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。・・・そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」(ルカ24:13−32)

◆どういうこと?◆
ふたりの目はさえぎられていて、エマオの道で出会って話をしたのが、よみがえったイエス様だとわかりませんでした。でも、彼らはその方との交わりと聖書の説明に不思議と心が燃えやされました。ふたりにとって、文字でしかなかった聖書が、イエス様との出会いによって、心を燃やす生きた言葉となったのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、聖書のことばがよく分かるように、ボクの心を開いてください。弟子たちの目を開いたように、今ボクの目を開き、心を燃やしてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

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