2014年12月31日水曜日

何一つ忘れるな

おはようございます。

◆今日の聖書◆
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103:2)

◆どういうこと?◆
いよいよ今年最後の日となりました。みんなはこの一年の出来事を覚えていますか?
エスペランサにとっても、ボクたち一人ひとりにとっても、良い事や嫌な事など様々な出来事があったと思います。

でも、それら一つひとつは無駄に見えても、神様を信頼して進んでいるなら、絶対に無駄になることはありません。大事なことは、ボクたちが経験した神様との歩みをいつも忘れずに感謝していくことです。自分たちは神様のことをすぐに忘れて、自分の手柄と思ってしまう弱さがあります。だからこそ、神様が共にいてくださっていることを忘れないでいこう。

そして、一年の終わりに、神様との歩みを振り返って感謝し、来年はもっと信頼して歩めるように成長を期待していこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、この一年を祝福してくれてありがとう。この祝福を忘れないで来年はもっと神様を信頼して歩めますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月30日火曜日

感謝のパワー

おはようございます!

◆今日の聖書◆
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケ第一5:16-18)

◆どういうこと?◆
良かった事、うれしかった事を感謝するのは誰にでも出来ることです。でも、聖書はこう言っています。

「すべての事について、感謝しなさい。」

「すべてを感謝する」とは、良かった事だけでなく、悲しかった事、悪かった事など、自分の身に起こった「すべて」が対象です。感謝できそうにないことも感謝するのです。

しかも、「できれば、感謝する」というのではありません。「感謝しなさい」という命令なのです!

もし、ボクたちが本当にこの言葉の通りにすべての事を感謝しはじめると、ボクたちの人生が革命的に変わります。ボクたちの物の見方が変えられると、周りの流れが変わっていきます。マイナスのエネルギーがプラスに変えられていきます。感謝する人の周りには、自然と感謝なことが引き寄せられてくるのです。

この一年間を、感謝して終わりたいと思いませんか?

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、すばらしい一年間を感謝します。感謝できないようなことも感謝出来るようにさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月28日日曜日

ベストな道を歩むために

おはようございます。

◆今日の聖書◆
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(第二コリント12:9)

◆どういうこと?◆
みんなは自分の欠点や弱さをしっかり理解していますか?またその弱点を持っていることを認めていますか?
人は自分の持つネガティブな部分を見つめたり、受け入れることがなかなかできない生き物です。特にサッカー選手のように、実力の世界にいる人々にとってはなおさら弱さを受け入れたりすることは、自分の実力のなさを認めることなので、それ自体が恥であったりするかもしれません。

しかし、欠点や弱点も含めて自分自身であり、それらを受け入れられない人は自身の本当の姿を見る事のできない人と言えます。何故なら、自分を受け入れられない人はいつまでも変装しているのと同じでその弱さを隠しつづけたり、離れていなければならないからです。完璧に思っていても、いつかはボロがでるもの。一生変装することに力を使うことこそ本来の力を無駄に使っているのと同じなのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、弱さを見るのはつらいけど、自分のベストな人生を進むためにも弱さを認められるようにさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月27日土曜日

大逆転の人生

おはようございます!

◆今日の聖書◆
私たちは、四方八方から苦しまれますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。いつでもイエスの死をこの身において明らかに示されるためです。(コリント第一4:8-10)

◆どういうこと?◆
苦しみのない人生はありません。みんなもまだ若いけど、もうすでにいろんな辛いことを通ってきたよね。今年一年を振り返った時、ひょっとしたら辛い経験ばっかりだったという人もいるかもしれません。

でも、覚えて欲しいことがあります。どんなに辛い苦しみでも、絶対に出口があるということです。

四方八方を取り囲まれて、もう逃げ道がないと思うような時もあるかも知れません。でも、そんな時は、ぜひ上を見上げて欲しいのです。どんな時でも、そこにだけは逃げ道があります!・・・そう、ボクたちの救い主、イエス・キリストの姿を見上げるのです。

イエス・キリストの人生は、まさに大逆転の人生でした。十字架につけられ、人々はもうそれで終わりだと思いました。でも、イエス・キリストは復活しました。死に勝利したのです。

ボクたちの心にイエス・キリストがあるとき、ボクたちの苦難も必ず大逆転で、大勝利に変えられるのです!

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、どんな困難も、イエス・キリストにあっては大勝利に変えられることを感謝します。どうか最後まで信じ続けられますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月26日金曜日

預言の成就

おはようございます!

◆今日の聖書◆
このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就(じょうじゅ)するためであった。(マタイ1:22)

◆どういうこと?◆
イエス・キリストの誕生から十字架にいたるまで、彼の生涯は、みなすでに語られた預言が成就(実現)するためのものでした。すべての出来事は、預言が成就するためだったのです。

それは、ボクたちの人生における出来事でも同じ事です。

「神は私たちを世界の基の置かれる前から彼(キリスト)にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」(エペソ1:4-5)

神様は、世界の始まる前から、ボクたちを神様の子供とする計画を定めて下さっています。聖書の預言は、ボクたちの人生を通してさらに成就していくのです。

この計画を、ボクたちが信じるという事を通して実現させようではありませんか。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたの計画に自分の意志で従っていくことが出来ますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月25日木曜日

主人公を間違えない

おはようございます。

◆今日の聖書◆
しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」(第二サムエル16:7)

◆どういうこと?◆
今日はクリスマスです。この日は神様を信じる人にとって喜ばしい一日ですが、みんなも今日を喜んでいるでしょうか?
このクリスマスはイエス様が生まれたことをお祝いする日です。でも残念なことに、日本ではクリスマスの主人公がイエス様ではなく、自分たちになってしまっています。プレゼントをもらったり、友人と楽しく過ごすためのイベントとなってしまいました。またクリスマスイブは聖なる夜と言われていますが、恋人と過ごすためのものにもなっています。

もしかすると、ボクたちも同じ様に、イエス様ではなく自分たちが楽しむためにクリスマスを過ごしていないでしょうか?
もしそうなら、神様はボクたちを見て悲しむでしょう。なぜなら、いつも祈ったり、聖書を読んだりしていても、、心の中で神様と一緒にいないからです。それは本当に神様を信じて歩んでるとは言えません。神様は外見にだまされず、心の中を見る方です。だからみんながもし成功者となること、勝利者となることを望んでいるなら、神様だけを真っすぐ信じてみるようにしよう。


◆ひとこと祈ろう◆
「神様、イエス様が主人公としてお祝いします。これからもずっと神様だけを見て、歩めるようにしてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月24日水曜日

ひとりぼっちじゃない

メリークリスマス!

◆今日の聖書◆
ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼い葉おけに寝かせた。宿屋(やどや)には彼らのいる場所がなかったからである。(ルカ2:6-7)

◆どういうこと?◆
「自分のいる場所がない・・・」

これほどつらいことは、他にないのではないでしょうか。人間というのは、人との関係の中で生きる生き物です。ですから、自分には居場所がないと感じると、精神的に相当なダメージを受け、病気になったり、不登校になったり、時には死を考えたりするようになるのです。

でも、神のひとり子であるイエス・キリストは、生まれる前から拒絶を体験しました。「自分のいる場所がない」という辛さを、そんな小さな頃から味わってくださったのです。生まれてからも彼はしばしば人々から拒絶されました。罪人たちと一緒に食事をしていたり、安息日にしてはならないことをしているといって人々に非難されました。そして何よりも、何も悪いことはしていないのに、人々は彼を十字架につけたのです。

この方こそ、クリスマスに生まれてくださった救い主。

この方以外に、ボクたちの痛みや孤独を100%分かってくれて、その重荷を負ってくれる方は他にはいません。この方が、ボクたちの永遠の居場所です。もうキミは、二度とひとりぼっちになることはないのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたが拒絶を味わってくださり、ボクのつらいことも全部知っていてくださり、ありがとうございます。あなたをこの心にお迎えします。これからずっと、あなたとともに歩ませてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月23日火曜日

素晴らしい喜び

メリークリスマス!

◆今日の聖書◆
御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカ2:10-11)

◆どういうこと?◆
「今日、ついに救い主が、生まれたんですよ!!」

天使たちが告げた、この「すばらしい喜びの知らせ」・・・人々は、この日をどれほど待ちこがれていたことでしょう。

では、天使から、一番始めにこの素晴らしい知らせを聞いたのは誰だと思いますか?

・・・そう、羊飼いたちなのです。羊飼いというのは当時、とても貧しい、身分の低い職業でした。しかも、夜に羊の番をする担当というのは、その中でもランクの低い羊飼いたちだったのです。

この「すばらしい喜びの知らせ」は、すべての人のためのものです。金持ちや、能力がある人、地位のある人だけのものではありません。

いやむしろ、心の中に寂しさを抱えていたり、悩みを抱えていたり、人々から虐げられているような人々に対して、語られたのです。

「すばらしい喜びの知らせ」とは、救い主イエス・キリストの誕生のことです。

今日、もし心を開くなら、神様はキミの心の中にも生まれてくださるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたをこの心にお迎えします。どうか、あなたの喜びで満たしてください。イエス・キリストの名前でお祈ります。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月18日木曜日

ベストな道を歩むために

おはようございます。

◆今日の聖書◆
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(第二コリント12:9)

◆どういうこと?◆
みんなは自分の欠点や弱さをしっかり理解していますか?またその弱点を持っていることを認めていますか?
人は自分の持つネガティブな部分を見つめたり、受け入れることがなかなかできない生き物です。特にサッカー選手のように、実力の世界にいる人々にとってはなおさら弱さを受け入れたりすることは、自分の実力のなさを認めることなので、それ自体が恥であったりするかもしれません。

しかし、欠点や弱点も含めて自分自身であり、それらを受け入れられない人は自身の本当の姿を見る事のできない人と言えます。何故なら、自分を受け入れられない人はいつまでも変装しているのと同じでその弱さを隠しつづけたり、離れていなければならないからです。完璧に思っていても、いつかはボロがでるもの。一生変装することに力を使うことこそ本来の力を無駄に使っているのと同じなのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、弱さを見るのはつらいけど、自分のベストな人生を進むためにも弱さを認められるようにさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月17日水曜日

賢い人の言葉づかいを学ぶ

おはようございます。

◆今日の聖書◆
自分の口と舌とを守る者は、自分自身を守って苦しみに会わない。(箴言21:23)

◆どういうこと?◆
みんなは自分の言葉づかいをコントロールできていますか?言葉は喜びや怒りなど自分の感情を具体化していく一つの方法として、とても力をもっています。
でも力があるあまり、自分の感情をコントロールできない状態のまま言葉を吐きだしてしまうと、その力は破壊的なものになってしまい、自分の人生を変えてしまう事もあります。

毎日のように世界中で殺人事件が起こっていますが、そのうちの大きな原因の一つは「言葉の暴力」にあります。神様は言葉から世界を造ったように、良いものをうみだします。でも、一歩間違うと暴力をうみだしてしまうのです。

聖書では神様を感謝する口と暴力を生み出す口が一緒になってはいけないと教えています。それは自分の口を汚してしまい、神様はその人の感謝を受け取れないからです。つまり、自分にとってメリットは何もないのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、もっと言葉を励ましたり、喜んだり、良い力をうみだすために使えるようにさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月16日火曜日

専門家の声を聞く

おはようございます。

◆今日の聖書◆
私は知恵の道をあなたに教え、正しい道筋をあなたに導いた。(箴言4:11)

◆どういうこと?◆
サッカーが上手くなりたいのであれば、誰でもサッカーの専門家に教わりたいと思うでしょう。みんながエスペランサに入ろうと思った理由もそれが自分にとってベストな選択だと確信したからだと思います。

このように、その道を極めたいと願うなら、その道の専門家に教わろうとすることは自然な事と言えます。でも、それが自分の人生を極めたいと思った時、その道を知る専門家の声を聞かなくなってしまう人はこの世界に多くいるのです。中にはサッカーの専門家に様々な人がいるように、人生の専門家も色々いるので、どれが本物か分からない人もいるのかもしれません。

しかし、神様はボクたちに神様こそが真の専門家であることを教えており、聖書は初めから終わりまで、変わらずに人生の目標を教え、神様の存在を明らかにしてくれています。だからもし、自分の歩みに不安を覚えたり、迷いはじめたら、神様のことばである聖書に目を向けるようにしていこう。それでも分からなければ、チャプレンに聞いてみてください。神様はボクたちのベストを知っていて、道を示してくれます。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、どうすればいいかベストな道をいつも教えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月15日月曜日

全力でやる

おはようございます。

◆今日の聖書◆
心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。(申命記6:5)

◆どういうこと?◆
サッカーに対して、ボクたちは全力をつくしてやっていますが、同じように神様のことを大切にしているでしょうか?

神様はボクたちがサッカーを真剣にやっているように、神様を信じることも命がけでいて欲しいと願っています。これは、イエス・キリストが神様という存在から人になるという屈辱てきな出来事を受け入れ、十字架にかかられたことから本気で願っていることがわかるでしょう。

心、精神、力を尽くしてとはボクたちの全てで信じるという意味です。もし、試合でボールを追いかけなかったり、相手をマークしないなら、それは全力でやっていると言えません。それでプロを目指すといっても誰も信じないでしょう。同じ様に神様を信じると言っても、行動がともなっていなければそれは全力とは言えません。

みんなは全力でやっていますか?神様は本気の人を見てくれます。たとえ失敗しても、本気さはきちんと見てくれる方です。今日一日、自分の本気度をしっかり考えてみよう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたが本気で愛してくれてること感謝します。ボクも全力で神様を信じられるようにさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月14日日曜日

尊敬される人となる

おはようございます。

◆今日の聖書◆
イエスはおすわりになり、十二弟子を呼んで、言われた。「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」(マルコ9:35)

◆どういうこと?◆
ある世界的トッププレーヤーの話しです。彼は引退後コーチとなりました。
コーチをしていたチームのグラウンドは普通の空き地ような場所であり、サッカーを教えていくにはベストとは言えない環境でした。しかし、チームが最高の練習を出来る様に自らが石を拾い、草刈りをし、手作業でいろいろなものを整え、見違えるほどに良くしていったのです。その結果、そのチームはより良い練習ができ、どんどんと成長していきました。

そのコーチは成功をおさめた優秀な選手です。本当ならプロチームの監督として、その役割に集中できたかもしれません。でも、草刈りやネット修理など、気がついても誰もやりたがらないような面倒な作業も誰かがやるのを待たないで、時間を割いて自分でやっていたのです。

有名になる事は、時に自分を偉大な存在と勘違いさせてしまいます。有名になる=偉い=小さい事、面倒な事は誰かに任せられるではないのです。本当に偉い人、尊敬されるにふさわしい人は、誰もがやりたがらない事を気づいた時にやります。自分よりも周りの人を大切にして、仕えるのです。みんなも周りに愛され、尊敬されるようなプロ選手を目指していこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、自分のためではなく、みんなのために仕えられる人になれるようにしてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月13日土曜日

必要なものは一つだけ

おはようございます。

◆今日の聖書◆
しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。(ルカ10:42)

◆どういうこと?◆
ボクたちのいるこの世界には、成功者となるために必要と思われることが沢山あります。そのため色々な人が成功へのヒントとして本を書いたり、アドバイスをしています。
それらアドバイスの多くは「良い結果を得るために努力し、常に成長するために行動しなさい。」と語っています。

でも聖書では、必要なことは一つだけであると語っており、その一つとは、神様の言葉を聞くことだと教えているのです。ボクたちの努力や行動の結果が必ずしも、成功へつながる訳ではありません。大金が手に入ったり、名声が得られることはあるでしょう。でも、聖書にとってそれらは通過点のようなものに過ぎず、いつももっと先のゴールをボクたちに示してくれているのです。

そのゴールへ進んでいくためには、まず神様の言葉を聞く事が重要なのです。ボクたちは一日の間にどれだけ神様の言葉に目や耳を傾けているでしょうか?これからはもっと神様の言葉に注目していこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、もっと神様のことばに注目していけるように導き、大切なことを教えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月12日金曜日

目を離さない

おはようございます。

◆今日の聖書◆
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。(ヘブル12:2)

◆どういうこと?◆
英語には勝利という意味を持つ"victory"と"winning"という言葉があります。"victory"は「戦い、戦争、心の葛藤の勝利」という意味があり、"winning"には「初めに終わる、単純に勝つ」という意味があるそうです。この二つの言葉の意味を考える時、ボクたちにとってどちらの意味を持つ勝利が大事だと思いますか?

例えば勝利には充実した意味のある勝利もあれば、進歩も見られずたまたま勝てるような時もあります。このように同じ勝利でも"victory"は"winning"と違って意味のある勝利、将来につながる勝利を差しているのです。

みんなはいつも意味ある勝利"victory"を手にしていますか?人生で"victory"を手にするためには毎日のコツコツと準備することが大事です。いつも神様から目を離さないでいくことは、そのような意味でとても重要な事。ボクたちはいつも将来につながる勝利を目指していこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、たまたまの勝利ではなく、次につながる勝利ができるように、いつも神様から目を離さないよう守ってください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月11日木曜日

もっと良いチームになろう

おはようございます。

◆今日の聖書◆
私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。(ローマ1:11)

◆どういうこと?◆
ボクたちにはチームメイトがいますが、その中で目標達成のため、成功のために互いに励まし合えるような存在がいるでしょうか?一人よりもふたりの方が勝ると言われるように、お互いがそれぞれを力づけることで、両者の力は個々に頑張ったとき以上に成長することが可能となります。

今日の聖書はパウロがローマにある教会に向けて書いたものです。彼はローマの教会の人々に会うために待つ事ができないほど、彼らに神様のことを伝えたい、訓練したいと切に願っていました。それは彼らが成長するためだけではなく、その姿をみて自分自身も成長し、祝福を受けられると確信していたからです。

これは自分たちも同じです。チームメイト同士で助け合い、励まし合っていくことでボクたちはさらにレベルアップできるようになります。それは技術的なことだけではありません。ボクたちには神様がいます。互いに祈りあい、聖書のことばで仲間をサポートしあうことで、人として成長することができるのです。だから、これからはただ楽しい仲間となるだけではなく、互い成長しあえる、良い影響を与える仲間にステップアップしていこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、サッカーを通して仲間を与えてくれてありがとう。これからは互いに成長できるようにさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月10日水曜日

心の成長

おはようございます。

◆今日の聖書◆
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。(ガラテヤ5:22-23)

◆どういうこと?◆
サッカーは体力的にとても激しいスポーツですが、同時に心のセルフコントロールも最高なプレーをするために必要です。自分の心や感情をコントロールできなくなると、それがプレーに影響することはよくあるし、チーム全体に響いてしまう大きなマイナス要因となることもあるのです。

だから、自分自身をコントロールする方法を身につけていくことはとても重要といえます。みんなはセルフコントロールをすでに身につけているでしょうか?中には、性格的に短気で怒りやすい人、感情的に熱くなり止められない人、手が先に出てしまう人などいると思いますが、そのような人は特に気をつけましょう。怒りによって生まれる行動は破壊的な力しか生まれないからです。そのような力を神様はみんなに持つよう望んではいません。

ではどうしたらコントロールできるようになるでしょうか?ポイントは今日の聖書にある愛、喜びなど神様から生まれる感情をいつも持って生活することです。愛、平安と怒りは正反対なもの。だから、ボクたちがいつも愛、平安に留まっていられるなら、怒りによって自分を見失ってしまうことはなくなるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、サッカーをすると感情的になるところがあるけど、そのような時も怒りで気持ちがいっぱいにならないように守り、平安を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月9日火曜日

栄光を現すために

おはようございます。

◆今日の聖書◆
こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。(第一コリント10:31)

◆どういうこと?◆
2014年も残すところ約3週間となりました。今日の聖書はこの一年でずっと聞いてきたもののおさらいと言える箇所です。この一年は特に、神様のすばらしさをあらわしていこうと繰り返し強調してきましたが、ボクたちの歩みの中でそれはどれくらい達成できたでしょうか?

ゴールを決めた時、試合に勝った時は出来た人もいるかもしれません。では、普段の生活ではどうでしょうか?ボクたちは試合が終わればユニフォームからジャージや私服に着替えます。それは仕事が終わってプライベートに戻る時と同じように、試合が終わって気を緩める、クリスチャンモードから自分のしたいように生活するモードに切り替えていないでしょうか?

聖書では、どんな時でも同じように、神様のすばらしさ(栄光)を現すように生きることをボクたちに伝えています。試合が終われば、そこで素晴らしさを現すのも終わりではないのです。食べるときも、遊ぶときも、寝るときも何をしていても神様を感謝し、すばらしさを現していこう。そして、年末にむけて、神様がボクたちにどれだけのことをしてくれているのかを覚えて感謝しながら迎えよう。そして、そのすばらしさを他の人に知ってもらえるように伝えていこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、いつも祝福してくれてありがとう。この素晴らしさを出来る限りいつもあらわしていけますように。多くの人に知ってもらうことができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月8日月曜日

不正から遠ざかる

おはようございます。

◆今日の聖書◆
不正を行う者は、自分が行った不正の報いを受けます。それには不公平な扱いはありません。(コロサイ2:25)

◆どういうこと?◆
韓国サッカー界では2011年に八百長問題が発覚、またイタリアでも2005年以降に八百長などさまざまな不正が発覚しました。アギーレ監督も過去に八百長に関わったのではないかと今問題になっていますね。

八百長とは前もって試合の勝敗を打ち合わせをしておく不正な行為です。これは暴力団がサッカーくじで大きな利益を不正に生み出すため、永久追放や活動禁止などFIFAでも厳しく禁止をされています。しかし、不正をする選手にもその利益が入ることなどもあり、その圧力や誘惑に負けて、八百長をしてしまうケースがあとをたちません。

八百長のような問題は、ボクたちと関係ないように思えるかもしれません。だけど、ボクたちの周りにも沢山不正と呼ばれる行為はあります。普段の生活でも、カンニングやキセルなどきりが無い程存在します。大きな問題じゃないし、うまくやれたらラッキーなんて思っていませんか?

不正はどんなに良くしても不正であることに変わりはありません。誰にも気づかれないこともあるでしょう。でも、人には分からなくても、神様が見ていることを忘れないようにしよう。そのような事を続けている姿を見て、神様は喜ぶような方ではないし、祝福してくれる方でもありません。だから、小さい不正からも離れるようにしていこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、どんな小さい不正も不正です。あらゆる誘惑から守ってください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月7日日曜日

誰が一番えらいのか?

おはようございます。

◆今日の聖書◆
あなたがたすべての中で一番小さい者が一番偉いのです。(ルカ9:48)

◆どういうこと?◆
みんなの中で自分自身を偉い存在のように振る舞っている人はいませんか?グループで一緒に活動をしようとすると、上下関係という言葉があるように、誰かより自分自身を高く見せたがる所があります。そのような人は偉い存在と思わせるため、高圧的な言葉をつかったり、暴力をふるったり、また偉さを表すような格好をします。この特徴は今も昔も変わりません。

聖書の中でも、偉くみせようとする人々が大勢出てきます。イエスの弟子の中にも、誰が弟子の中で一番偉いのか議論になったこともあるように、誰もが高くみせようとする弱さをもっているのです。でも、イエスは一番偉いのは、小さい子どものように神様のことばを素直に聞いて受け入れる人だと言いました。

ボクたちはサッカーでは、優れた点を持っているかもしれません。でも聖書は、どれだけ才能を持っている人であっても、神様のことばを素直に受け入れられないなら、その人は何も自分を高くするものはない、偉い存在ではないと語っているのです。本当に偉い人は周りが自然と認めるようになります。自分で偉さを言葉や態度に出す必要はありません。だから、今日から自分を優れた存在としてプライドを持つ事、周りを低く見る事をやめよう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、偉い者として周りに見せることをやめて、まず神様のことばを素直に聞いて受け入れられるように変えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月6日土曜日

能力を隠さない

おはようございます。

◆今日の聖書◆
私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。(マタイ25:25)

◆どういうこと?◆
人にはそれぞれ様々な能力が与えられています。ボクたちの仲間を見ていても、ある人は足が速い人がいたり、またある人は勉強、それ以外にも性格や個性など色々な長所をそれぞれが持っていることがわかるでしょう。

そこで質問です。みんなはそれらの能力を隠していませんか?サッカーは努力しているし、試合で使っているからそんなことはない。勉強もきちんとやって宿題もやっているから大丈夫。そのように思っているかもしれません。でも、簡単な部分だけやっていたり、目に見えて目立つところだけしかやっていなかったりしませんか?

神様はボクたちが輝けるように、様々な能力というギフトをくれました。それを隠したり、小さなものにしか使わないなら、そのギフトは無駄になってしまいます。ギフトは使ってはじめて意味があるのです。時にはリスクを背負ってより高い壁をのぼる必要もあるでしょう。でも、神様を信頼してそのギフトを用いる時、神様はボクたちの能力を通して輝かせてくれるのです。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、ボクに能力をくれてありがとう。それらを用いて輝くことができますように。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月5日金曜日

神の子とされる特権

おはようございます。

◆今日の聖書◆
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。(ヨハネ1:12)

◆どういうこと?◆
ボクたちイエス・キリストを信じる人々には、神様によって、神の子どもとされる特権が与えられました。これは、イエスを信じる人だけが手にできる特別な権利であり、誰もが手にすることのできるものではありません。みんなはこの権利を手にしているでしょうか?

神の子どもとは、自分の欲求や誘惑などに従って歩まず、神様のことばを大事にしています。神様はそのような人を愛し、ご自分の子どもとして受け入れ祝福してくれるのです。この特権は、いつもイエスを信じているなら祝福の中にいることができ、悪や誘惑に立ち向かう力が与えられ、神様からの守りがあります。ボクたちが勝利者となっていくために、この悪や誘惑はとても大きな障害とも言えますが、その壁をのりこえられるように助けてくれるのです。

まだこの特権を手にしていないなら、今日イエスを自分の神様として信じよう。すでに信じている人は、もっと進んでいけるようにこの特権の中で成長していこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、神の子どもの特権をくれてありがとう。その特権の中でさらに成長できるように助けてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月4日木曜日

ねたまれてもふさわしい行動をとる

おはようございます。

◆今日の聖書◆
ダビデは、サウルのため、その子ヨナタンのために、この哀歌を作り、この弓の歌をユダの子らに教えるように命じた。(第二サムエル1:17-18)

◆どういうこと?◆
ダビデにとって、サウルは自分の王様でしたが、ダビデの才能のあまり彼によってねたまれ、命を狙われる存在となっていました。しかし、どれだけ自分の王様に敵視されていても、神様によって認められた王であるサウルの存在を無視せず、ダビデは反抗しないで逃げながら歩んできました。そして彼はサウルの死後に、王様の死を悲しむ歌をつくったのです。

ダビデは逃げている間、ずっと苦しみから解放されることを願い、彼を殺すチャンスもありました。でも、彼は自分個人の想いではなく、神様の存在を意識し、サウルが死んだあとに民が喜ばないように歌を作ったのです。ダビデはこのようにいつも自分ではなく、神様やイスラエルの民を見ていたのです。

ボクたちはどうだろう?普段の生活で、神様や仲間よりも自分自身を大事にしていませんか?また、自分を優先するあまり、神様の存在を無視するような行動をとっていませんか?ダビデは苦しみましたが、その中で王の真の役割を学び、王への道を歩みを徐々に進めていきました。同じように、ボクたちも神様を見て、ふさわしい行動を身につけられるようにしていこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、ねたまれたり思いがけない事もあるけど、どんな時も神様を見て、行動できるようにさせてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月3日水曜日

無駄づかいをやめる

おはようございます。

◆今日の聖書◆
金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」(ヘブル13:5)

◆どういうこと?◆
お金はボクたちの生活に欠かせないものです。毎日の生活を支え、ボクたちを豊かにしてくれます。
でも、お金は同時に様々な誘惑をうむため注意が必要です。お金を必要とするあまり、人を殺してしまったり、ウソをついたりしてお金を盗むなど、世界中で起こっている問題の多くはお金が原因です。また、金銭感覚が変わっていくと、人生に大切なものを見失い狂わせます。

みんなはお金をどのようにつかっていますか?無駄に使ってないですか?プロになれば大金が手に入るので注意し始めるかもしれません。でも、今からしっかり注意していかなければ、これから先そうなった時に変わることは難しいのです。聖書は「今もっているもので満足しなさい」と語っています。ボクたちはお金があるとすぐに欲しい物を買いたくなりますが、無くても困る物はそう多くはありません。だから、今のうちから、本当に必要なものは何か、今買うべきかをよく考えることを身につけていこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、いつも洋服やゲームとか欲しいものが沢山あるけど、無駄づかいをしないで、大事なものを考えていけるようにしてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月2日火曜日

ボクたちのためのしるし

おはようございます。

◆今日の聖書◆
神は仰せられた。「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。」(出エジプト3:12)

◆どういうこと?◆
神様はボクたちと共にいると語っており、神様と共にいるならそこに勝利があることを聞いています。でも実際はどうでしょうか?残念ながら、試合に負けてしまうこともあります。中には負けてしまうことで神様はやっぱりいないと思う人もいるかもしれない。確かに神様がいることのしるしが試合の勝利にあると思ったら、そう考えるでしょう。

実は神様を信じるボクたちにとって試合に勝つことは、本当の勝利の一部分でしかありません。人生の勝利者となることの方がはるかに大きい目標だからです。トロフィーや賞状は、肉体的、精神的な訓練の結果による勝利といえます。でも、それらは一時的な勝利であり、永遠には続きません。トロフィーの価値は限りがあるのです。

ボクたちにとってのしるしは何なのでしょう?それはエスペランサそのものです。確かにうまくいかないことは多くあります。でも、みんなはここで神様のことを知り、人生の勝利を手にするきっかけが与えられました。サッカーがなければ一生気がつくことはなかったかもしれないけど、ここに導かれ、サッカーからさらに大きな目標も示されているのです。だから、その希望を失わず、何度も立ち上がって目標にむかって前進していこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、負ける時はくやしいけど、そこで止まらずに、もっと大きな目標にむけて前進できるように、立ち上がる力を与えてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!

2014年12月1日月曜日

私の助け手

おはようございます。

◆今日の聖書◆
そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも同じです。(ヘブル13:6-8)

◆どういうこと?◆
みんなは今日の聖書にあるように「主は私の助けてです。私は恐れません。」とはっきり宣言できるでしょうか?ボクたちにはサッカーだけではなく、普段の生活の中でも誘惑との戦い、悪いこととの戦いなど、神様と共に歩もうとすると目に見えない様々な所でいつも戦いがあります。中にはとても立ち向かうのが厳しい戦いもあるでしょう。でも、そんな時こそ今日のことばを思いだしてください。

神様に立ち向かえる存在は、この世に存在しません。その神様と共に歩むなら、どんな状況にあったとしても、取り除かれ、それを乗り越えられます。そこに妨害するものがあったとしても、恐れる必要はないのです。

大事なのは、神様を信頼すること。これは信仰の大先輩であり、イエス様と共に歩んだ弟子たちが確信をもって言っていることです。神様は今も変わりません。だから、ボクたちも「主は私の助け手です。私は恐れません。」とはっきり宣言していこう。

◆ひとこと祈ろう◆
「神様、あなたは私の助け手です。ボクは神様以外何も恐れません。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」

Vamos Esperanza!