おはようございます!
◆今日の聖書◆
人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。(ルカ9:25)
◆どういうこと?◆
この世界には地位や権力、莫大な富など得た人々を成功者と言い、多くの人々から注目を浴びる人がいます。サッカー界ではバロンドールを手にする事できれば、世界最高峰の選手となったと言えるでしょう。これらの人々は誰もがなれるものではなく、とても光栄なことであり、すばらしい特権を与えられた人々とも言えます。
でも、聖書では世界一となったとしても、自分自身を失ってしまうなら、その栄光や特権は意味無いものと語っています。どうしてでしょう?
答えは、人はだれでも死んでしまうからです。世界一となるためどれだけ頑張っても死んでしまえば、それら富や栄光は何も持っていくことができません。人が自分自身のために手に入れたものを神様は受け取ることは絶対ないからです。もし、そのように神様を見ないで、この生きている間にしか残らない栄光や富だけに注目するなら、それはとてももったいないのです。
神様が喜んで受け取ってくれるもの。それは神様のためにベストを尽くす姿勢や信仰です。神様はその姿を喜び、死んだ後に永遠に続くバロンドールより大きな価値のある栄誉を与えてくれます。そして、この生きているだけではなく、死んだあともずっと本物の成功者として歩めるのです。
◆ひとこと祈ろう◆
「神様、本物の成功者として歩めるように神様を中心にして歩ませてください。イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン。」
Vamos Esperanza!
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