先日、ジュニアユースの市長旗杯の試合がありました。
ここ数年間、毎年栄区の代表の座が定着していたこの大会。
しかも今年は、今までのエスペランサのチームの中でも、一番強いと思われていたので、誰もが勝利を確信していました。
それが、まさかの初戦敗退・・・!
いろんな理由があるにせよ、とても残念な結果でした。
今日はその時の事を少し考えてみたいと思います。
1-2で負けていた後半のこと。
エスペランサのセットプレーからゴール前に上げられたボールを巡り、ゴール前で激しい混戦となりました。そして、微妙な位置でキーパーがボールを抑えた所で、レフリーは笛を吹きセンターサークルに向って手を上げました。
「ゴールだ!!やったー!!」
大喜びで、熱狂するエスペランサの選手とベンチ。
しかし、相手チームが審判の元に集まってきて熱烈に抗議を始めました。そこで、何と審判はもう一度笛を吹き、一変してノーゴールの判定・・・。
少なくとも、私たちの側からはそのように見えました。
もう、何がなんだか訳が分からない状況で、ベンチからも激しく抗議をせざるを得ませんでした。
オルテガさんも、ノエミさんも、大声で必死になって抗議しました。それは、判定そのものというよりも、子供たちがもう中学校で最後かもしれないという試合で、一度下した判定を、不利な形で覆されたことに対する怒りにも似た感情でした。
その結果、オルテガさんとノエミさんは退席処分となってしまいました。
何とも後味の悪い幕切れ。しかし、ここで審判の判断についてどうこう言うつもりはありません。
この試合の後、じっくりこの事について考えてみました。
なぜ、オルテガさんたちはそこまでして抗議しなければならなかったのか・・・。
一つの聖書のことばが心に浮かんできました。
「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。(聖書/ヨハネの福音書10:11)」
牧者とは、羊飼いのことです。
良い羊飼いは、羊のことを、わが子のように愛し、大切にし、命がけで守ります。
私は、オルテガさんの姿に、自分の子供のように大切にしているエスペランサの子供たちを、命を懸けて守ろうとしている「良い羊飼い」の姿を見たのです。
もちろん、ただ熱くなればいいというものではないとは思います。
しかし、今、自分のチームのメンバーのために、これだけ必死になって体を張ってくれる指導者が、どれほどいるでしょうか。たとえ、自分が悪者になったとしても、理解されなかったとしても、命懸けでチームを守ろうとするリーダーがどれだけいるでしょうか?それが、もしわが子だったとしても、そこまでの思いをもって守り抜くことが出来る親がどれだけいるでしょうか。
聖書を見ると、この「良い牧者」とは、イエス・キリストのことです。イエス・キリストは、何も罪を犯さなかったのに、罪人の身代わりとして十字架にかかって死んでくださいました。イエス・キリストが愛しているすべての人のために、自らが体を張って、いのちを懸けて、自分自身を差し出してくださったのです。そのいのち懸けの愛の象徴が十字架なのです。だから、クリスチャンは十字架を見て、神様の愛を思い起こすのです。
何も今回に限ったことではありませんが、願わくは子供たちが、オルテガさんの姿を心に刻み、「自分はこんなにも愛されていたんだ」ということを実感できる時がくるようになることです。
そして、その何倍、何十倍もの愛で愛し続けてくださっているイエス・キリストが、どんなときでも守ってくださっているという事を知って欲しいと思います。
感動して泣いちゃいました、これからも沢山の良いメッセージを楽しみにしています。
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